法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

HIVを知らない病院は、すぐ車椅子で流血事故を起こすような病院だそうだ

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010043090090406.html

 愛知県内の大手病院で昨秋、エイズウイルス(HIV)感染が判明した30代の看護師が退職に追い込まれていたことが分かった。看護師は「病院幹部から看護師としては働けないと言われ、退職強要と受け止めた」と話している。病院側は「退職を求める意図はなかった」と、退職勧奨を否定している。

 国の「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」では、HIV感染者を差別しないよう求めているが、医療現場は対象外とされている。医療現場向けのガイドラインは策定の必要性が指摘されてから15年以上たっても整備されておらず、国の不作為が今回のような問題を引き起こす一因となっている。

HIVに感染した看護師が、エイズの発症すらしていない段階で病院から遠まわしに解雇を通告された問題について。
感染者を差別しないよう求める国のガイドラインで、医療現場が15年以上たっても対象外とされている問題は、恥ずかしながら初めて知った。HIVの感染力がきわめて弱いことや、症状の抑制も可能なことは、すでに一般でも知られていることだと思っていたのだが。

看護師は治療後の職場復帰に支障がないことを明記した診断書を示したが、副施設長は「うちでは看護職は続けられない。運転や配膳(はいぜん)の仕事はあるが、差し迫って人が必要なわけではない。他の理解ある病院に面倒を見てもらっては」と発言。

この発言が真実なら、退職を求める意図がなかったという釈明は厚顔無恥という他ない。日本の会社でよく見られる光景ではあるが。


インターネット上では医学を専門とする人々をふくめて多くの批判がなされている。
2010-05-02
報道およびインターネット上の経過について、washburn1975氏が簡単にまとめている。
「感染者は健康な人間をねたんで自分の血液を注射する可能性がある」*1という愚劣な主張に対し、『戦国BASARA3*2の例を引いてきて、歴史から何も学んでいないと批判している。


2010-05-01

顧客に害を及ぼす可能性がなくても、単に風評被害があるという理由で、解雇することは正当でしょうか?

私は当初、「痛い」のは、本人に無断でHIV感染の検査をした上で、退職を強要するような発言をした病院側であると思いました*1。私の予想した2ちゃんねらーの反応は、

「病院幹部のくせにHIVの感染力も知らない情報弱者 m9(^Д^)プギャー

というものでした。

 *1:看護師側の主張が正しいと仮定して。報道によれば病院側は退職勧奨を否定している。ここでは退職勧奨の事実関係については議論しない。退職勧奨が事実であったと仮定した上で、その退職勧奨の正当性を問題にしている

内科医であるNATROM氏は、インターネットで見られるHIVに対する無知や偏見に驚き*3、あえて職業の自由を表現の自由でたとえて看護師がおかれた理不尽な状況を説明している。
そして数年前に問題となったハンセン病元患者の宿泊拒否問題なども引き、社会に残る差別として厳しく批判している。


とりあえず、HIV抗体検査に行ったほうがいいと思う - キリンが逆立ちしたピアス

こうした誤った知識により、HIVは感染力が強く、すぐにAIDSを発症すると思いこんでいる層は、HIV抗体検査に積極的に行くのだろうか。

大事なことは、HIV/AIDSの感染経路をよく知り、実際の性行為の中でどうすれば感染を防げるのかを知り、実行して行くことである。知識を持つことと、それを実践することの間には、断絶がある。時には、性行為を共にする人との交渉が必要でもあるだろう。「危ないとわかっているけれど……」という罪悪感と恐怖だけを抱き、「大丈夫」だと念仏を唱えているのが一番危険なのである。

font-da氏は日本に蔓延しているHIV恐怖症とでも呼ぶべき状況を、近年のフィクションに見られる誤った描写も引きつつ指摘し*4、その恐怖がひいてはHIV抗体検査への心理的な足枷になると主張した。
確かに、先進国において日本だけが珍しくHIV感染が拡大している。HIVに対する偏見と恐怖が検査への恐怖へ繋がるという体験談には説得力がある。


