法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

仕事帰りに

鶴と蛙。


以下、猫好きの人は読まない方がいいだろう話。


仕事帰りに海岸で自動車を走らせていた時、猫を轢いてしまった。道路の左端で寝ていた猫が、突然はねおきて自動車のすぐ前を横切ろうとした。作業用の古い自動車ということもあって、けして素早く飛ばしていたわけではなかったが、必ず轢いてしまいそうな距離と時間だった。
あわててブレーキをかけたのはいいが、左に塀があったからと右へハンドルをきったのが失敗だった。とっさにタイヤの間をすりぬけさせようとしてしまったのだ。直進すれば、右の前輪にさえ引っかからなければ、猫にぶつかることはなかっただろう。
田舎道だったので他に自動車は走っておらず、道路の真ん中で止めてすぐ降りると、後輪の間で猫が全身を使って痙攣していた。その身体を曲げ伸ばしする大きな痙攣は何度か続いて、やがてかくりと頭をアスファルトへ落として動かなくなった。
田舎に動物病院などありはしない。走っていた場所は、人間相手の小さな診療所すら山を越えてようやくたどりつくような田舎道だった。
自動車を路肩へ止め、死体が通行の邪魔になると頭のどこかで合理的に考え、両手を猫の下に差し入れて、浜辺へ持っていった。体温が熱いくらいに感じた。右手の指先が血に濡れ、野良猫らしい細く白い無駄毛がてのひらにからみついた。
そして浜辺の草むらに置こうとした時、びくんと猫が身体を動かした。ああ、まだ生きているのだとようやく気づいた。だが、手当てをしようにも何も思いつかず、せめて痛くないような柔らかい草を選んで置くしかできなかった。よく見れば猫の怪我は右肩だけで、外見からは致命傷らしきものはうかがえなかった。
自動車を走らせながら、ずっと嫌な気分が残った。生きていたとしても、後遺症は残るだろう。


たまたま今、動物虐待を題材にした書籍を読んでいる。なぜこのような気持ちをかかえるような行為をわざわざする人がいるのか、感情的に理解できない。逆に理屈ではわかるつもりなのだが。