法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』黄昏の暁(後編)

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』黄昏の暁(前編) - 法華狼の日記の続き。

【Cパート】


 アカツキがふりはらうと、インパルスの腕は簡単に地面へ落下した。
 シンの口から叫びがもれることはなかった。ただ、すきま風のように喉を鳴らすだけ。声帯が声の出し方を忘れるほど意識全てを敵の姿が占領していた。
 操縦桿の重みが急に増えたように感じる。筋肉のこわばりが緊張を伝えているのだ。
 口を閉じ、シンは絶叫を押さえつける。大丈夫だ、見た光景について、よく考えろ。インパルスはメインカメラを潰されただけ。ルナマリアは生きていると信じる。目の前で殺され、さらにはシン自身の手で湖に葬った少女……強化人間のステラとは違う。
 いや、たとえ殺されたのだとしても、兵士として生きる道を自ら選んだルナマリアは、死を覚悟していたはずだ。復讐の念に突き動かされてはならない。
 目の前の男は待っていた。死に場所を求めていた。ならば倒す、それだけだ。
 デスティニーはアカツキに接近しながら大口径ビーム砲を乱射した。もちろん照準は地面に合わせている。爆発で掘り起こされた土が高く舞いあがる。しかし視界の遮断は二次目的だ。インパルスに貸したビームライフルとは威力のケタが違う。土砂どころか岩まで掘り起こし、地上の存在を大地に埋める。
 もちろんビーム砲のエネルギーはすぐにつきる。アカツキの全身を埋める前だ。しかし足元の地面は確実にえぐりとった。視界の効かない状態で、流動化した大地。アカツキの脚部も埋まっているだろう。
 動けなくすれば、攻撃するのはたやすい。大質量の物体をビームと合わせて高速でぶつければ、アカツキの装甲であっても損傷を与えられるだろう。
 デスティニーは地上に降り、斬艦刀をかまえた。目の前でわきあがっている土煙に向かって最大出力で突進する。心の奥底を満たしていた殺意があふれてくる。
 泣いて叫んで埋もれて孤独に死んでいけ。


 ほんの少しだけユウナは驚いた。敵パイロットは無能かと思っていたが、意外と反射神経がいい。
 アカツキを土煙から出すと視界が開け、地面に横たわるデスティニーの姿が見えた。無防備に突進してくるだろうと予想してインパルスのビームサーベルを投げつけたのだが、命中する寸前に機体をひねってかわしていたらしい。むろんデスティニーはすぐ起き上がって距離をとってくる。
 愚かな兵士だ。ビームで土をまきあげれば、敵の目と同時に敵の姿も覆い隠してしまう。つまり敵に反撃の機会を与えることになる。何度もビーム攻撃をしかけてくれば、土煙で視界が遮断されていても位置を推測するのは簡単だ。あとはアカツキの足元に落ちたインパルスから手ごろな武器を奪い、待ちかまえるだけで良かった。
 もちろん、崩れた体勢から即座に立ち上がったように、搭乗者の操縦技量はかなりある。おそらく体に動きがしみついているのだろう。かなりの訓練をつんだ優秀なパイロットに違いない。
「憎悪で目がくもったかな?」
 下手をうったのは、同僚機が撃墜されて感情的になってしまったがゆえかもしれない。事実、インパルスの残骸に機体を近づけると、格段に土砂の奔流が弱まった。インパルスへ誤射しないよう、明らかに敵は注意をはらっている。
「若いパイロットだ」
 相手が自分と同年代か、より若いだろうとユウナは想像した。遺伝子操作兵で構成されるザフトに若年のパイロットは珍しくない。
「もっと強いはずだろう。僕を失望させないでくれ」
 ついコンソールパネルに目をやってしまう。一度も空中で戦闘をしていないし、使用した武器は斬艦刀だけ。稼動時間や推進剤は充分に残っている。
「覚悟していたのに、生きのびたくなってしまうじゃないか」
 生きのびて合わせる顔があるのか。顔を合わせたい相手があるのか。……ありはしない。家族で残ったのは自分一人。かつての婚約者には別の男がいる。ロゴス残党と会うなど、こちらから願いさげだ。だが本能が生存を求め始めている。死を前にして覚えていた興奮が冷めていく。
「……相手が弱いなら、次に期待するさ」
 跳躍したアカツキは斬艦刀を振り下ろし、体勢を立て直しきれていなかったデスティニーの大口径ビーム砲を切断した。


