法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

弁護方針を誰が決めているのか考えない人

ちくわ氏の、裁判に対する初歩的な誤解*1

 普通に考えたら、橋下には“恭順路線を取った方がよかった”と主張する一方で、安田弁護団のそれは“間違ってない”と主張しているんだから、すごく矛盾してるよね、これ。
 だって、結果的に安田弁護団は少年の死刑回避に失敗したワケだし、橋下への批判が結果から逆算しての批判であるならば、当然安田弁護団のそれも“間違っていた”と答えなきゃ、辻褄が合わないよね。


 まして、橋下VS弁護団は、まだ最終判決も出ていないワケで、一審の結果だけ見て“自説が通る”とうそぶいた橋下は批判するのに、“自説が通る”と記者会見までした挙句、最高裁で弁護人の死刑判決という結果を回避出来なかった安田弁護団は擁護するって、あれあれ? 何だか凄く矛盾しているね?

民事と刑事という違いはあるが、弁護方針を最終的に決めるのは依頼人弁護士は専門的知識をもって被告を説得したりはできるが、被告が弁護方針をゆずらなければ、その指示に従うか降りるかしかない……以前にも説明したのだが。
懲戒請求扇動裁判において、橋下徹弁護士は依頼人。つまり恭順路線か徹底抗戦かの選択権がある。だから橋下弁護士代理人を批判したことはないし、むしろ筋悪な状況で戦わなければならない状況に同情すら感じている。
光市母子殺害事件裁判においては、もちろん被告が依頼人。法廷で何を主張するか最終的な決定権を弁護団は持っていない。もし被告の意思に背いた弁護活動を行えば、被告の請求で懲戒される可能性すらある。
ここまでは本当に一般的な話で、ネットでも法曹関係者から何度もくりかえし説明されていること。


そもそも、最初に問題としたのは、自説が通るとうそぶくこと自体ではなく、判決後の態度と合わせてだ*2
そして恭順路線の存在を指摘したのは「そもそも、裁判中に“自説が通る”とうそぶくのは弁護士なら当然でしょ。」などと主張したことに対してだ*3


何より、一つの判決で全てが決まるといった意味の発言をしたことはないし、橋下弁護士批判も地裁判決だけを受けた結果ではない。
ずっと主張してきたのは、専門家の発言には一定の敬意を持つべきという話。専門外の素人が口をはさむには相応の努力、手間が必要ということ*4弁護団の弁護手法を知った上で懲戒請求が正しいと主張する専門家はまずいない。橋下弁護士ですら主張が限りなく後退した。


つまり、橋下弁護士による懲戒請求扇動が正しいという主張は、進化論が間違っていて創造論が正しいとか、アポロは月に行っていないとか、神船7号の宇宙遊泳映像は水中撮影とかいった主張と同程度。
このっ、バカ共が!: 松浦晋也のL/D
はてなブックマーク - 山本弘のSF秘密基地BLOG:今度は「神舟7号の宇宙遊泳もなかったろう論」
まつわるコメント群を見れば、主張に反論できなくなった者が相手の態度へ問題をすりかえる様がわかる。自分こそが専門家を誹謗する発言をしたことも忘れて。
ちなみに、初めて言及したもちろん誰だって他人から馬鹿にされたくない - 法華狼の日記で、私はそれなりに気を使ってちくわ氏を批判したつもりだった。「弁護士っつーのはホントにどうしようもない連中」「BPO委員長のアホタレ弁護士」といった表現に何も感じなかったわけではないが、引きずられないようにした。あくまで問題の根本には報道があるとした。
しかし返答には「ノンキでいいなあ」「粗探し」「虎の威を借る狐」等々の文句が並んでいた。その文句を批判されると、ずっと応酬が続いた後の文句や、自身に直接向けられたわけでもない文句と並べた*5

 しかし、自身がオレに対して下した評は無視して、自分が云われた事だけを持ち出すその神経は、本気で理解出来ないですな。
“日本で義務教育を受けた成人とは思えない”“成長してない”“愚か者”というオレに向けられた言葉と、オレが法華大先生に向けた“ノンキでいいなあ”“粗探しで悦に入っている”他、様々な罵倒の言葉では、法華大先生とオレでは人間としてのレベルが違うから、性質が違うとでも云いたいのだろうか、と穿った見解しか出てこないんだが。


 普通の感覚なら、どっちもどっちだよね、この場合(笑)。


 この一連のやりとりでふと思い浮かんだのが、子供のイタズラで“最後に殴ったもん勝ち”みたいな状況がエスカレートした挙句、殴った威力が強いの弱いの、回数がどうので揉めた結果、大喧嘩に発展するという状況。
 男の子なら、小学校や中学校辺りで一度や二度は似たような事を経験したと思うんだけど、この場合、どんな事情があれ、実際に先に手を出したほーが悪いとオレは教育されてきたんだが、先に殴りかかった自分の行為は棚に上げ、殴られた側が激昂して殴り返したら、“オレが殴ったときより痛いじゃないか”としつこく拘泥し、最後の一発に拘っているのは一体何処の誰なんでしょうかね。はふー。

ちくわ氏の比喩から思ったのは、形式的な勝ち負けにこだわる者は「最後に殴ったもん勝ち」とは考えないだろうこと。それくらいの知恵はある。
より適切な比喩として感じるのは、相手が殴り返してくるまで一方的に殴り続け、狙い通りになれば「どっちもどっち」と語る姿。しかし発言が記録しやすいネットでは、どれだけ泥仕合になろうとも、手間をかければ先に手を出したのがどちらなのかわかることが多い。
「どっちもどっち」という言葉自体も、口調や態度に争点をすりかえるもので、専門家の意見に耳を閉ざす人がよく使う。これもまた、進化論が間違っていて創造論が正しいとか、アポロは月に行っていないとか、神船7号の宇宙遊泳映像は水中撮影とかいった主張が批判された時も、実によく聞いた言葉だ。

*1:http://www.tikuwa.com/index2.html成年向けイラストサイト注意。2008年10月7日。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20081003/1223009875

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20081006/1223340677

*4:ちなみに光市母子殺害事件裁判において安田好弘弁護士の見解に理解を示す専門家が複数いる。それをふまえた上で、細部には弁護側が戦える余地があるとも思うが、死刑判決の理路自体は妥当と思っている。似たような話は、判決が出た当初に日記ふくめ数箇所で書いている。

*5:同じく、2008年10月7日。