法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム00』大地と薬(後編)

『機動戦士ガンダム00』大地と薬(前編) - 法華狼の日記

 プロローグ・4


 月がめぐる。日がめぐる。
 衛星軌道を回る宇宙船では、月も太陽もひととき待てば出会い、惜しむ間もなく別れる。
 その宇宙船プトレマイオスの一室で、青く輝く地球を一組の男女が見下ろしていた。
「スメラギさん、作戦プランは本当にあれで良かったんでしょうか」
 青年の問いに戦術予報士は首をかしげる
「さあ……難しい問題ね。任務自体の遂行は難しくないわ。いくら紛争で多くのモビルスーツが反政府勢力に流出した地域といっても、しょせんは中古のアンフ。ロックオンの技量にハロの補助、ガンダムの力をもって敗北するプランを立てる方が困難ね」
「彼我の戦力差は圧倒的……」
 青年は自分に言い聞かせるようにうなずく。
 そんな様子に、スメラギは首をふった。
「だけどアレルヤ、あなたの懸念もわかる。人革連も放置するような弱小勢力に、私達があえて介入する必然性は見当たらない。何より……」
 窓越しに見える眼下の地球へ目をやる。
「保護対象の難民が全滅すると予測される作戦なんて、ソレスタルビーイングにとって敗北と限りなく同義。他にずっと効果を上げられそうな介入対象は無数にあるのに」
「……僕達のガンダムは、どう言いつくろっても戦うための道具です。人を守る力はほとんどない。それでも、介入することがヴェーダの意思……なぜでしょうか」
 きっと、儀式なのだろうとスメラギは思う。超人機関を消滅させることでアレルヤが過去と決別したように、ロックオンにもソレスタルビーイングの一員として成長する機会をヴェーダは与えるつもりなのだ。いくら模擬戦闘をくりかえしても実戦にまさる鍛練はない。いずれ刹那達にも自らの過去と向き合う戦いが与えられるだろう。
「せめて、ロックオンにとって幸福な結果となることを祈るしかないわ。……神頼みなんて、戦術予報士失格だけどね」
 苦笑するスメラギに、アレルヤは渋い顔を返した。
 この介入は、しょせん無数に存在する作戦行動の一つだ。世界からも特別に注目されることはないだろう。どれほどの悲劇が起ころうと、どれだけの奇蹟が生まれようと、すぐに忘れさられるに違いない。
 アレルヤもスメラギも、きっと長引く戦いの中で、このような会話があったことを忘れていく。琥珀色の液体に浮かぶ泡のように。
 そしてまた日は地球に隠れ、大地も海も黒く染まる。影になった大陸で交通信号のように明滅する小さな光は、今そこで戦闘が行われていることを示している。つまり光はまさしく遠き叫びを知らせる信号なのだ。
 また、戦いが始まる。


 エピローグ・4


 太陽が山なみに隠れ、空が暗い紺色に染まる。
 少女が一人の子供に近より、粘土遊びに使っていた乳白色の塊を取り上げた。
「遊びは、もうおしまい」
 てのひらに何も無くなった子供は、ぼんやりと自分の手と少女を交互に見て、やがて顔を崩した。
 ひきつけを起こしたように鳴咽する子供を見下ろし、少女は語りかける。
「おしまいなのよ」
 自分へ言い聞かせるかのように、はっきりとした口調で。すぐに子供は涙を止め、ぐずりながらもうなずく。
 少女は乳白色の粘土をしばしながめ、捨ててあった空き瓶に押し込んだ。ポケットを探ると、子供からあずかっていた雷管が見つかった。これも空き瓶に押し込む。
 ふいに風が吹き渡り、少女は髪を押さえた。冷気が乾いた肌を突き刺す。遠い山風が叫び声をあげている。
 背後の天幕で、人々が起き出す気配がする。
 少女は首から下げた十字架を握りしめる。