 何もかも失われた島に影が二つ。
 爆撃で、木々も建物も薙ぎ倒され、破壊された。そして、かつて手に入れた地位や名誉を全て失い、敗れた組織の中ですら孤独を抱え込まざるをえなかった者。多くの兵士が忌み嫌うようになった最前線に、シンとユウナの二人は、今なお立たされている。
 斬艦刀。重く鈍い不格好な兵器だけが、二人が自分の意志で動かせ、外界に影響を与えることができる、最後の力だ。
 アカツキが斬艦刀を足元に突き刺し、杖のように立てる。そして向かってくるデスティニーの攻撃を刃に滑らせ、力を使わずにそらした。いなされたデスティニーはたたらをふむ。その後頭部へ刀から手を離したアカツキの蹴りが入り、耐えられずにデスティニーはうつぶせに倒れた。アカツキは再び斬艦刀の柄を握る。そして大地から刀を抜きとり、動かなくなったデスティニーへ近づいていく。
 そうした戦況報告が軍艦へ同時刻で届く。顔をしかめたアーサーがアビーの側まで駆け寄った。
「画像を拡大してくれ」
 アビーが操作盤を叩き、艦橋中央のモニターに影が浮かぶ。
「最大望遠か、これで」
 偵察機や衛星から送られてくる各センサーの情報を総合し、画像補正を何度も重ねているのに、モザイク状の人型がゆらゆら動いているようにしか見えない。海風で舞い上がった潮や戦闘による土煙が視界をさえぎっている。
 かすかな姿は、すぐに土煙の向こうに消えた。
「……また置いていかれるのか、私は」
 不思議そうな顔で振りかえったアビーを見て、アーサーは苦しげに笑った。
「苦手なんだよ、誇りをかけた戦いというものが。誰も彼も先に行ってしまう」
 呆然として見送るしかできなかったタリア艦長の背中が、頭から離れない。タリアはそのまま沈み行く要塞に残り、帰らなかった。
「当たらなくてもいい。ありったけの対地ミサイルを撃ち込め」
 背後から懸念する声が上がる。
「しかし相手モビルスーツは、データから見て相転移装甲も備えています。命中しても効果は期待できません」
「わかっている。ゆさぶりをかけられればそれでいい」
 発射管から白煙を爆発的に噴きながら、ゆらりとミサイルが射出される。ミサイルは上方に加速しつつ昇り、目標の直上で急降下。アカツキの周囲に降りそそぎ、ビルほどに高い爆炎が無数に立ちのぼった。
 しばらくして前線から報告が入る。
「……アカツキ、健在」
 全て予想された通りだ、何の問題もない。命中させる期待はしていないし、その必要もない。ただ、デスティニーが再稼動するまでの目くらましになってくれさえすればいい。
 信頼しているのだ。これまでシンが誰かを守ろうとして、戦い抜いたのと同じように。
 アビーの右肩に置かれた手に、力が込められる。
「彼なら立ち上がってくれる。今度も、だ」
 オペレーターもまた、艦長の言葉に力強くうなずいた。


