法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』

2006年、ジョン・ディクスン・カー生誕百周年に合わせ、多彩な作家がカー作品をモチーフに短編を書き下ろしたアンソロジー
あたかもカーが書いた作品のように仕立てた贋作から、カー本人が登場する歴史ミステリまで、幅広い内容の短編集。
個々の出来は玉石混淆だが、最低限、読めるものにはなっている。巻末に各作家の自作解説があり、合わせて読むことでカーへの思いが伝わり、多少の出来の悪さにも目をつぶる気になる。


以下、ネタバレをふくむ個々の感想。
『ジョン・ディクスン・カー氏、ギデオン・フェル博士に会う』芦辺拓作品。ラジオ脚本家等でもあった多才な人物としてのカーを登場人物とする、歴史物ミステリの一編。大仰なトリックが使われたようで使われていないという外しが、非現実なようでいて現実的に着地するカー作品らしい。時代背景を反映した社会派ミステリの要素もありつつ*1、タイムリミットサスペンスが展開され、作中作としてカー贋作も楽しめる、好編。
『少年バンコラン! 夜歩く犬』桜庭一樹作品。ミュージカル仕立て*2の一編。いかにもカーらしい怪奇幻想な殺人事件を解決する作品だが、実際に解決編で推理された通りの姿に見えるかは疑問。子供達が犬の背にまたがって解決に奔走するという描写など、いくらミュージカル風とはいえ現実味に欠けすぎている。
忠臣蔵の密室』田中啓文作品。忠臣蔵を題材とした歴史ミステリ。密室殺人、討ち入りの真実、暗号風味の謎かけと、様々な謎がつめこまれている。個々の謎は薄味で見当をつけやすいが、特に不自然な描写もなく、充分に楽しめる……と思っていたら、この日本を舞台とする物語がカーと繋がる驚天動地のオチが待っていた。どうにも説明しがたい珍品だが、比較的に真面目な短編集で変化をつける作品としては楽しめた。
『鉄路に消えた断頭吏』加賀美雅之作品。カー作品では意外と舞台になっていない、列車における不可能犯罪。まだ新人の気分が抜けていないのか、カー作の探偵をモデルとした自作の探偵を共演させたり、語り口がアマチュア。トリックもキャラもマンガっぽい。しかし同時に、最も素直にカーが好きという作者の気持ちが伝わってきて、好感が持てる作品でもあった。
『ロイス殺し』小林泰三作品。カーの代表作『火刑法廷』と同様に、ホラーとミステリーの融合を目指したという掌編。倒叙物に似た語り口調が、田中作品と同じく短編集に変化をつけていていい。貧しい北方の村が見せる寒々とした風景も、小説として美しい。ただ、ミステリとしてのトリックはカーというよりチェスタントンや泡坂妻夫を思わせる。クトゥルフ神話を安易に用いているのも、作品を作り物めいてみせてしまい、もったいないと感じた。
『幽霊トンネルの怪』鳥飼否宇作品。柄刀一よりも文章がこなれてなく、コメディタッチのパロディ設定なのに笑えない。自動車消失トリックも、ミスディレクションが下手なため、無駄に複雑でいて真相がわかりやすい。作りがていねいならもっと楽しめただろう、惜しい駄作。
『ジョン・D・カーの最終定理』柄刀一作品。未解決犯罪記録の余白にフェルマーよろしくカーが推理をメモした文章を読解するパート。その未解決犯罪記録を推理して楽しむカーマニア達が現代で直面した密室殺人事件のパート。過去と現代の事件が響きあう、オーソドックスな時代ミステリの体裁。カーがメモした事件では密室放火殺人が、現代の密室殺人は偽の解決が良かった*3。カーの懸念が現代の事件に繋がる展開も、社会派なテーマを巧く導いている。しかし、数学的な暗号としてカーがメモを残す描写に無理を感じる*4ついでに、暗号の解法も連想の域を出ない。
『亡霊館の殺人』二階堂黎人作品。カー贋作として王道かつ水準にあり、変化球が多いアンソロジーの最後にふさわしい中編。密室殺人二つの真相はあからさまだが、不可能趣味は充分に満たせる*5。しかし問題なのが、作者の態度。後書きで、別作者のミステリを名指しで批判し、それを改良したトリックを使ったと書いているのだ。つまり別作品のトリックを明かしている上、現実味を増すためにトリックを単純化してつまらなくしたことを「改良」と称している。二階堂氏は、余計な一言が多い。

*1:社会派小説として見ると、そこまで民主主義のための戦争プロパガンダを肯定していいのかと首をかしげるが。

*2:戯曲ではなく、上演されている劇を文章化したような作り。

*3:現代の事件真相は、強度は作中の説明が正しいとしても、犯人の体力から見て無理があるような……

*4:後書きによると題名を先に思いついたらしいが、そのため生じた無理だろう。

*5:正確には、片方の密室殺人が不可能状況すぎて真相を特定しやすく、芋蔓式にもう片方の密室殺人も見当がついてしまった。