 アンダーソンは血に染まった薄い手袋をバケツへ脱ぎ捨てた。ロックオンもそれにならう。二人とも厳しい表情だが、切開手術は成功したし、母子とも命に別状はない。
 問題は、荒野を横切る逃避行に母体が耐え切れるか。そして、早すぎた赤子を保護するため、合成樹脂の袋で作った簡易保育器がもつか、だ。
「とりあえず、あの母親でおしまいですね」
 ロックオンの問いに、医者は振り返らず首肯する。
「ああ、おしまいだ」
 薄いシートを天幕の天井から吊るして作った簡易な手術室。そのすそを持ち上げると、患者がひしめく光景が目に入ってくる。添え木を乱暴に包帯で巻き付け、あるいは鉄パイプを組み合わせた粗雑な松葉杖をつき……そんな惨澹たる有り様で、しかし精一杯に自分の足で立とうとする者達がいる。
 ロックオンは歩行も満足にできなさそうな患者を数え、うなった。
「ハンモックでもあれば、モビルスーツに吊るして運んでやれるんですがね……」
 医者に耳打ちした言葉が聞こえたのか、荷物をまとめていた中年の男が笑った。
「けっこうですよ。もし戦闘が始まれば、三階の高さから捨てられることになるわけで、そんなら自分の足で歩くのがマシですわ」
 頭に包帯を巻いているものの、四肢に異常は見られず、元気があり余っているらしい。荷物をまとめた後、周囲の患者を手助けしている。医者が男に黙って頭を下げた。感謝しているという意味なのだろう。
 ロックオンは天幕を出て、背筋を震わせた。何もない荒地らしく、ずいぶんと冷たい風だった。天幕の中も相当に冷えて患者を苦しめていたものだが、それでも外よりは風が無いだけでも良かったのだと気づかされる。
 マスクを脱いで一息つく。周囲はずいぶん暗くなっており、顔を撮影されるような恐れもない。手術の汗で濡れた顔をぬぐう。
 見上げれば、星が一つだけ輝いている。金星だろうか。プトレマイオスではないだろう、姿を隠す機能を働かせていなければ世界中から憎悪が実力として向けられる。
 それでもロックオンはしばらく空をながめ、プトレマイオスの姿を探した。首が痛くなるほど空を見あげたが、いくつか星が流れただけだった。
 命のように光が流れ、消えていく……


 いくらか元気で夜目が利く男達を先頭に、人々が歩き始めた。
 親は子と手を繋ぎ、動けない者は簡易な引き車に乗せられ、老人は車の後部に手を置いて倒れないように杖の代わりとする。
 背後には天幕を残してある。テントといっても、丈夫な柱を何本も立てた上に厚い布をいくつも重ね、地面に打ち込んだ杭からワイヤーをわたした、丈夫なものだ。先進国の個人がレジャーキャンプに用いるようなテントと違い、解体するには時間も労力もかかる。それよりも、去ったことを敵にしばらく気づかれないよう残しておくのが賢明だ。
 ロックオンは十数時間ぶりに白衣を脱ぎ、パイロットスーツを身に着けた。昔は機械に拘束されているようで、わずらわしさを感じていたが、今は身体にしっくりくる。
「……しっくりくる、ようになっちまったな」
 患者の半分が天幕を出たころ、医者も腰を上げた。医者は重傷者を直せるが、病人は重症を負った医者を直せない。最も安全な列の中間を歩くのが最善だ。
 医者の背中から視線を外し、ロックオンは少女の姿を探した。医者が安全な場所にいることを当然とすべきように、未来ある幼い子供も安全な位置にいるべきだろう。しかし、子供達はきちんと列を作っているのに、少女の姿は見当たらない。
「まさか、用足しじゃないよな」
 そういう準備はきちんと先にすませる性格だろう。少ししか会話していないが、それくらいはわかる。念のために質問したが、やはり子供達は首を横に振る。
 周囲を見渡し、ふと先を行く人々に目をやった時、ロックオンは医者に何か耳打ちしている少女の姿を見つけた。
 腰をかがめた医者の耳元に少女が口をよせ、何を聞かされているのか医者は深々とうなずいている。言葉の内容はロックオンに届かなかったが、医者の見開いた目から、何らかの異常事態が語られたことはうかがえた。
 そして医者と少女は人の群れから離れ、進行方向を横目に歩み去っていく。
 ロックオンは急いで走りよった。
「……何があったんです」
 周囲を不安にさせないよう、小声で問いかける。
 少女がふりかえり、すぐに目をそらした。そのしぐさ、その姿に、どこか見覚えがあった。
 重ねて問おうとすると、医者が立ち止まった。ロックオンへ向き直り、正面から見すえる。
「皆をたのむ。時間はない」
 ただそれだけを言い残し、医者と少女は横並びで歩み去っていった。


