法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

新聞における掲載責任のハードルを本気で上げてくれるなら歓迎するのだが

いや昨日のエントリ*1に対するブコメについてのだが。
はてなブックマーク - 「(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証」について - 法華狼の日記
コラムの欠落を問いただしたり、認識に疑問符をつけたり、相対化批判へ反論していったわけだが、それら具体的な主張とは対応しない反発が多くて困ってしまう。

id:falkbeer 珍文 まぁ掲載拒否を正当化するには内容を批判するしかないもんね、って正当化されないけど 2014/09/04

これを初めとして、朝日新聞批判をもってエントリを批判しようとするコメントが複数ある。
しかし私の立場からは掲載拒否を正当化する必要は特にない。ある程度まで掲載拒否とは独立してコラム批判をおこなうことができる。
もちろん一作家より新聞社の責任が重いといった主張はできるが、それは一作家を批判すること自体を止める根拠にはならない。


私はコラムに対して、単純に朝日新聞を批判するなと主張しているわけではない。たとえば訂正が遅かったという批判について、もともと朝日検証内で同様の批判が掲載されていることを指摘した上で、その踏みこみを問うているではないか。
むろん、下記コメントをはじめとして、コラム批判と独立して掲載拒否について問うならば問題はない。それぞれの興味関心で批判をすることは自由だからだ。

id:vhthlh こういうことを掲載してからきちんとやれば良かったんだよ。そしてあの程度のコラムも拒否するという姿勢は、ヘイトにまみれた広告を拒否するみたいなのとは次元が違う。その点は批判されて然るべきと思うんだけどね 2014/09/04

ちなみにコラム掲載の議論自体は昨日エントリの冒頭でリンクした一昨日エントリで簡単に書いた。掲載中止のままという認識で書いたものだが、特につけくわえることはない。コラム不掲載とは別個の朝日新聞批判もおこなった。
池上彰連載中止と掲載拒否のハードル - 法華狼の日記

私個人は掲載前に議論できるだろうし、相互に批判したっていいし、批判と同時に場を与えてもいいと思うのだが、掲載中止の過程がはっきりしない。今週の週刊文春の誌面を確認すればわかるかもしれないが。

なお、従軍慰安婦問題について、事実関係しかつたえていない朝日新聞の不充分さは感じている。現在にいたるまで、批判対象を明示しない記事か、掲載拒否や抗議といった紙面外での行動ばかり。

虚偽報道をつづけている週刊文春産経新聞とは比べられないが、社会の公器たる責任を充分にはたしているともいいがたい。1990年代からとぎれることなく従軍慰安婦問題について熱心な報道をつづけていれば、存在しない責任まで問われることはなかったかもしれない。


批判コメントの多くが内容に具体的にふみこんでいないので反論しようもないが、はっきりエントリを読んでないらしいとわかるコメントもあった。

id:five2many さすがにこの件で朝日擁護は無理筋。97年の時点で真偽確認できないならその時記事を取り下げるべきだったんだよ。報道機関なんだから。外交的にどんだけの影響があったと思ってんのって話なわけ。アンダスタン? 2014/09/04

1997年は真偽確認できなかっただけではなく、真偽確認できなかったという記事を出したのだ。さかのぼって過去記事を訂正せずとも、それが事実上の訂正記事となる。吉田証言についてつたえた他紙も明示的な訂正記事は出しておらず、むしろ現時点では朝日新聞だけ。
それに日韓関係を動かした1991年の被害者証言は、吉田証言と無関係どころか、異なる募集形態をつたえるものだった。河野談話という1993年段階の日本政府見解でも吉田証言は採用されていない。採用されているとだけ知られている国連報告書でも、実際には本筋ではなく、学者の反対意見とともに掲載されている*2
1992年までは吉田証言しか直接的な募集事例が知られていなかったのに対し、現在までに認められている事例は圧倒的に多い。仮に吉田証言しか知られていないなら、むしろ加害性の認識が不足しているというものだ。

id:t-saku31 政治 歴史 メディア インテリジェンス 朝日新聞が1997年の時点で「再確認」という認識になっていたことが問題ではなく、「推定有罪」の立場で慰安婦問題を取り上げていたことが問題だと思う。 2014/09/05

まず私が「再確認」と書いたのは、1997年の特集を、2014年の朝日検証で追認したことを指している。
そして国家責任が問われる問題では、「推定無罪」を原則とするべきではない。刑事裁判における推定無罪は、国家という強大な存在が個人を調べるからこそ、必要な制限になる。
それに報道は刑事裁判ではない。被害や加害の証言や傍証が出てきた時、その調査必要性をうったえるために報じることもある。