法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『世界まる見え!テレビ特捜部』やることなすこと、ホントに極端だなぁ

今回はゲストが下積み時代にアフリカロケの多い平成ノブシコブシで、けっこう番組内容に即した思い出を語っていて楽しかった。
女性ゲストの井上咲楽も番組の花で終わらせず、さまざまな食品をぬか漬けにするアイデアを披露。果物でもバナナは臭くなるがミカンやリンゴなどは美味しいといい、スタジオにもちこんだゆで卵やアボカド、ゆでこんにゃく等どれも好評だった。


「​コンゴ川の漁師たち」は、ワニをさけるため急流で籠型の罠をしかけるコンゴ共和国の漁師に密着。雨季の雨ごいのためレスリングのような対決をしたり、木を組みあわせて家ほどもある高さの巨大な土台を川に設置して複数の罠を沈めたり、シンプルにすごい光景が楽しめた。


「極端にスケールの違う騎馬民族の馬使い名人」は、モンゴルの遊牧民ダルハド族に取材。乗れない馬は殺されるため、暴れ馬を乗りこなす名人シュケルト。その技量を高めるため仔馬に抱きついて相撲のようなトレーニングをしたりする。
名人は実際にモンゴル相撲でも強く、地元の大会で優勝するほど。その腕っぷしをかわれてロシアとの国境に潜伏する盗賊から馬をとりかえす依頼を受けたりもする。きちんと飼い主から特徴を聞き取り、ていねいにメモ帳に書き記す。
しかし山岳地帯で四頭の白馬をつれている怪しい二人に接触し、対話のためカメラマンに距離をとらせつつ結局は実力で馬をとりかえしたと思ったら、それは友人の婚礼用に贈る馬だった。
そこから名人が警察に説教されて二カ月間の刑務所暮らしをする展開に唖然としたら、その期間に村に来た盗賊が馬を大量に盗むという展開に重ねて驚く。
真っ白い雪原の足跡をたどり、名人は毛皮だけにされた愛馬を見つける。そこでスキーを作って毛皮ですべりやすくし、盗賊が集めた馬の群れに向かって滑降。盗賊がいないすきに馬のリーダーに乗り、そのまま群れをひきつれて脱出。
マヌケな笑いもまじえつつ、涙もあれば美しい情景も楽しめる、良質のドキュメンタリだった。


「極端すぎる!モーリタニアの危険なお仕事」は、アフリカ西岸の国モーリタニアで、全長2kmもの列車がサハラ砂漠を長距離横断する姿を中心に、さまざまな生活を紹介。
一夜でできた砂丘で道路がうまれて立ち往生する自動車。海岸側まで鉄鉱石をはこぶ列車の荷台に、無料だからと乗せてもらう労働者たち。通りすぎる砂漠の街に列車からフランスパンを投げて贈る風習。ゆれる荷台でエサがこぼれないよう口へマスクのように袋をつけた荷運び用ロバ。
他にも砂に埋もれて住民が退去していった村に残って、給水列車の水を巨大ビニールに溜める人や、海岸につけられた漁船から人力で魚を車まで運ぶ人々など。
漁船の光景などは別のドキュメンタリで見た記憶があったが、これも水準的にまとまったドキュメンタリとして楽しめた。

『トロピカル~ジュ!プリキュア』第11話 もりあがれ! 海辺のサンドアート!

テストが無事に終わり、トロピカる部は他部をさそってイベントを企画する。それは部活対抗のサンドアートで、二日かけて投票で優勝を決める予定だった……


ひさしぶりの感覚がある稲上晃作画監督。前作で共同作監をつとめてから、だいたい1クールくらいたっている。かわいらしくも絵柄に古臭さを感じることが多かったが、今回はデザインがあっているのか、違和感なく豊かな表情が楽しめた。
脚本は第5話を担当していた守護このみ。砂遊びで壮大なオブジェを作りがちなアニメの定番を、実際にありえそうな活動に落としこむ。美術部が終始優勢で、下手に主人公の部を優勝させたりせず、茶番感を出さない。トロピカる部の顧問も指導者として登場させる。
夏海のラフすぎる絵を、そつなくクリンナップする滝沢先輩の器用さなどもキャラクターのツボを押さえていて楽しい。優勝はできなくても、巨大なアートを協力して完成させた達成感が画面にある。


サンドアートを作る背後の青空でパラセールが動いていて、やたら細部に手間がかかった回だと思ったら、それが降雨からサンドアートを守る伏線になることも感心した。
説明的にならないよう絵で描写できていて、総合芸術として物語の説得力を高めている。それが発案やデザインの修正まで協力して完成させたサンドアートと相似形をなす。
そのパラセールの助言で、ローラの出番もちゃんとある。ただ、夏海がどのように借りられたのかは、もう少し説明があっても良かったかも。