HIV感染は退職をすすめる根拠になりません - 感染症診療の原則
米国感染症専門医という青木眞氏は、日本でも解雇が全くの違法であることと、HIV感染した医療従事者が管理されるガイドラインが米国では整備されていることを指摘している。


専門家をふくむ多くの批判が様々な角度からなされ、この解雇を一過性の事件と見るべきではないという指摘もされている。
しかし、中日新聞が伝える続報を読んで、思わず考え込んでしまった。問題の病院には、固有性も強くあるのではないか、と。
つなごう医療 中日メディカルサイト*5

「看護師としての業務はできない。リスク高いでしょ?」。誤った認識をもとに副施設長が浴びせた言葉を、看護師は忘れられない。

副施設長ということは、あくまで病院本体での職務を行い、現場における感染症の知識がない可能性はあるだろう。しかし、この言葉は一般人と考えてもひどい内容だ。

 この病院は、系列にHIV拠点病院があるような大手医療機関だが、過労で倒れたときとはいえ、本人の同意なしに採血検査を実施された。看護師が診断書を副院長に持参したときも、プライバシー保護のために別の上司の退席を求めたが、認められなかった。

いきなりの皮肉な事実。系列病院でHIVを扱っている医師に、解雇事件についての意見を聞いてみたい。現場の医師の声が病院の経営に届かないという報道もよく聞くところではあるが。

 そんなつらい体験をしても看護師は「10年ほど前に、亡くなった患者の家族から礼を言われた体験が忘れられず、看護師の仕事には思い入れがある」と話す。現在は理解ある病院に職を得、看護師として働いている。

今回の事件において、数少ない嬉しい情報だ。本来ならば、報道する価値すらない当然の情報であるべきだが。

 一時は訴訟も検討したものの、狭い医療業界で個人情報が広まることを恐れ、断念。看護師は「同じように泣き寝入りしている医師や看護師は多いはず。差別がない社会にしてほしい」と訴えている。

そういえば知人が医療事故*6で、似たような理由から何も訴えず、今でも通院している。巨大病院で起きた医療事故なので、一部の科での問題をうったえると、重大な病気になった時、別の科でも診てもらえないことを恐れたためだという。相手が巨大な場合こそ、訴訟をためらってしまい問題が残るという面もあるのかもしれない。

 薬害によるHIV感染を公表している川田龍平参院議員の話 HIV感染した看護師や医療従事者の就業を禁止するような法律はない。病院が十分な対策を取れば、そのまま就労可能なはず。感染していることをもって就業を制限するということは、考えられない。「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」の「医療現場は想定外」という項目が理由になるなら、改定すべきだ。HIV感染者の就業の難しさは、いろんな所で聞いており、周囲が十分な知識を持ち意識を変える必要がある。

川田龍平議員の言葉は、さすがに自身もHIV感染者だけに説得力ある正論だ*7。考えてみれば、HIV感染しながら政治家という多くの人々と交流する激務についている有名人が、この日本社会にもいるわけだ。

 日本エイズ学会理事を務める名古屋市立大看護学部市川誠一教授(感染疫学)の話 病院はHIVの知識がある人が一番そろい、患者を支援しなければいけない場所。そこで差別が行われるなんて、ひどいことだ。上司や周囲はサポートに回るべきなのに。この看護師に限ったケースではないだろう。日本でHIV感染者への理解が低いことを示している。

ひどいことだと嘆きつつ、他にも同様の事例が考えられる普遍的な問題と指摘している。

 一方、同様に血液を介し感染するB・C型肝炎について、厚労省の「Q&A」は、医療従事者が感染しても患者に感染する危険はほとんどないと説明。仕事の制限はないと明記する。HIVは感染力が弱く、針刺し事故による患者から医療従事者への感染率は、B・C型肝炎の10分の1以下。医療従事者から患者への針刺し事故はまず考えられない。

 同省でも、院内感染対策などを指導する医政局指導課の担当者は「医療従事者であっても、HIV感染した場合に仕事に制限を設けるべきではない」と話し、労働衛生課と立場を異にしている。

