法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

全ての戦後補償は謝罪のメッセージ……というわけではない

問題提起としてはわかるが、「解決する」と断言してしまうのも問題を簡単に切りすぎているのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20101119/1290140227

そもそも原爆被害者や空襲被害者が日本相手に補償を求めたから、日本相手に補償を求めたアジアの被害者とボタンのかけ違いが生じたのであって、アメリカが原爆や空襲の補償をしてくれれば問題は解決する。

「補償」が戦争で被害を与えたことへの謝罪というメッセージを意味しうることは事実だろう。しかし原爆被害を与えた米国への補償を要求することとは別個に、日本は原爆被害者への補償を行うことも必要ではないか。
原爆投下をもたらしたことに日本政府の責任もあるというだけの話ではない。たとえ直接的な被害を与えたのではなくても、政府は少なくとも自国民への補償を行う必要があるからだ。そうでなければ、大規模な自然災害や感染症で苦しんでいる国民を政府は見捨ててもいいことになる。少なくとも日本は建前としてそこまで悪質な国家ではない。
あたかも中国へのODAを賠償と同一視する向きもあるが、そもそも日本がODAを行っているのは戦争被害国だけではないし、中国へのODAは利子つきの借款であり日本にとっても利益となることも事実。逆に、敗戦国である日本へ世界銀行から低金利で資金援助が行われたり、米国から「ガリオア・エロア資金」が無償援助された歴史もある。このことは外務省サイトにおけるODAの意義を説明するページでも言及されている。
外務省: [ODA] ODAとは? ODAちょっといい話 第二話戦後の灰燼からの脱却
ちなみに法律用語などで見ると、適法な行為で与えた損害を補うことを「補償」と呼び、違法な行為で与えた損害を「賠償」と呼んで区別している*1。だから、自国への補償要求と加害国への補償要求を同列に見ることにもボタンのかけ違いがあったと考えられる。
逆に、謝罪を求める戦争被害者が、必ずしも金銭的補償を求めているとは限らないことにも注意しておこう。つまり謝罪と補償の同一視は、謝罪を求める被害者に金銭要求を見いだし、あたかも被害の実態がないかのように主張するような意見にも原因があるだろう*2


戦後補償が謝罪のメッセージを意味するか否かという論点では、たとえば従軍慰安婦に対する半官半民の補償政策であるアジア女性基金でも同様の議論があった。
「『慰安婦問題』問題」とは何だったのか(その1?) - Apeman’s diary

あえて妥協した理由として大沼氏は、村山内閣の下で基金をかたちにしなければ結局なにもできなくなってしまうのではないかという危惧を挙げているが、左派の側には“自民党内閣になれば、法的拘束力のない措置など簡単に反古にされかねない”という危惧があったわけで、この危惧が杞憂でなかったことはこの数ヶ月の出来事に照らせば明らかである。アジア助成基金の活動には極めて冷淡でありながら使えるときには「実績」としてアピールし、その一方で「河野談話見直し」を狙っているのが自民党(のすべて、とは言わないがそのうちの無視できない勢力)なのであるから。

苦しんでいる被害者を速く救済するため妥協した大沼保昭氏の選択は、簡単に否定できるものではないだろう。しかしながら妥協のためもあって、補償ではなく基金という形態をとることとなった。こうした経緯は謝罪のメッセージ自体を中途半端にさせ、基金が持っている謝罪の意味合いを高評価する意見と*3基金が様々な立場の責任を放棄させて成立することを批判する意見とで対立を生むことになった。
そうして補償や基金が謝罪のメッセージをふくむこと自体が都合よく扱われることも上記引用で指摘されるとおりである。


前後してApeman氏は、いわば謝罪としてのメッセージとは別個に支援を行う選択肢もあったのではないかとも指摘している。これも戦後補償が直接的な加害のメッセージとは別に行いうるのではないかという提言だろう。

