法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』関係者の対談記事

リニューアル前に大半の映画版を手がけていた芝山努監督と、むぎわらしんたろうアシスタントの記事。主に藤子・F・不二雄の姿を伝える内容となっている。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/12/13964/

むぎわら 僕らが上げた原稿に対してああだこうだ言うことは何もなかったです。『ドラえもん』について語るようなこともほとんどなくて。ただ、一度、僕が「どうして大長編では“未来”を舞台にしないんですか?」と聞いたことがあるんですけど、そのときは「未来をおもしろく描く自信はありません」と。「未来ではドラえもんの力が使えなくなるから」と言われていましたね。

単に未来社会の設定が大変だという話ではない。むしろ、ドラえもんという特別な存在が埋没するからという説明に、なるほどと納得する。
考えてみれば、原作者自身も、『21エモン』等で未来社会そのものは何度も描いていた。


他に興味深かったのが入浴シーンメイキングの証言。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/12/13964/2/

芝山 あれは、先生の余裕の表れだと思うんですよ。実は、入浴シーンは入れるタイミングがすごく難しくて、先生は本当に絶妙なタイミングで入れてくるんです。

むぎわら 僕、入浴シーンの下書きを芝山監督に見せたときに「しずかちゃんの胸は『し』の字じゃなくて、『く』の字だよ」って注意された覚えがありますよ(笑)。

芝山 あれをイヤらしくなく描くのはすごいことなんだよ。

下書きにあたるラフと、顔までは確実に原作者が一人でペン入れをしていたとされるが*1、全裸でもアシスタントが下書きをしていたと読み取れる。構図や人物配置を決めるラフと、ペン入れ寸前の下書きを別けていたのかもしれない。

*1:事実、途中で亡くなられた大長編『ねじ巻き都市冒険記』は、途中から明らかに絵柄が変わっている。追記すると、『ねじ巻き都市冒険記』以降に原作者に変わって作画をおこなった時、その絵柄の違いを芝山監督に注意されたという解釈が正しい気がする。となると、アシスタントが下書きを担当していたという解釈は誤りか。