 釈然としないものを感じつつ、ロックオンは人の列に戻った。
 子供達に先に行くよう指示しながら首をひねる。去り行く少女に感じた、不快な違和感の正体がわからない。
 しばらく悩み、少女が十字架を首にかけていなかったこと気づいた。赤錆びた、しかしそれでも大事そうに扱っていた鉄の十字架。さほど重くもなければかさばりもせず、置き捨てる必要があるとは思えない。どこかに落としたということも考えにくい。……子供にあげたか、あずけでもしたのだろうか。
 ふりかえると、少女と医者は遠い潅木の影で立ち止まっている。いつのまにか空一面に薄雲がかかっており、はるか先に沈んだ太陽の光を反射し、異様なほど明るい。ヘルメットのバイザーを上げると、青灰色にぼんやり光る空を背に、少女と老人が潅木の側で黒い影となっていた。
 いっぷくの宗教画にもなりそうな光景だった。
「宗教とは阿片、神とは幻覚。たよらずにすめばいい、すがらずにいればいい」
 ふと、そんな言葉を思い出した。
 ほんの少し、夕陽の残映たる赤い光が空と山にさしている。頬を冷たい風がなでる。遠い山を風が越える、その轟きが体の芯にまで響く。
 ソレスタルビーイング以外を信じなくなり、そもそも他の神を信じる資格のないロックオンにも、敬虔な気持ちを呼び起こさせる風景だった。
 そう、本当に少女の十字架がふさわしい光景だ、と思いつつ、並んで逃げる人々の方へ向き直る。天幕に歩みより、残った最後の集団にも外へ出るようにうながして……


 群集の先、突如として赤い光が生じた。
 しばし遅れて発射音と着弾音が響いてくる。衝撃波が届く前にロックオンは地面へ伏せる。近くにいた者もひきずりおろすように伏せさせた。すぐに小石と土砂が吹き飛んでくる。
 背筋を悪寒がかけめぐり、熱いものを胃に飲み込んだかのように体がしびれる。ロックオンは自分に言い聞かせる。大丈夫だ、実体弾による初弾は風向きを確かめ、照準を調節するための試し撃ち。実際、伏せながら目に焼き付けた光景では、列の先頭よりはるか先で爆発が起きていた。しかし次は必ず当ててくる。
 山のふもとで金色の光が明滅する。モビルスーツに装備された遠距離用の火砲だ。
 超音速で空気を切り裂く音をたて、光弾が天幕へ飛んできたかと思うと、垂直に天へと昇った。まるで見えない力で天幕が守られているかのように。同時に、教会を思わせる荘厳な音色が響き渡る。高らかな鐘の音。
 天高く上がった光弾の爆発で空が赤く染まる。夕陽と異なる、鉄の臭いがするような黒い赤。照明弾ではない。
 鐘の残響が鳴り続ける中、ロックオンは腹ばいの姿勢からわずかに身を起こし、天幕へと走り出した。ざわめき叫ぶ人々をかきわけ、流れに逆らい進む。喉の奥から声を出して叫ぶ。
「俺だ! ガンダムマイスターだ!」
 流れと逆らう者の正体に気づいたのか、人々が動きを止めた。
 徐々に興奮が収まっていき、やがて人垣が二つに割れ、天幕までの通り道ができる。ロックオンは人々の間を駆け抜け、天幕の屋根を見上げた。
 宙に波紋が生まれたかと思うと、鏡の破片に似た物質が剥がれ落ち、虚空から暗緑色の装甲が現れた。高らかに鐘が鳴ったがごとく聞こえた金属音は、砲弾が装甲に弾かれたものだった。
 暗緑色の装甲が縦に割れ、跳ね上がったかと思うと一対の羽になり、内部から白き巨人が姿を現す。デュナミスは光学迷彩をしたまま、ずっと天幕を守っていたのだ。
「待たせたな、ハロ」
 光学迷彩を解いたガンダムデュナミスはコクピットハッチを開け、ロックオンを迎い入れた。
 操縦席の脇、球型をした自律機械から電子音声がロックオンへ語りかける。
「ハロ、マチクタビレタ」
「そうだな……いや」
 ロックオンにとっては早すぎた。もし出番が来なければ、それで良かった。
 下方を映すモニターに、攻撃されていることも気にせず子供達が手を振っている。自分達を守ってくれる巨人に歓声をあげている……
 流血と疫病と飢餓にまみれていたが、悪い時間ではなかった。厳しい現実を忘れていられる、素晴らしい時間だった。
 短く、嘘みたいな夢だった。
「イコウ、ロックオン」
「……ああ」
 ヘルメットのバイザーを下ろす。
 緑の翼を持つ白い巨人がゆるやかに体を起こし、双眸を輝かせる。
「……狙い撃つぜ」
 立ちふさがる全てのものを。