 気がつけば、白い砂利で覆われた野原を歩いていた。
 砂利の下は沼地のようだ。石灰質の隙間からひょろりと茎が伸び、赤い花びらが風にそよいでいる。歩く少女と追う少年。
 湿原のように不安定で柔らかい地面をふみ、シンはステラ・ルーシェの背中を追う。
 ステラは羽のようにかろやかに、地面をすべるように歩いていく。
 どれだけ力を込めても地面の粘りに足をとられ、遅い歩みとなり、追いつくことができない。
 幾度となく呼びかけたが、ステラは振り返りもしない。シンから見えるのは、金色の髪が風をはらんでゆれている光景だけ。
 ふいにステラが立ち止まった。その足元に二つの塊がある。人体ほどの大きさの布で包まれた塊。端からのぞくのは薄く青い髪と、緑の逆立った髪。名も知らぬ死体を前に、ステラは歩みを止め、じっと見下ろしている。
「ステラ」
 シンの叫びにようやくステラは振り返った。不思議そうにシンをながめ、また死体に目を戻す。
「いっしょに行こう、ステラ」
 ステラは死体から離れ、ゆっくりした歩みでシンの前に立った。真正面から見上げてくる瞳に、それを望んでいたはずのシンは少したじろいだ。
 それでもシンは説得を続けようとする。
「いっしょに戻ろう、みんなのいる世界へ」
 ステラのさしのばした手に自分の手を重ねようとした時、足元の白骨にぽつぽつと赤い斑点が浮かぶのがシンの視界に入った。
 垂れ落ちている血は、シンの手から流れた物だ。シンが傷を負っているわけではない。無数の返り血がシンの手を赤く染め、ぬぐいされないほどの粘り気をもってまとわりつき、今もだらだらと垂れ落ちている。
 よく見れば、ステラの手も赤黒く染まっている。ステラの血痕は変色して乾き、ところどころが剥げかけだ。ずっと前の返り血なのだろう。それだけの時間が経ったのだ。きっとしばらくすれば元の白い手に戻る。
 シンはのばした手を止め、拳を握った。
「ごめん」
 知らず知らずのうちにシンはうつむいていた。
「それ以上、君の手を汚くしてはいけなかったのに。君は嫌がっていたはずなのに」
 腕を下ろすシンを不思議そうにながめ、ステラはにこりと笑った。
「ありがとう、シン」
 ステラは振り返ってしゃがみ、二つの死体を自分に言い聞かせるようにいった。
「私はここで、みんなと待っているから。ずっと、遠い明日に待っているから」
 その二人は、ステラにとって大切な人々の一人だったのだろうと、ようやくシンは気づいた。生体兵器として扱われた彼女でさえ、大切な仲間がいたのだ。


 そしてシンは、これまで踏みこえてきた無数の死体にも、きっとそれぞれに大切な人がいるのだろうと思った。
「いつまでも待ってる。ずっと忘れない。だから、私は大丈夫だから、シンは自分のいるべき場所にいて、ね」
 シンの知るステラは、遠い日に失った妹を思わせるほど言動が幼く、これほどに会話がたくみではなかった。
 だからこれは自分が望んで見ている幻であると、いつからかシンは気づいていた。
「俺も、絶対に忘れない。君が待っていることを、君の手を再び汚してしまいそうになったことを」
 ほほえむステラの体が、ほのかな光の粒となり、はじけて消えた。
 シンは自分に言い聞かせた。
 幻だ。消えた所で何も変わらない。今やるべきことは他にある。これまでの戦闘では、倒したい相手が敵であることが多かった。しかし現実はそんなに都合良くはない。
 量産されたデストロイと戦った時は、強化人間をせめて楽にさせようと自分に言い聞かせていた。そうでなければ戦えなかった。軍を脱走したアスランメイリンも撃墜したくはなかった。戦いを続けるにつれ、自分自身が納得できない戦闘がこれから何度も出てくるだろう。
 しかしシンは殺し続けていたのだし、これからも殺していく。軍の命令にそい、法に触れない限りは免罪されるかもしれない。しかし世界は少しづつでも戦争そのものを違法とするように条約や国際法を整えつつある。そのような社会で軍に入隊したのはシン自身の選択だ。
 時に誰かを殺さなければならない道を、自ら選んだ。
 ならばせめて背筋を曲げずに戦おう。胸を張って切り結ぼう。