『ドラえもん』ハワイがやってくる/母の日は終わらない

「ハワイがやってくる」は、ハワイ旅行中のスネ夫から自慢する小包みがとどき、のび太は悔しくてたまらなくなる。そこでしずちゃんの家に行くと、出木杉ジャイアンが旅行帰りの土産を自慢して……
出木杉が珍しく激怒したエピソードを、2005年リニューアル以降に初アニメ化。旅行終了の時期にあわせたゴールデンウィークの季節ネタか。
原作では、月が少しずつ近づいているという理科知識をのび太が唐突に発揮してオチになったが、今回のアニメでは序盤のしずちゃん家で出木杉が月が少しずつ遠ざかっていることに言及。のび太がその知識をもっている背景にしつつ、原作の考証ミスをフォローした。そこでオチはどうするのかと思ったら、秘密道具が時間をもどす機能がある描写をつかって、原作どおり月が接近するオチに。ここはなるほどと思った。
ただ原作を読んだ時から気になっていたが、折れた鍾乳石をのばしても追ってしまった歴史は変わるまい。せめて、タイムふろしきのような時間をもどす秘密道具を今日は持っていないと説明する描写はほしかった。


「母の日は終わらない」は、母の日でみんないそがしく、のび太は遊ぶことができなかった。しかし玄関でこぼした水をふいていたら、掃除をしていると母がかんちがし、別の過ちも怒られず……
伊藤公志脚本によるアニメオリジナルストーリー。秘密道具「もしもボックス」をつかって、特別な季節イベントが永続するように世界を改変する。
本物のカーネーションが消費されつづけて品不足になり、オークションするほど値がつりあがっていく。母に絵を描いてプレゼントしていた少年は、どうしても新味を出すために抽象画へはしっていく。
そうして特別なイベントとして成立しづらくなる一方、習慣づけられた母のてつだいは不満がなくなっていく。叱責を見逃してもらう口実で母の日をつづけていたのび太は、母の日を終わらせた後もてつだいをつづける。母の苦労は毎日つづくことを実感したから。
ただの思いつきのようで、ジェンダーバイアスについて思考実験したジェンダーSFとも解釈できる物語で、期待したより見ごたえある内容だった。

「赤木メモ」をめぐって日本政府が「ヤカンの論理」をふりまわしていた

森友学園問題をごまかすため公文書が改竄された記録を、政府が認める方針になったと朝日新聞が報じていた。
赤木ファイル、国が存在認める方針 森友改ざん問題:朝日新聞デジタル
調査による発見のような形式すらとらない時点で噴飯ものだが、認めない時点では両立しない主張を都合よくおこなってきたことも指摘されている。

国はこれまで、訴訟では「(ファイルは)裁判の争いに関係せず、存否を回答する必要がない」と主張。国会でも、野党が開示を求めたのに対し「訴訟に影響を及ぼすおそれがある」との答弁を繰り返し、存否を明らかにしてこなかった。

この日本政府の主張は、ジグムント・フロイトの指摘した詭弁と同じ構造だ。
「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 前編 - (元)登校拒否系

AはBから銅のヤカンを借りる。ところがAが借りたヤカンを返した時には、ヤカンには大きな穴が開いてしまっている。Bの非難に対して、Aは弁解する。

まず第一に、俺はBからヤカンを借りてない。第二に、Bからヤカンを渡された時には既に穴が開いていた。第三に、ヤカンは全く無傷の状態でBに返した。*2

この三つの弁解は、それぞれ別々に見れば、Bの非難に対する反論として妥当なものだ。問題は、これらの弁解がお互いに否定し合っているということだ。Aの三つの反論が同時に成り立つことはない。Aは自らが潔白である理由を列挙していくうちに、墓穴を掘っていくのだ。

そして上記エントリで詭弁を引用したtoled氏が指摘したように、注目するべきは墓穴を掘ったこと自体より、墓穴を掘ろうとも主張が押しとおされてしまうところにある。
事実として朝日新聞も一読して気づけるように詭弁をまとめつつ、記事内にその詭弁への批判はない。日本政府も、詭弁をつかった責任を追及されて窮地におちいったりはしていない。

この新型コロナ禍で悩みながらリゾートスパに行ってしまう……

ここ最近は汗をかくことが多いのに給湯器が壊れて2日間はタオルで体をふくだけだったので、このままだと別の病気になりそうだと思ってひと風呂あびてきた。
当然のことながら人は相当に少な目。しかしマスクをはずせないので、やはり自室のほうがのびのびできるなと感じるばかりだった。