 プロローグ・5


 地平線の先に、天へ向かって屹立する金属壁の突端が見える。
 融けてねじくれ、ゆるやかな螺旋を描き、大地に長い影を落とす。
 表面は大気圏突入時の熱で焼け、塗装が剥がれて灰色の地金が露出している。
 ロックオンは腰に手をあて、薄く色だけついた無味無臭の茶をすすった。連続した長い手術で乾いた喉に、熱い潤いが心地よかった。次に診療を始めるまでのわずかな休息が、生きているという実感をくれる。
「たいしたもんです。石油を奪って争っていた時代に、あんな巨大な船が宇宙を飛び交っていたなんて」
「戦争のためなら、いくらでも金と人と技をドブに捨てるのが軍人だろう。いいかね、戦争そのものが人類の最も愚かで大きな浪費なのだ」
 隣に座るアンダーソンが言葉を返す。
「しかし軌道エレベーターも未完成だった時代ですよ。何に使用するためであっても、感心してしまいますよ」
 感動半分、呆れ半分にロックオンは首を左右に振る。
「あれはただの宇宙船の残骸だ」
「でも、神ならぬ人の成し遂げた、辿り着いた証でもあります」
「しょせん天には届かなかった、退廃都市の塔にすぎない」
 聖書で語られるバベルの塔。天まで伸びようとする建造中の塔を見て、神は怒り打ち崩した。そして人々が用いる言語を別け、意思の疎通が行えないようにし、協力して神の領域にふれようなどという気を二度と起こさないようにした。人々が互いに争うようになったのは、この時からだという。
「塔を嫌う神は人々を争わせる。ならば俺は……」
「……神を殺すかね?」
「いえ、天使になろうとしているバカを一人、知っています」
 小さな背丈の少年が脳裏に浮かぶ。
「そして俺も……」
「宗教とは阿片、神とは幻覚。たよらずにすめばいい、すがらずにいればいい。ただ、それだけのこと」
 極限の現場に立つ医者らしい、唯物的な言葉だった。
 ロックオンは肩をすくめて苦笑した。


 エピローグ・5


 デュナミスは、巨大な粒子砲を山並みに向けたまま、微動だにしない。できない。
「なぜだ……」
 狙いをつけるための初弾、天幕に向かった第二弾、敵の攻撃はそれだけだった。アンフは後退して山並みに姿を隠し、ガンダムのセンサーでも見つけられない。
「こちらを怖れているのか……いや、しかし……」
 光学迷彩を解いて姿を現したガンダムは、弱小武装勢力にとって脅威だろう。しかも子供達を助けた際に実力を知らしめておいた。存在するだけで充分な威嚇になる。
 しかしそれならば、そもそもなぜ今この瞬間に襲いかかってきたのか。
 難民への医療活動を行っているアンダーソンは反政府組織にとって邪魔ではあるが、体面を守るために攻撃できなかった。逃亡の準備を始めた事で考えを変えたのだとしても、ガンダムが護衛している今は利点がない。
 もし攻撃されるとすれば、ガンダムが難民の護衛をやめてから人革連基地に到着するまでの間だろう、とロックオンは予想していた。ソレスタルビーイングと人革連が堂々と協力することはできない。一度だけ軌道上の救援活動で協力したことはあったが、そのためソレスタルビーイングが人革連の秘密組織であるかのような疑惑をまねいてしまった。互いに立場を悪くするような協力は、たとえ現場の独断でも二度と期待できない。
 逆に、武装勢力を排除するガンダム自体が目標だったとすれば、姿を現した今こそ激しい攻撃を加えてくるはずだ。ガンダムが姿を現した途端に戦闘を停止した理由は、政治的な意図か、それとも……
「ワナ。コレハキット、ワナ」
 ハロが忠告してくる。
「ああ、わかっているさ……」
 だが、罠の正体がわからない。
 多対一で疲労を待っているのだろうか。しかしガンダムは半永久的に稼動する能力がある。もちろん生身の操縦者は疲労するが、旧式のアンフに比べれば安楽椅子で休んでいるような快適さだ。一方でアンフは行動しているだけで燃料を食うため、膠着しているだけでも弱小武装勢力にとっては打撃となる。
 現状が罠だとしても、反政府組織がガンダムに勝利しうる可能性は皆無なままだ。
 考えられるのは、ガンダムでも医者でもなく、難民を足止めすること自体が目的という可能性。
「しかし、今さら足止めしてどうする……」
 いつまでも膠着状態でいられない以上、足止めできる時間も長くはない。
 ロックオンはモニターを見つめながら考えをめぐらせる。
 それ自体が罠ということを気づかずに。