 孤島から二筋の光が伸びた。
 デスティニーの広げた翼から出た光が、さらに巨大な翼を形成したのだ。
 その姿がアカツキに攻撃をためらわせる。その風があたりの煙を散らす。
 翼を広げたデスティニーはゆるやかに立ち上がり、しっかりと前を見すえる。アカツキはすでに斬艦刀をかまえている。
 うなりをあげる海風が戦場の静けさを浮かび上がらせる。
 大刀をかまえた二体の巨人に、天頂から月光が降りそそぐ。
 敗者として誰からも見向きされなくなっていた彼らは、そこに確かに存在していた。


【Dパート】


 急に視界が異常なほどクリアになる。瞳孔が限界まで開いている。
 シンは咆哮をあげ、左拳を自らの額へ叩きつけた。
 ヘルメットのバイザーが砕けて刺さり、額から左目に血が流れ、視界半分を覆い隠す。だが、おかげで意識ははっきりした。
 暗い脳裏で何らかの種子がはじけるイメージが消え去り、冷たい感情も押し込められた。鮮明になりすぎた視界も普通に戻る。手元に操縦桿、脇に表示板、正面にモニター、その中央に敵。
 意識がブラックアウトする寸前、闇に落ちた視界の上方から落下してくるいびつな塊。前頭葉が発達した人間の脳が無酸素状態になった時、視神経を刺激して起こる現象などという説もあるが、定かではない。いずれにしろ、特殊な遺伝子を持つ者が戦闘時に見る幻影といわれている。一部ではSEEDという通称で呼ばれているらしい。
 これを訓練時に見たという証言が入隊時の報告書へ記載され、デュランダルの目に止まったシンはインパルス搭乗者に選ばれた。
 赤服を着られたのも、時たま能力が発現したことによる成績の底上げが理由だった。
 しかし今のシンはそれを否定する。デスティニープランの初期計画と関係があったからではない。自分の物と実感できない、不安定な能力にたよる気が起きなかったのだ。
「戦うのは、俺一人でだ」
 アカツキの斬撃をあびてデスティニーの操縦席が揺さぶられ、シンの額から流れた血が飛び散る。
 目に血が流れるのもいとわず、シンは叫ぶ。
「戦うのは、俺自身の意思だ」
 もはや幻影に動機を求めるような姑息は許されないし、シン自身も許せない。たとえ幻影であっても、ステラにこれ以上の死を見せることはしない。


 隊長機が抜刀し、横に構えて部下の行く手をさえぎった。ライフルをかまえて一歩進もうとしていたモビルスーツが、隊長にさえぎられて歩みを止める。
 言葉はいらない。全ての戦いをここで終わらせる。そのために、あの二機は死力をつくして闘い、決着をつけようとしている。ゆえに割り込むことはもはや許されない。
 戦闘の帰趨はすでに決まっている。反乱者の敗北は必然だ。それと同時に反乱者の存在感は充分に示された。さまざまな勢力が集まった状況で緘口令をしけるとも考えられない。あとは二人の戦いだ。
 切り結ぶ二機のガンダムを、数十体のモビルスーツ、数百機のカメラアイ、数千人の将兵が見つめる。
 アカツキの振り回す斬艦刀には無用な力が入っていない。先端の軌跡はなめらかな弧を描き、デスティニーへ切りかかってくる。断片的な情報から憶測していた人物像と繋がらない。長い敗走が人を変えたのか。島での戦闘が成長をうながしたのか。かまえた姿は落ち着き、とぎすまされている。
 斬艦刀の一撃が、どのような言葉より雄弁に語りかけてくる。魂を刻みつけてくる。願いを感謝を哀しみを太古の人類が石に絵文字で刻んだように。猛獣のごとく荒々しくも幼児のように稚拙で、だからこそ純粋に思いが伝わってくる。
 激しい格闘で左右に体を揺さぶられながらシンは口を開いた。厚い装甲をへだてて声がとどくはずはないのに、言葉にして語りかける。
「おまえの思いが……聞こえるぞ」
 二人は、機械人形の太刀を通して語り合っていた。
 互いに振るわれる斬艦刀からは迷いが消えている。昔ぶら下げていた勲章の重みも今はない。重みを活かして振り子のように慣性で斬りつけるアカツキ。重さを力で強引にねじふせ叩きつけるデスティニー。金属がこすれ、ぶつかりあうたびに火花が飛ぶ。高速で動く切っ先が、満月を反射して光の残像を描く。
 前大戦から戦い続けている古参の隊長から、ふいに吐息がもれた。
「まるで……」
 踊っているようじゃないか。
 あれほどの屍を積み重ねた大地を踏み。重い枷がなき今は、どこまでも軽やかに。互いの命を削りあう姿が不思議と美しく思えた。


