法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「市民団体を黙らせた少女の言葉」というコピペを思い出して絶望した

有名なコピペで、原型に近い版として下記がある。2001年に書き込まれているが、その時点で有名なコピペだったらしい。
少女の涙と自衛官の汗

1 名前: 専守防衛さん 投稿日: 01/11/28 00:26

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

http://www81.tcup.com/8160/imagawa3.html
まえにここでこんな話を見つけたがどこの駐屯地の話だろう?
もっとこういう人が増えれば自衛隊に対する理解も深まるのに・・・・

この時点で文責は明らかになっていなかったようだ。
地味に消防車が比較対象としておとしめられているが、少しばかり消防にかかわっている身としては、あえて感情的な批判も受け入れたいと思わなくもない。
しかし自衛隊が槍を持ってパトロールしていたという記述は目を引く。槍を準備する余裕があったのか、そもそも何からパトロールしていたのか。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20100829/CK2010082902000056.html

 一九二三(大正十二)年九月一日の関東大震災は、地震による建物の倒壊や火災で多くの死傷者が出ただけでなく、差別と流言飛語で常軌を逸した一般の民衆が多くの朝鮮人を虐殺する陰惨な事件を引き起こした。県内も例外ではなく、特に被害が大きかった県北部では、熊谷市で七十〜八十人、本庄市で八十〜百人、上里町で四十数人が犠牲になったといわれる。今年も九月一日に慰霊の追悼式が行われる。(柏崎智子)

阪神大震災で大規模な排外主義活動が見られなかったのは、現代日本社会の誇りといっていいと思う。


比較的に新しい版として、下記のようなコピペも見つかった。少なくとも2009年から確認できる。
http://blogs.yahoo.co.jp/sendodazo/49790197.html

自衛隊を訪れた美しい少女の涙≫

自衛隊の「駐屯地祭」で例によって変な団体が来て

自衛隊憲法違反だ! 」とマイクで大声でがなりたてていた。

 その集団に向かって「一人の美しい女子高生がやにわに向かって行った。

少女「あんたら・・地元の人間か?」

9条の会の団体「私達は沖縄から集まった市民団体だ・・文句あるのか?・云々」

少女「であんたら・・・いった何しに来たんや?」

9条の会の団体「自衛隊は、憲法九条の違反である・・・云々」

少女「私は神戸の人間や。

  はるばる電車乗って、何しにここまで来たかわかるか?」

9条の会の団体「・・・・?」「わかるかい・・・ぼけ〜」


少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。

   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて

   夜は夜で避難場所をパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。

   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。

   あんたらにわかるか?

   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。

   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。

少女は、泣きじゃくりながら天を仰いだ・・・自衛隊の皆さん・・ありがとう

ありがとう・・あの地震の時の恩は・・忘れないと号泣した!

あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。


9条の団体は・・「知るか馬鹿な子だ・・自衛隊があるから戦争が起きる」

とぶつぶつ言いながら・・・  撤退した。

少女は・・門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼をしたが、出て行くときは・・・「直立不動」のまま敬礼していた。

9条の会が発足したのは、原型となったコピペが確認できる2001年より後の2004年。公式サイトの発足記者会見ページに記載された日時からも確認できる。
「九条の会」記者会見での各氏の発言と記者との対話(2004.6.10)
「9条の会の団体」は「9条の会」と違うという考えも形式的には可能だが、あやふやな情報が増えているところから見て根幹となる情報がないまま流布されたコピペにすぎない傍証と考えていいだろう。
また、この版では少女に「美しい」という形容が与えられ、団体が撤退する時に捨て台詞を吐いている一方、パトロールの記述から「槍」が消えているところも興味深い。


さて、今回わざわざ古いコピペを取り上げたのは、今さら真偽不明と指摘するためではない。一つは、救助活動してくれたという言葉で充分だろうに、あえて「槍」が記述されていることが関東大震災との共通点と感じたため。もう一つは、実在しているかもわからない団体が撤退した時の心情に近いものを、下記のニュースに感じたためだ。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010082300384*1

 【ニューデリー時事】パキスタンで7月下旬から続く洪水への対応に政府が頭を抱える中、それに付け入る形で複数のイスラム武装勢力系の非合法組織が被災者支援を行い、存在感を高めている。危機感を抱いた政府は非合法組織による支援活動を禁じると発表、封じ込めに乗り出した。
 2008年のインド・ムンバイ同時テロにかかわったとされるパキスタン非合法組織の慈善団体「ジャマアト・ウッダワ(JUD)」はテント設営や食事提供のほか、医療支援、救助用ボートの配備まで幅広い支援を展開。寄付金集めの口座も開設した。JUDはザルダリ大統領が洪水対応よりも外遊を優先して批判を浴びた8月上旬には既に活動を開始していた。
 政府は国民に対し、自治体に登録済みの正規組織以外には被災者支援の義援金を提供しないよう要請。非合法組織摘発を進めている。非合法組織が洪水を機に人心をつかみ、獲得した資金がテロ活動に流用される懸念があるからだ。
 「われわれは対テロ戦争を忘れてはいない」。北部カイバル・パクトゥンクワ州のホティ州首相は20日、日米など各国代表が参加した洪水支援会議でこう強調した。被害が最も深刻で死者1000人以上を出した同州はもともと米軍主導の対テロ戦の主戦場である部族地域に近く、タリバンなどの活動が活発。州首相は、被災者への物資輸送に遅れが生じれば過激派が付け入ると警告する。別の州政府高官も「この機会に武装勢力が組織再編を図っている」と危機感を募らせた。(2010/08/23-14:19)

エルサレムハマス系組織が勢力を伸ばしている背景と同じだ。タリバンの場合は米国の救援を妨害しているとの報道もあるが*2、そうして米国の救援が行なわれなかった時にタリバンへの反感が増すという単純な話ではない。むしろ反政府意識が高まるとの懸念をパキスタン外相はうったえている。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100820dde007030036000c.html

 被災地には「パキスタンタリバン運動」(TTP)の勢力圏である北西部も含まれる。これを指摘したパキスタンのクレシ外相は「我が国はテロとの戦いで甚大な犠牲を払ってきた。災害をテロ組織にとっての好機としてはいけない」などと述べ、支援がなければ、住民の反政府意識が強まりテロ組織が伸長する恐れがあると訴えた。

念のため、自衛隊タリバンと同様の非人道的な組織と主張したいわけではない。しかし災害に対する救援が存在を全肯定する根拠にならないのに、救われた個々人に肯定の感情を生みうるという共通項はある。
実態はどうあれ救われたと感じる個人がいて、救いと無関係な論点において擁護する感情が発露された時、どのように応答することが正しいだろうか。餓死した英霊は犬死であったと指摘するより靖国神社で顕彰されることで感情的に救われる遺族も、確かに存在する。

*1:逆に、毎日記事では穏健派イスラム勢力が勢力をのばしているととれる記述がある。http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100825dde007030002000c.html「掃討作戦の即時中止と対話解決を求めるイスラム勢力の基金には寄付が集まっており、被災者への炊き出しなどを通じて影響力を高めている。」

*2:http://mainichi.jp/select/world/news/20100813k0000e030015000c.html