 やがて、焼けつくような焦燥感とともに、脳裏をかけめぐる情報が一つの形をなす。
 ……爆弾で殺された母親。爆発自体の威力ではなく、爆弾の内部に仕込まれた金属片が肉を裂いていた。
 ……乳白色の塊で粘土遊びをしていた子供。天然のものとは思いにくい色合いの粘土。あれは合成樹脂の一種だ。
 ……雷管で遊んでいた子供。少女がとりあげた雷管はどこにある。子供達が周囲を走りまわり、地面は堅くて穴など掘れず、捨てる場所はない。
 ……二度砲撃しただけで様子を見ている敵。何を待っている。時間がたつほど不利になるはずだ。
 ……敵の攻撃につられてガンダムへ乗り、遠くへ注意を向けている俺。そもそも俺は何のためここに来た。
 ……粗末な十字架を首からさげていた少女。少女が神を信じていないならば、十字架はただの金属片にすぎない。
 ……少女に連れられて皆から離れた医者。命を賭してまで皆を助けた者が逃げるはずはなく、ならば離れたのは皆を助けるためだ。
 合成樹脂の性質を、かつて爆弾テロを被害者として経験していたロックオンは知っていた。思い出さなければならなかった。……あからさまな計画じゃないか。
 ようやく気づいた。
 この大地に降りて、見聞きした全てのことが、ある一つの策略を指し示している。
 ロックオンは狙撃用スコープから目を離し、後方を映すモニターへ視線をやろうとする。機体の向きを変えたいのだが、操縦桿が重く、ペダルも堅い。肉体の反応が遅く感じる。筋肉が悲鳴をあげるほどに力を込めても、間に合わない。思考ばかりが速度をあげ、まるで世界と自分が静止したかのようだ。
 ……そうか、これが戦術予報士の見ている風景か。
 酒浸りな日々を送っているスメラギの気持ちが、少しだけ理解できた。戦局の全てを見通せる材料がそろった瞬間、できることは何もない。自ら予報した結果を傍観するしかないのだ。
 視界の片隅にハロが見える。いつもの無表情で、じっとロックオンを見ている。
 声にならない絶叫。デュナミスの後方に小さな閃光が走る。潅木から土煙が上がり、少女と医者の姿を隠す。
 大地に火薬の音が響く。それは不思議に感じられるほど軽い音だった。