大沼氏は元慰安婦がみな高齢であり、病気や生活苦に悩む人々も少なくないことを挙げ(88、153ページなど)、時間がかかり勝つ見込みもほとんどない裁判への固執を非難している。しかしそれならば、補償(裁判闘争)と生活・医療支援とを切り離して後者のみを純民間ベースで行なう*2ことを広く呼びかけるという選択肢もあったはずだ。それならば「お金を受け取れば補償請求闘争に悪影響がでる」という誤解*3(49ページ)などはじめから生じなかったはずである。

*2:ちゃんと調べていないので断言はできないが、そうした活動をしているNGOもあったんじゃないだろうか。
*3:「誤解」ととりあえず書いたが、日本政府内には償い金の受け取りが国家補償請求訴訟の妨げにならないことを保証することに対して抵抗があったともされている(49ページ)。つまり、あわよくば国家補償を拒否するためにアジア女性基金を利用する腹積もりがあった可能性は否定できない、ということだ。

ちなみに大沼氏自身も、アジア女性基金とは別個に従軍慰安婦が政府への謝罪を要求する余地も残すよう努力していたらしい。
従軍慰安婦補償について、法律的に少しばかり - 法華狼の日記
上記エントリで引用したように、講和条約締結後に個人の請求権を主張できるか否かについて「学問的には議論の余地がある」と論じたこともあるし、在日韓国・朝鮮人の軍人・軍属による請求が最終的にすべて棄却されていることも指摘している。
つまり現実の日本は植民地に対する宗主国としての責任を明らかに放棄しているのだ。これでは補償という形で戦争責任を韓国側から求められることも、ごく当然の経過だと思う。


次に、韓国政府の自国民に対する補償が充分であったかというと、それ自体は批判すべき面もあっただろう*4従軍慰安婦のみならず戦争被害者の多くが開発独裁の経済成長下で忘れられ、社会からの差別も受けてきたことはよく指摘される。
しかし民主化した韓国政府が戦争被害者への救済に乗り出せばどうなるか、その一例が親日派の財産没収だ。
韓国における「親日派」の財産が没収された政策は、さほど意外な話でもないと思うのだが - 法華狼の日記
同じ「親日」という漢字が異なる意味を持つことで反発が大きくなっている財産没収は極端な例ではある。財産没収も具体的な内容を調べれば手法に問題があるかもしれない。
だが先日には朝鮮王朝儀軌を菅直人首相が引き渡すと明言したことに対し、自民党から慎重論も出たという。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101116/plc1011161118007-n1.htm

 政府は16日午前、旧朝鮮総督府経由で日本に渡った朝鮮王室儀(ぎ)軌(き)など計1205冊の図書の引き渡しを定めた日韓図書協定の国会承認を求める閣議決定を行った。引き渡しは今年の日韓併合100年にあわせた8月の菅直人首相の談話に盛り込まれ、14日には首相と李明博大統領立ち会いの下、両国の外相が協定に署名した。

 政府は臨時国会での承認を目指すが、自民党には慎重論が根強い。16日午前の外交部会では、外務省が「日韓併合100年の節目に、統治していた側の日本が一方的に引き渡す行為に意義がある」と説明すると、「韓国にある日本統治時代の貴重な古書の引き渡しを求めないのか」「民間所有の文化財も引き渡すことにならないか」といった意見や懸念が相次いだ。

 党内には「民主党にも反対論は多く、連携したい」(中堅)との動きもあるが、谷垣禎一総裁は11日の記者会見で「引き渡しが今後の日韓関係の改善につながってほしい」と述べ、協定に賛同する考えを示している。

日韓併合から太平洋戦争までの経過を追って考えれば、韓国の補償政策がしばしば「反日」と呼ばれそうな色彩を帯びることは当然だろう。
戦争被害に対する補償をどの立場がどの文脈で行うべきかを整理することには、意味も必要性もあるとは思う。だが全ての問題が解決する突破口になるとまでは思えないのだ。

*1:http://www.muryo-soudan.jp/advice6/index1240.aspx

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070521/1179680990

*3:とりあえず日本政府の見解はそうだろう。

*4:私が加害国の国民という立場として主張して良いことかは、横に置かせてもらう。