 シンは確かな手ごたえを感じ、ふりしぼるように叫ぶ。
 斬艦刀の切っ先がアカツキの左脇をとらえ、逆袈裟に切り裂いていた。アカツキの左胸から先が吹き飛ばされ、焼け残っていた建物に回転しながら突き刺さり、倒壊させた。
 アカツキが回転しながら倒れる。切断面から内部構造が見える。神々しさすら感じさせた黄金色の中身は、他のモビルスーツと大差なかった。ただの人型をした兵器だった。
 アカツキの右手に握られたままの斬艦刀。ふいに先端がふらりと浮き上がる。先端はデスティニーの脇腹へ突き刺さり、ジェネレーターをえぐりとる。シンの目前でモニター光量が落ちる。機体が前方にかたむく。
 アカツキが倒れたのは攻撃によってではなかった。あえて左半身を捨て、前傾することで間合いに入ったのだ。回転していたのは遠心力で斬艦刀の威力を増すためだった。
「どうして俺は、こんな時に……」
 気づかなかった。
 今のアカツキは間違いなく強い。左腕がなくても、あるいは両腕すらなくても、きっとシンより強い。それだけの意思と力を持っている。死の寸前で踏みとどまり攻撃に転じることができる。
 勝とうとするなら、一瞬であっても隙を作ってはならなかった。
 もちろん悔やんでも事態は好転しない。
 今、デスティニーが倒れている場所から艦隊が展開している湾の間は、小高い山がさえぎっている。二機の位置も近く、遠距離砲撃による援護は全く期待できない。
 斬艦刀を杖のようにして機体を支えようとしたが、耐えきれず大地へ激突。吸収しきれなかった衝撃が操縦席に伝わり、一瞬だがシンの気が遠くなる。その一瞬は致命的な一瞬になる。


 前線に最も近い場所で、一人の少女が戦いを見つめていた。
 泥だらけの顔。砂をかぶった赤い髪。破片で切り裂かれたスーツから血がにじむ。
 ルナマリアは脱いだヘルメットを口に当て、うわごとのようにくり返した。
 聞こえるはずかない。むしろ聞こえてほしくない気持ちすらある。シンが好きなわけでもない。もちろん愛してなどいない。そのはずだった。仇のように憎みもした。
 だから、聞こえないからこそ、つぶやけるのだ。
「立って……立って」
 シンの耳に、雑音に混じって、わずかに声が聞こえた。
 かぼそい声は、やがて絶叫に変わった。
「立ちあがって、シン!」
 モニターが薄らと発光する操縦席の中、シンは操縦桿を握りしめた。
 口に溜まった血を足元に吐き出す。笑う。
「一人でいいと、決めたばかりなのにな」
 そしてルナマリアの顔を思い出す。
 SEEDが発現して戦闘のみに集中していれば、ルナマリアの声が届くことはなかったかもしれない。
 意図せずに、シンは自らの手で未来を選んでいた。
 シンは左手に意識を集中し、操縦桿をねじるように回す。振り上げてビームを発したデスティニーの左掌がアカツキの斬艦刀によって砕け散る。しかし斬艦刀の刃先をそらすことはできた。
 アカツキの斬艦刀が大地に突き刺さる。振り下ろされた大刀は重く、切っ先が大地から抜けず、構え直すために一瞬の時を要した。それで充分だった。戦場の一瞬は致命的な一瞬になる。
 左腕を砕かれる反動で、デスティニーは斬艦刀を握る右腕を振り上げていた。
 金属が破砕する音が響き渡り、粉々になった黄金の破片が周囲に振りまかれる。無理な姿勢からであったが、斬艦刀はアカツキの胴体を横一文字に両断した。
 金属の骨格を破断させる手ごたえが伝わってくる。デスティニーにも許容値を超える過負荷がかかり、全身が破裂しそうに震え、操縦席までゆさぶる。
 装甲表面から剥離した特殊コーティングが金色の雨となって降り注ぎ、横殴りに赤黒い破片が飛び散る。
 アカツキの腰部は粉砕され消滅した。上半身も大地に投げ出され、残された下半身もゆっくりとあおむけに倒れる。
 センサーで感知された衝撃が重い操縦桿を通して操縦者に伝えられる。シンは今、たしかに人を殺したという重みをおぼえた。戦った相手の存在を感じた。


