法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

南京事件否定論と中国共産党主張は同等の偽史ではない

当初は、よくある誤りと思っていた*1
JSF氏のつまらないトリミング - 法華狼の日記

thermalpaperthermalpaper 2009/10/09 02:19

少しでも軍事や歴史に興味があり、それについての知識を学んだ者ならば、これまで多くの専門家が研究調査を重ねながら未だに明確な定義付けに至っておらず、様々な組織の思惑により、必要以上の政治性を帯びてしまった南京事件について、信頼できる一次資料や根拠の提示をできない匿名のネットユーザーが、ブログのコメント欄程度で事件について軽々しく断言することは著しく知的誠実性を欠く行為であることがすぐに分かるでしょう。

あと、hokke-ookamiさんは「南京事件」について明確に定義できるようですので、是非信頼できる資料や事実を示して、「当時南京で何があったのか」を明確に定義して下さい。
言っておきますが、本田勝一の著作は「一次資料」でもなければ「通説」でもありませんから、そんなものを根拠にしないように。
あと、否定論者だと難癖を付けられてはたまりませんから先に言いますが、私は南京事件については「南京攻略戦の過程において、市街区及び周辺地域で多数の民間人に被害が発生した」ことまでは事実として認めることはできても、「具体的に何があったのか、どのぐらいの被害が出たのか」などについては未確定であると考えます。
個人的には秦郁彦氏が示されている説に賛同しますがね。

このthermalpaper氏は、以前に「実際、懐疑論者や中立論者が必ずしも論争の蓄積を理解しているわけではなく、細部では下手な否定論よりも明らかなトンデモに引っかかっている事例も少なくない」*2と書いた時、想定していた一人である。南京事件と呼ばれる出来事が歴史上存在したと認めている点では、確かに単純な南京事件否定論者ではない。
しかし、たとえば南京事件が様々な組織の思惑により必要以上の政治性を帯びているという認識は、歴史修正主義者の宣伝に騙されていると評して過言ではないだろう。政治の場においても、日本政府は公式に南京事件の実在を重ねて認め、旧日本軍人の団体さえ一定程度まで認めて謝罪している。もはや実在に関わるような領域での争いは、学問はもちろん政治の場でも行われていない。
念のために注意しておこう。破綻した主張を一方がくりかえすのは、議論ではない。それを議論と認識し、あたかも肯定論と対等な否定論が存在するかのように思うのは、歴史修正主義に与する態度でしかない。対立する論と対等と思われたり、未検証であるかのように思われれば、誤った説を何度となく最初から議論の場に置き直すことができるからだ。

thermalpaper 2009/10/09 09:43

そもそも「南京事件」の「通説」とは何でしょう?
「旧日本軍が南京市街地で組織的に30万人以上の民間人を短期間に虐殺した」は中国共産党の主張ですが、これが「通説」ですか?

この返答で、thermalpaper氏が中国共産党主張を知らないことが明らかになった。中国主張での死者数30万人は、民間人だけでなく軍人もふくめた数字である。


しかし別のエントリでやりとりしていると、どうやら思っていた以上に様々な誤解をしているらしいと気づいた。
『1937 南京の真実』の真実 - 法華狼の日記

thermalpaper 2009/11/19 01:58

私が懐疑的姿勢を持っているのは、事件の期間、規模や死者数、日本軍の組織的関与の度合といった「態様」の部分であり、その部分において、中国共産党やその影響下にある証言者の主張をそのまま採用するスタンスは取れないと申し上げているのです。

影響下にある証言者というのも、後述するが粗雑な把握だ。

thermalpaper 2009/11/19 07:59

中国共産党の主張が史学上完全否定論と同程度の信用性しかないと見られているのは既知の事項です。
ですが、南京事件に関してはその「態様」に争いがあり、史学上明確な事実が定義されておらず、南京事件という言葉だけが一人歩きしている現実も存在します。

さしあたり、南京事件の「定義」もわからないのに、「既知の事項」を勝手に決めてしまう神経が、私には理解できない。
そして具体的な「既知の事項」の中身だが、ここに明らかな思い違いがある。
南京事件否定論中国共産党主張は同程度の誤りではない。どちらも日本の歴史学では基本的に採用されていないが、その理由は異なるのだ。
南京事件否定論は検証の結果、ずっと昔に誤りが明らかとなっている。その主張する犠牲者数は、全くありえない規模だ。細部の論証でも、根本的な誤りや捏造が多々見られる。学問的研究の名に値しないのだ。
中国共産党主張は検証内容公開不足で、未検証の領域も残されている。その主張する犠牲者数は、ありえない規模ではない*3。充分な根拠を持っていないだろうとは細部の論証についても、情報公開や吟味が不充分であり、正しいとも誤りともいえない。


もちろん、中国共産党にとって不利な情報があるため公開や議論がなされないのだという疑惑も理解できないではない。だが、だからといって証言や資料を頭ごなしに否定できるわけではない。
それこそ秦郁彦教授も批判しているような、加害者側の御都合主義な願望にすぎないのだ。
「ありえない」論法と否定論存続の背景 - Apeman’s diary*4