 インタールード


 人革連北部に位置する難民キャンプへ介入するよう、ヴェーダプトレマイオスへ指示。目的は無償で難民への医療活動を行っている医師を周辺の反政府勢力から保護すること。
 周辺地域が見通しの良い平野であること、反政府勢力に飛行可能な兵器がないという情報から判断して、スメラギ・李・ノリエガはデュナミス単機による介入を決定。
 しかし早急に目標人物を保護する作戦計画でありながら、デュナミスの操縦者ロックオン・ストラトスは、脱走者を攻撃していた反政府勢力に独自の判断で武力介入。さらに難民キャンプで医療活動に協力し、難民全員の脱出を提案。わずか一日にも満たない予定外行動であったが、作戦遂行には致命的な遅れとなった。
 もともとデュナミスが介入した脱走は武装勢力の意図したものであり、何も知らない子供を使って爆弾の材料を難民キャンプに持ちこむ計画だったと思われる。プラスチック爆薬らしき合成樹脂を子供の一人が持っていたと、後にロックオンはプトレマイオスで証言した。
 武装勢力の陽動作戦によりロックオン・ストラトスの注意がそらされた時、難民キャンプに入りこんだ少女の自爆テロで医師は死亡。武装勢力に所属しない少女が暗殺したという形式をとることで、他の反政府組織による非難をやわらげる意図があったと思われる。使用された爆弾は、空き瓶にプラスチック爆薬と金属片を詰め込み雷管で起爆する簡易榴弾。人革連に逮捕された武装勢力構成員の証言によると、期限内に目標を暗殺すれば難民キャンプへの総攻撃はしないと、少女は教えられていた。
 さらにデュナミスと武装勢力が交戦した結果、難民キャンプは全滅したと記録される。宣伝効果を考慮し、ソレスタルビーイングが武力介入を公表することはなかった。
 なお、自爆テロで死亡した実行犯の詳しい来歴は不明。幼少時に誘拐され、武装勢力によって育てられたと推定されるが、近辺では同様の誘拐事件が多発しており、出生地や本名は特定できなかった。


 エピローグ・6


 発射した全ての砲弾が空中で撃ち抜かれた。
 恐慌した者達が、神の名を呼ぶ。たよる、すがる、みじめなほどに。
「なぜ見つかる! なぜ当たる!」
 アンフの操縦者が絶叫した。
 先行した機体が左脚部を撃ち抜かれてもんどりうったかと思えば、立ちすくんだ機体も腰部をもがれ、倒れた味方の影に隠れようとした機体まで火器ごと右腕を砕かれた。
 後退するよう命令が下る。いわれるまでもなく、動けるアンフは倒れた味方を見捨てて下がり、はいつくばるような姿勢で起伏の影に隠れた。そして斜め上方へ砲口を向け、砲撃を再開する。姿を隠して敵を攻撃できる点で、重力に引かれて放物線を描く実体弾も利点があるわけだ。ほぼ直進するビームでは、こうはいかない。
 たちまちデュナミスの周囲に砲弾が降り注ぐ。
 だが、デュナミスはビームピストルを両手に持ち、敵弾全てを起爆前に撃ち抜いた。飛び散る破片もほとんどが空中で蒸発する。
 だが……
「死ね!」
 最後の砲弾が、狙い撃たれるより前に空中で炸裂した。通常の爆発ではなく、煙が飛散しながら降り注ぐ。デュナミスが煙に向かってビームを撃つが、何の効果も見られない。ビームを減衰させる等の、デュナミスを狙った攻撃ではない。
 デュナミスの周囲をゆっくりと煙が覆っていく中、アンフは退却していった。


 大地に降りたロックオンは、潅木の影に倒れる二人を見つけた。
 どちらも生きているのが不思議なありさまで、もう手の施しようがないとわかる。それでも少女に近づき、顔に突き刺さったガラスの破片をいくつか抜いてやった。
 朝日が射す少女の顔は、身ぶるいするほど青白かった。
 少女が口を開け閉じしていたので、ロックオンはヘルメットの聴力機能を最大にして顔を近づけた。
「……アンダーソンは死んだ?」
「いや……だが、もう助からない」
モビルスーツは」
「退却していったよ」
「子供達は」
「……皆は」
 ロックオンは口を閉じた。
「皆が死んだ。ああ、そう」
 少女は笑おうとしたのか、のけぞるように息を吐き、鼻から血が噴き出た。くちびるからも血があふれ、頬に垂れて落ちる。
「あいにく、そのような嘘をついても、困りはしません」
「……ああ」
「子供は怪しまれないための、ただの道具でした」
「……わかった」
 会ったばかりの少女とかわした言葉をロックオンは思い出し、反芻した。もし子供達を利用したのだとすれば許さない、そう少女は口にした。つまり許せなかったのは少女自身だ。
「コドモ、イキテル」
 ふいに上から声が降ってきた。ロックオンが見上げると、ひざまずいたデュナミスの操縦席で、ハロが目を点滅させていた。
「ほら」
 少女がくすくす笑う。
「……ねえ、どうせ死ぬもの。せめて顔をよく見せて」
 ロックオンは首を横にふった。
「残念、嘘がばれた男の、格好悪い顔を笑ってやろうと思ったのに……」
 少女は、ふいに泣きそうな顔を見せ、そのまま静かになった。
 顔を汚している血をぬぐってやる。傷だらけだが、奇麗な顔だった。