 気がつけば、白い砂利で覆われた丘を歩いていた。
 誰の声も聞こえない。風の音も響かない。ただ足下で石灰質の鳴る音だけがかすかにする。目の前に広がる、真白い風景。
 ほおに指をすべらす。包帯をしていない。事故にあったはずの顔に傷が一つもない。
 人が意識を失った時の、死を目前にした際の、ひとときの幻影なのだと理解した。
 ユウナ・ロマ・セイランは一人で人骨の丘をふみしめ歩く。ずいぶん死なせたものだと笑いながら。やはり本当に軽い性格なのだ。そう育ったのだ。将来の立場やら、氏族の責任やら、どうにもユウナには重すぎた。
 生きることが戦いだった。短い人生のわりには疲れたものだ。今ならば降りるのも悪くない。思ったよりもみじめではないと感じる。
 このあたりでいいだろう。生きることではなく、戦うことを降りるのだ。この後に、残した者達へ少しは温和な日々をもたらすだろうと願ってみる。
 そうして男はどこまでも歩き続けた。
 一度もふりかえることはなく。
 鈴蘭の野をふみしめて。


 傷もいとわず、ルナマリア・ホークは走った。
 二体の巨人は戦い疲れて大地に崩れ落ちている。黄金の装甲と上半身を失い、身体が黒ずんだ巨人に命の鼓動は感じられない。片手を失い破損だらけで座り込んでいる巨人も、論理的に考えれば操縦者は生きていないだろう。けれど確信している。今こそシンに会わなければならない。
 今なら妹の気持ちもわかる。理屈ではなかったのだ。愛だとか理想だとか陳腐でわかりやすい言葉では表現できない。
 ただ側にいただけの人であっても、ただ目の前にいただけの人であっても、生き続けてくれることを願っただけ。条件反射のような感情にすぎない。きっと人という種の遺伝子に刻み込まれた本能なのだ。
 だから、脱走したメイリン達をつらぬいたシンを、理性だけでなく感情でさえも理解し、許せたのだとルナマリアは思った。
 だから、脱走してシンにつらぬかれたメイリン達を、理性だけでなく感情でさえも理解し、許せるとルナマリアは思った。
 感情でいえば、シンも悪くないし、メイリンも悪くない。そう思えるようになった。誰かが正しいから、あるいは誰かが悪いから戦争するのではない。きっと誰にでも一理はあり、同時に誤っているのだ。だから逆説的に、戦争を行なった全ての人を許せる気持ちになった。
 きっとルナマリアはこれからも軍人の一人として戦い続け、結果として人を殺し続けるだろう。そしてルナマリアへの復讐を願う者も出てくるに違いない。その感情すらも許せる。ルナマリア自身も、すでに無垢な存在ではないのだから。
 ルナマリアが駆け寄った時、シンは半壊したコクピットハッチ上に座り、水平線上の朝日を眺めていた。そんなシンをルナマリアが見上げる。
 傷だらけなシンの横顔から、ぽつりと声がもれた。
「……聞こえたんだ、声が」
 息をのんだルナマリアの方を見向きもせず、シンは言葉をついだ。
「みんなの声が。……だから、生きようと思った」
 視線の先では、可能な限り島に接近したザフト軍艦からボートが降ろされている。ボートの上では逆光となった人の影がいくつも見える。
 肩を組んで手を振っている整備士の少年達。腕組みをしている整備士長。静かにひかえているオペレーター。手をラッパ状にして何かを叫んでいる艦長。どれも、どこかで見た顔だ。
 ルナマリアはそれを見てうつむいた。やはり、シンが見ているのは、守りたかったのは彼らなのだ。シンは帰るべき場所を見つけていた。
 しばらくして、シンはぎこちなく笑いつつルナマリアの方へふりかえった。
「だから、ありがとう、ルナ」
 シンとルナマリアは同じ方向を見て、支えあう存在だ。少なくとも、これからはそういった関係を目指し、生きていくだろう。
 うつむいていたルナマリアは顔を上げ、シンの横顔に笑いかけた。
「どういたしまして」
 あえて本気らしさのない、冗談めかした口調だった。
「帰りましょう、シン。みんなのところへ」
 ルナマリアがシンへ手を差し出す。シンもルナマリアのいる方へと機体から降りる。
「ああ、いっしょに帰ろう。みんなのところへ」
 そして二人は肩を貸しあい互いに傷ついた体を支え、仲間達の方へと静かに歩き出した。朝焼けで赤く染まった島をゆっくりと、しかし着実に。
 二人は帰るべき場所を取り戻したのだ。