B型肝炎の感染危険性がHIVより高いことはNATROM氏も言及していたが、この記事はさらにくわしく国のガイドラインが実態を反映していないことを肝炎との比較でわかりやすく説明している。また、厚労省内部でも、少なくとも医政局指導課は制限を撤廃するべきと考えているようだ。


そして記事の最後に、解雇勧奨した病院の副院長*8と副施設長への一問一答がある。ここでの彼らの主張がひどすぎる。

 副院長 退職勧奨はなかった。話し合った時期は本人の体調も悪く、まず十分に療養するべきことなどを中心に話し合った。寛解(症状改善)後の復職は当然のこととしても、具体的な話をする状況ではなかった。
 −その場で「看護師としては働けない」と伝えているが。
 副施設長 施設では入浴の介助などもあり、車いすでけがをして血を流す職員もいる。本人は「感染していることを周囲の職員には伏せてほしい」と希望したが、何かあったとき対応に困る。

「何か」とは、いったいどのような状況を想定しているのだか。だいたい車いすでけがをして流血する事態って、看護業務において必ず想定しなければならないような、どうしても外せない仕事なのかよ。しかも、そうして血が流れたとしても、皮膚に付着する程度では感染しないほどHIVの感染力は弱いはずなのだが。

 −「看護師を続けたいなら、他の病院に行ったら」などと伝えたのはなぜか。退職勧奨に聞こえるが。
 副施設長 (看護師が)理解してもらえる先生(医師)の話をよくしていたので、「それならそちらに行ったら」と話した。退職を勧めるような意図はなかった。

なんという萌えないツンデレ

 −HIVの知識は持っていたか。病院の医師との連携は。
 副施設長 HIVの知識はない。連携も、全くなかった。

この病院には、本気でかかりたくない。系列のHIV拠点病院にかかっている人々が心配になってくるほどだ。笑えないといいつつ、ここまでくると笑うしかない。

 副院長 HIVという言葉に、過剰に反応した部分もあったと思う。今後、同じような問題が起きたときにどうするか、院内の感染対策委員長に規約を作るよう頼んだ。

……真面目な話、院内の専門家だけでなく、院外からも専門家を呼ぶべきではないのか。記事の一問一答を読んだ後では、そう思わざるをえない。


注意しておくと、病院一つの問題でないことにはかわりない。初期報道からも批判されているとおり、国の不作為や社会に残る偏見が、固有の問題をはぐくんでしまったのだろう。
しかしそれにしても、この病院の態度はひどすぎる。報道が正しければ、普通の企業でも全く許してはならないほどの悪質さだ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/Terra-Khan/20100502/1272806149で、血液内科につとめているというTerra-Khan氏も偏見に対して批判している。医療従事者が意識的に重大な医療事故を起こすならHIV患者である必要などないわけだ。つまり、HIVに感染しただけで人が凶悪な事件を起こす危険性が有意に高まるという、明らかな差別意識が愚劣な主張の根底にある。

*2:このゲームにおいて大谷吉継ハンセン病により反社会的な正確を持つかのようにキャラクター設定され、それが日本ハンセン病学会から批判された。その後、ハンセン病を思わせる描写は削除されている。

*3:個人的には、2ちゃんねる……正確には、一部の発言を編集してまとめたブログであり、2ちゃんねる全体で見れば、様々なスレッドで正しい指摘がなされている可能性はある……の倫理観や知性から考えて、予想されたとおりの反応だと思った。

*4:同時に、フィクションが必ずしも現実の病状を正確に描く必要はない、と指摘する配慮もしている。

*5:引用時に太字強調を行った。

*6:手術後に行うべき抜糸を忘れられ、傷が化膿したという。さすがに再手術料はとられなかったが、数百円の診察料はとられた。補償は何もなし。

*7:国籍法改正時の誤った発言は、今でも問題だと思うが。

*8:記事によると、看護師に応対した副院長とは別人とのこと。