 背後から弱々しい声があがった。
「……やはり、皆は死んだのだな」
 上半身だけになったアンダーソンの声だった。
「何いってるんですか。あんたを皆が待ってますよ」
「君がヘルメットを取らないのが、証拠だ。おそらく神経毒か。距離があったためか、あるいは風のおかげか、我々は即死しなかった。むしろ、神経が麻痺して、傷のわりには苦しくない……」
 そう、最後の攻撃はガス弾によるものだった。空中で炸裂した後にガンダムが対処できることは何もない。息を止めて逃げようとしても、毒ガスは皮膚を通して侵入するので、全身を覆うパイロットスーツでもなければ防護することは不可能だ。
「ロックオン君、だったか……」
「はい」
「それほどに嘘が下手では、天上の者になることなど、不可能だよ。あのロボットに助けられたな。……しかし人を真に救えるのは、確固とした真実だ」
 差し出してくる右手を、ロックオンは両手で握りしめた。
「向こうで皆が待っている。私が来ることを。それを君が教えてくれた」
 メシア・アンダーソンは力を抜くように笑い、左手を天へ、高く遠く掲げた。
「待つのはつらかろう。すぐ私は行く。必ず探し出し、彼らの痛みを少しでも癒し、一人でも助けようと思う。今度こそ……」
 握りしめたメシアの右手が少しずつ重くなる。だからこそロックオンは言った。
「探し出せます、助けられます、あなたなら」
 伸ばされた左手が倒れ、右手も急に重くなった。そしてそれ以上に重みが増すことはなかった。
 見開いたメシアの両目にロックオンは手をかざし、そっと閉じさせた。
 ロックオンは思った。今、一人の救い主が大勢の羊を追って旅立ったのだ、と。


 プロローグ・1


 遠く遠く南の空に白く輝く円弧を背にし、筋張って浅黒く乾いた幼児を抱きしめ、男は歩む。
 泥に汚れて湿りまとわりつくズボンで足を重く引きずるように、しかししっかり土を踏みしめ、一歩一歩地平線の先にある野戦病院へ向かう。
 吐く息は白く、靴底から凍った土の冷気が浸透し、指先がしびれ痛覚も消える。じくじくと足先が湿って感じるのは泥が染み込んだのみならず、つぶれた血豆から体液が流れ出ているためだろう。つまり感覚の消滅は、歩みを止めかねない痛みをやわらげて、逆に幸いといえた。
 しかし上半身は熱く燃えるようで、傷の痛みが消えない。融けた装甲板に手袋ごしで触れてしまったため、掌に断続的な痛みと、皮膚がはがれた不快感を覚える。大気圏に燃え落ちてきた宇宙船から、ただ一人の幼児だけが救い出せた。実験体として隔離されていたこと、超兵として高い生存能力を持っていたことが、結果的に幼児を救った。しかしその命は今にも尽きようとしている。
 ふいに幼児がぐずり、皮が張り付くばかりの細い左手を天にさしのべ、そしてゆっくりと笑みを浮かべた。笑みは強張ったものではなく、筋肉がゆるんだような、自然だが同時に意思を感じさせない無意識の表情に近い。笑い声もあげたようだが、音にもならない、吐息のような空気の流れが生まれただけだった。
 後ろの空に何があるのかと、男は立ち止まることなく振り返ったが、巨大な未完成の円弧が白く輝くだけだった。
「……痛くないかい」
 男は両腕にかかえた幼児に向き直り、表情筋を意識的に動かして笑いかける。幼児は意識があるのかどうか、ずっと遠い果ての空を見ているようで、男の笑顔には何の反応も示さなかった。
 その遠い彼方に向かって笑顔を見せる幼児を見つめながら、男は思った。もしかすれば遠い空の円弧が円環に繋がる時、この世界は変われるのかもしれない、と……
 自らが歩む軌跡が、未完成の円弧を繋げる道のりにも思えて、男は幼児をゆるやかに抱きしめる。
 救ってみせると誓いながら。