【エンディング】


 薄暗く四角い、大きな部屋に少年と少女が横並びに座りこんでいた。蒸し暑さに、じっとりと汗が浮かんでいる。
 目の前には巨人の残骸が二つ。新型に近い機体を他勢力の目にさらしたくなく、回収して輸送機で基地まで運んでいるのだ。
「今さら裏切り者に会ってどうするのよ。どうしてそんなに楽観的なの」
「いや、少し話をしてみたくなっただけさ」
「話し相手なら私がいるのに」
「え? いやアスランと話をしたいわけで。ああそうか、とりついでくれるってわけか。でも悪いよ」
「……私、やっぱりあんたのことが嫌いかも」
 少女がぽつりとつぶやいた。無感情な声で少年が応じる。
「そうなのか。じゃあ先に部屋に帰るよ。それとも俺が格納庫にいようか」
「あんたって、本当ににぶいのね……失望とか落胆とかじゃなく、もう呆れ果てて口も聞きたくなくなるくらいよ」
 少女は長いため息をついた。
「……いいわよ、シンがそういう人間だってのはわかってたことだし。他人の気持ちを好きなだけかきみだして、自分だけ真っ先にへたれるような馬鹿野郎だし」
 ため息を一つ。
「でも、しかたないな。こんなへたれにつきあっていられるのは、私くらいでしょ。腐れ縁なりに一生つきあってやるわよ」
「ん、何の話だ」
「何でもない」
「いや、だって今さっき」
「何でもないっていってるでしょ」
 少年の頭を少女が叩く音が響いた。
 ……おい、ケガしてるんじゃないのか。乱暴な娘だな。
「やめてください、悪趣味ですよ」
 副操縦士がスピーカーのスイッチを切りかえた。格納庫の痴話喧嘩が聞こえなくなり、軽快な女性ボーカルの歌が流れ始めた。ザフト広報のラジオ局らしい能天気な選曲だ。
「いやいや、平和になったんだな、と。実感していたのさ」
 操縦士は寝不足で腫れた目をこすった。
 ふくれる副操縦士を見て、操縦士は笑う。だいたい格納庫の盗み聞きを始めたのは副操縦士の方だ。若い男女を同じ場所に閉じ込めるのがまずいとは、プラント旧家出身にしても考えが古風すぎる。
 何にしても悪い気分は起きなかった。戦争は本当に、しばらくの間だとしても終わるのだ。
 雲のない、どこまでも高い空。機体の後方に生まれる飛行機雲。一面の青に引かれる、くっきりした白い線。ここに人が存在しているという証明。
 いつしかラジオが天気予報を始めている。輸送機の進む先は快晴のようだ。


 終