言質をとったという意味あいで利用するならまだわかるが、さすがに擁護のためにする解釈としては無理ありすぎるだろう。
もちろん、根拠をあげて他国軍と性暴力の問題を指摘していくだけなら、批判されるいわれはない。そもそも従軍慰安婦問題の主要研究者は、ほとんど他国軍の性問題にも目を向けており、著作で明確に言及していることも少なくない。
たとえば吉見義明教授の『従軍慰安婦』では、同時代の他国軍の問題についてもまとめていることで知られている*1。林博史教授は米軍の第二次世界大戦における性暴力や、性対策の歴史についての論文を発表している*2。
韓国軍のベトナム戦争における諸問題については、朝日新聞の歴史検証企画でもとりあげられ*3、何度も追求していた韓国のハンギョレ新聞では新しく連載がはじまった*4。
こうした研究に対して、従軍慰安婦問題を矮小化しているという批判を、私の狭い視野では見かけたことがない。
批判されにくいのは、相殺せずに両方を批判する態度を明確にしているだけでなく、固有性を無視することなく各事例へ真摯に向きあっているからだろう。安易に同等視してひとまとめにあつかうことは、情報量を削るということ。
同一国家の軍隊であっても、時期や地域によってふるまいは変わる。慰安所が制度化された日本軍においても、個々の兵士や部隊で慰安所への距離感が異なっていたという証言は多い。
詳細に研究するということは、たいてい差異を浮きぼりにしつつ、同時に傾向を見いだしていくものだ。そうして情報をつみかさねていけば個別の問題から目をそらすことは、もはやできまい。