法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

比較政治学者の浅羽祐樹氏が1ヶ月前に論評していた韓国の新型コロナウイルス対策についてメモ

症状の軽重を問わず検査をしているとして、韓国政府の方針を批判した中央日報を「トリアージなきPCR万能論者に読んでもらいたい」と評価していた。


日本語版、出たんですね。トリアージなきPCR万能論者に特に読んでもらいたい。病院のベット数も、医師・看護士も、医療資源には限界がある中で、適正に配分するのが文字どおり死活的か。

しかし検査の文脈で「トリアージ」という言葉を使うべきではないとも思うが、政治学では正しい用法なのだろうか。
そもそも浅羽氏自身も、「全員」検査したという具体例は感染源となった新興宗教団体に対してと書いている。


韓国の場合、「新天地」という新興教団がクラスタ感染源になり、人々の不安が一気に高まり、信者を全員、PCR検査。MERS後の制度改正で、陽性の場合は軽症者も入院させたところ、感染者続出でベット数のキャパ超え。自宅待機中の重傷者が死亡する件が続き、ようやくトリアージに基づいて対応を差別化。

つまり配分はしようとしていたが、感染源との接触がうたがわれる範囲がひろすぎてリソースが不足したということではないのか*1


浅羽氏自身は、状況がおちついてから各国の対応について検証すべきという考えではあるらしい。


感染の状況や人々の反応が異なるのに、「PCR検査をバンバンする韓国すごい」「PCR検査をさせずに感染を隠す日本ダメ」論が散見されて、それはそれとして日韓対照法として興味深いと思っている。
これ、状況が落ち着いたら、感染状況以上に、各国の対応になぜ差が生じたのかをしっかりと検証すべき。

ただ後日のツイートで、浅羽氏は韓国政府などの「検査の規模や検査結果の透明性は、世界が新型コロナウイルスの特性や致死率などを把握する上で役立っている」*2といった認識に対しては、明確に批判している。


PCR検査総数を誇るなよ。ポイントはそこじゃないだろ。これに尽きる。


防疫の能力や成果をどのように(自己)評価するかは様々だが、検査総数や感染者数よりも死亡者数の多寡こそ気にならないのかと素朴に疑問である。

1ヶ月たち、韓国の新規感染者数は減少をつづけつつ新たな死者も出ていて、まだ予断を許さない状況ではあるようだ。一方で日本は検査能力そのものが不足していることが明らかになりつつある。
「検証」できるようになるのはいつのことだろうか。ずっと先のことになるとしても、そのために記録は残されるべきだが……

*1:参考として、感染症の専門家として知られる岩田健太郎氏が、3月27日に「ほとんど、これまでも繰り返し申し上げてきたこと」という位置づけのブログエントリで、「韓国と日本の違いは、「結果」であって「目的」ではない。感染者が一所で急増した韓国ではその地域と周辺の検査を重点的に行わねばならなかった」と指摘している。 georgebest1969.typepad.jp

*2:jp.yna.co.kr