 エピローグ・7


 少女に突き刺さっていた小さな十字架を、医者の痩せた胸に置いた。
「イキテル」
 背後から声がした。
「コドモ、イキテル」
「……ハロ」
 コクピットハッチの奥から、電子合成された声がする。
「もう、いいんだ。ハロ」
 医者も、少女も、すでに遠くへ旅立った。
 ハロはまたたきするように目を点滅させる。
「ハロ、ウソヲツクキノウ、ナイ」
「何を……」
「イキテル、コドモ、テントデ、ウゴカナイ」
 ロックオンは振り返り、天幕に向かって走り出した。ガスで変色した無数の死体を跳びこえる。
 もちろん、天幕の内部も死であふれていた。ある者は床に倒れこみ、ある者は寝台にすがりついている。
 やがて天幕の最も奥で、女が一人覆いかぶさるようにしている姿が見つかった。
 ロックオンは女の肩に手を置き、静かに引きはがす。女は床に崩れ落ち、何の反応も示さなかった。
「……嘘だろ」
 まるで冗談だ。
 簡易保育器に包まれた中から、小さな泣き声がする。
 そう、ここで生まれたばかりの命。合成樹脂製の袋で全身を覆われ、酸素補助されていたおかげで、かろうじて繋ぎ止められた命。
 ロックオンは袋に包まれた赤ん坊をかかえ、天幕の外へ出た。
 血溜まりの中、無数の屍の上、ただ一つ残された、意識も知性も芽生えていない、ちっぽけで弱々しい赤ん坊。すでに母は遠い世界へ旅立ち、帰ってくることはない。父は何者なのかもわからない。名前すらつけられていない。
 しかし、透明な膜を通して聞こえる声。
 腕を通して感じる鼓動。
 確かな重み。
 空を見上げる。
 そこにいる者へ問う。
 赤ん坊を見せつけるようにして。
「なあ、おい」
 見てるか。
「生きてるぜ」
 赤ん坊が、笑った。


 誰かの声がした。
 人類革新連盟軍の門兵が、声につられて基地門前に歩み出る。仲間の静止する声を尻目に、誰かが門前に置いた籠を覗き込んだ。
 蔓を編んだ古臭い籠には白い布が敷き詰められ、赤ん坊が寝かしつけてある。門兵は眉をひそめ、しかしすぐに笑顔を見せた。新婚の門兵にも、子供が産まれたばかり。泣き声につられて歩み寄ったのも、笑顔を見せたのも、父親ならではの反射的行動だった。
 赤ん坊を取り上げ、泣きやませようと左右にゆらす。不格好に、不器用に。
 必死の思いが通じたのか、赤ん坊は口を閉じて、笑みを浮かべた。
 大きなため息をつき、基地内から出てきた仲間へふりかえると、何か言いたげに口を魚のごとく開け閉じしている。小走りに近よると、のけぞるように顔をそむけて鼻をつままれた。
 はっとして見下ろすと、軍服がしとどに濡れていた。赤ん坊は幸せそうに笑みを浮かべている。小さな尻から落ちる水滴。
 おろしたての、糊をきかせた軍服。もちろん軍から支給されたものであり、自分の持ち物ではない。上官からどれほどの叱責がされるかを思い、背筋がふるえた。
 置いてあった籠へあわてて駆け戻り、中に入っていた布をおしめ代わりにしたが、もちろん軍服の代わりなどは入っていない。
 深々とうなだれる門兵を哀れんだか、それとも滑稽に思ったか、同僚は苦笑いして両手を伸ばした。赤ん坊を代わりに持ってやる、と。
 ぱたぱたと服をはたいて、少しでも早く乾かそうとしている門兵を横目に、同僚は赤ん坊をあやす。長い子育ての経験があるのが、ずいぶんと上手いもので、すぐに赤ん坊は笑い声をあげた。
 高く高く空を飛ばすように赤ん坊を持ち上げ、そして兵士は目を見開いた。服をはたいていた門兵も天を見上げる。
 音も聞こえないほど遠い雲の彼方で、光の粒子を振りまく何かが空を駆け上がっていた。


 終