日本側の弱みは被害者である中国政府の言い分に対抗できる公的資料が欠けていることであろう。加害者側の記憶や印象で、「誇大にすぎる」「見たことがない」「ありえない」と主張しても、説得力は乏しく、法的反証力はないにひとしい。せめて憲兵隊や法務部の調査報告書があれば、個々に突き合わせて具体的なツメが可能なのだが、久しく捜しているのに、まだ見つからない。
(206頁)

ここには「加害者側の根拠のない主張が相手側や第三者に受けいれられる可能性は乏しい」という当たり前の常識がちゃんとはたらいているうえ、日本側の責任で真相が不明になっている側面への配慮もあります。また、トータルで約4万人という犠牲者数推定が新たな史料により上方修正される可能性を認め(増補版では否定)、30万人じゃないから「大」虐殺ではないといった主張もしていません。

実際に日本の資料や議論と比較しても、中国共産党主張に大きな誤りは見出せない。むしろ南京事件論争史をふりかえると、中国共産党側の証言や証拠だからと軽く見て批判していた否定論者こそが、根本的に誤っていた例ばかりだ。
たとえば、本多勝一記事でとりあげられた百人斬り証言。兵士が匿名表記だから事実ではない「伝説」だろうと山本七平は指摘したが、即座に証言を裏付ける日本側資料が提示された*5。ちなみに、百人斬りが日本でも報じられたことは当該証言でも言及されており、他の中国側証言と比較して検証が容易だと見当をつけられてもおかしくない。なぜわざわざ日本側資料で裏付けやすい証言を選んだのか、後から考えると少し不思議ではある。
何にしても、中国共産党の影響下にある証言者だからといって、単純に切り捨てられるものでもないのだ。


そもそも当該コメント欄でも指摘したのだが、中国共産党の主張は、いくらか国民党の主張を踏まえたものだ。国際的に前面で主張した順序から考えても、中国共産党固有の問題が関わる余地はほとんどない。死者数へ注目してみると、国民党より少しばかり規模を低く見積もっているとすらいえる。
マンガ『1937南京の真実』は、日中戦争が勃発した黒幕として中国共産党の存在をにおわせている。しかし、南京事件当時の中華民国は国民党政権であったこと、南京事件が同時代に他国で報じられたこと自体は認識していた。そのため、証言者を国民党の関係者と主張することで説得力を削ごうとしていたわけだ。
南京事件を否定するためには、まず国民党主張へ反論しなければならない。それを理解しているという意味では、「いかんせんレベルが低すぎ」と批判したthermalpaper氏よりも、『1937南京の真実』制作者は正しく状況を認識しているのだ。


考えてもみよう。激しく対立した組織、しかも一方は一定程度の民主的な制度下*6にある。もし一方が捏造した情報があるならば、もう一方から多少なりとも漏洩すると考えるのが自然だろう。これは、冷戦で対立していたソ連の監視を月着陸陰謀論が無視することと通じている。
中国は一党独裁政権を続け、報道や表現の自由を奪っているわけだが、不都合な情報が全く漏洩していないわけではない。中国国内で起きた*7文化大革命天安門事件、近年まで続く少数民族抑圧等々さえ、他国へ情報が通じて、一般にも報じられている。対して南京事件は中国や日本だけでなく第三者国まで関わっており、その広がりを考慮すれば、証言を隠しおおせるはずはないのだ。これも、アポロ計画に関わった人数の多さを月着陸陰謀論が無視することと通じている。


思えば、中国共産党への不信感を根拠にすることは、古典的で素朴な南京事件否定論ではある。しかし30万人説よりも国民党主張の犠牲者数が多いことが周知されたりしたためか、あまりインターネットでは見かけなくなった。
南京事件否定論が誤っていることは認めつつ、中国共産党への素朴な不信感は表明せずにいられない態度は、一周まわって目新しい。大枠だけ歴史学上の結論にそおうとしても、必ずしも主張に妥当性があるわけではないという一例だ。

*1:定義に疑義を持つことに大きな意味を見出す姿勢は、定義を変えることで実態としての問題も消えるかのような思い違いに通じている。この問題はいずれエントリを改めて俎上にしたい。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091104/1257357611

*3:http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.htmlで、ゆう氏が史実派と比較する表でまとめている。線引きが異なりつつも、個別の地域における数字は日本の歴史学と意外に重なっていることがわかる。

*4:引用内引用は、中公新書南京事件』の記述。

*5:『殺す側の論理』朝日文庫版187頁以降。

*6:台湾も長く国民党の軍事独裁が続いていたが、近年は選挙による政権交代が行われている。ある程度まで民主的な国家と呼んで過言ではないだろう。

*7:チベット等も共産党支配下にあるため、ここでは仮に「国内」へふくめる。