法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『デジャヴ』

トニー=スコット監督、デンゼル=ワシントン主演の、SF設定をとりいれたアクション捜査映画。TV放映を視聴したが、期待外れを通りこして唖然とした。


まずひどいのが、個人のプライバシーを覗き見ることができる捜査システムに対し、作中で全く真面目な批判がなされないまま物語が終わったこと。そこそこの規模で制作された現代アメリカ映画とは思えない。女性の半裸を見る必要性を道徳的に女性が問う描写がある程度では、監視システムへの懐疑描写として不充分だ。
似たような設定をもつ『マイノリティリポート』*1などとはテーマが違うという前提もわかるが、せめて使用上の規約が極めて厳しいという説明描写くらいはほしかった。国家レベルの規約に対して個人としてあらがう主人公、という構図も映えたかもしれない。
システムに関わっている人間達も倫理観高いようには描かれていないし、同じ場面は1回しか見られないという制約設定がエクスキューズかと思えば録画はできるし……ブラッカイマー製作という時点で予想はしていたが、頭が悪すぎる。
ちなみに、似たような設定が出てきた『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』でも、主演俳優が指摘するまで制作者は何の葛藤も持たなかったというのだから、大作を手がける映画人という存在は案外と権力による監視を頭から正しいと信じているのかもしれない。
ゼロ年代の映画ワースト10_解説

なお本作では、人々を監視(盗撮)・盗聴しているシステムが登場してくる。劇中の設定では、このシステムの開発・オペレーションを小泉純一郎の息子である小泉孝太郎が行っている。父親が格差社会を拡大している時に息子が国民を監視していたのか……ってこれはコジツケだ。でも本作の製作者たちの神経を疑うのは、この監視・盗聴システムを当初「便利なシステム」として登場させる予定だったということだ。しかし織田裕二が「それはおかしいだろ」と指摘をしたので、織田裕二が監視・盗聴システムを批判するシーンが付け足された。見直したぞオダルフィ。

私の場合はTV視聴であり、もしかしたら全長版では批判的な描写も入っているのかもしれない。しかし、監視システムが全く放置されたまま結末を迎える展開は、社会派うんぬん以前に、この映画にとってSF設定はあくまで主人公個人のドラマに奉仕するだけのギミックでしかないということを示しているとはいえるだろう。それなら国家レベルの行動ではなく、マッドサイエンティストが個人の意図で開発したという展開でも良かっただろうに。


1回だけ4日間しか時間をさかのぼって監視することができないという設定も、室内まで監視できる上に機械的な人相判別も可能なくらい自由度が高く、ほとんど制約として機能していない。主人公達はそれなりに衝突や独自行動をくりかえすが、それもせいぜい意味なく頭の悪い行動をとることで自ら制約へぶつかっているかのようにしか見えないのだ。
そして中盤に監視システムの真相が明らかになるが、それは作品の虚構性を高め、かつ主人公の自由度を高める方向でしか機能していないので、主人公が困難をのりこえるという娯楽として王道の快楽も薄い*2
真相が割れた後の展開も、先行する作品群と比べて、かなり安易かつあやふやな描写に終始しており、意外性も全くない。はりめぐらされた伏線などと煽っていたが、ちょっと同系統の作品群を知っていれば、真相が割れた後に思い返すと全て予想範囲内におさまる。


よくある記憶消失オチを、ひとひねりした上で宙ぶらりんにした結末は面白いと感じたが、それも先述したように先行する作品を制作者がよく知らないための偶然ではないだろうか。
他は、愛国者を自称するテロリストという敵がブラッカイマーらしくないな、と思った程度。
個人的には、これまで見た主要作品が当たりばかりだったデンゼルが演じながら、よくあるB級アクション映画の黒人主人公像から一歩も出ないところが悲しかった。これなら適当な人材が他にもいるだろうに。

*1:感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070703/1183474230

*2:監視システムの自由度が高すぎる理由を、関係者もシステムを充分に理解していないという設定で部分的に説明できるというところだけはいい。しかし対応する関係者が厳しい監視規約を自らにかさない理由にはならない。