漫画『コンシェルジュ』で知られる藤栄道彦氏が*1、下記のようにツイートしていた。
規制されてはいるが、表現者達の不断の努力によってそれは成功していない。
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2021年10月19日
だからフェミ議連は反撃を食らった。
性表現の規制が成功していないから、次の暴力描写まで歩を進めることができない。
ざまあ。
それだけの話です。 https://t.co/GoumNJAQog
規制されてはいるが、表現者達の不断の努力によってそれは成功していない。
だからフェミ議連は反撃を食らった。性表現の規制が成功していないから、次の暴力描写まで歩を進めることができない。
ざまあ。
それだけの話です。この手の言説を信じてる人なのか…なんかやっぱりなという感じ。
そしてそもそも現状において既に性的表現は規制されていることはスルーするという。
今回の本題ではないが、フェミ議連が食らった反撃とは何なのかがよくわからない。
最近に話題となった警察広報への抗議であれば、広報を警察がとりさげたことで目的は達成しているのではないだろうか。抗議へ第三者が反論することも自由だが、どの立場でも「ざまあ」といえるようには思えないし*2、広報の続行にむすびついていないのでフェミ議連が成功していることにかわりない*3。
そもそも警察広報へ抗議することは、権力関係から考えても一般的に「規制」ではない。警察は黙殺することもできたろうし、行政として広報を決めた経緯を公開しても良かった。説明された経緯の内容によっては、それ自体が反論になりうるし、フェミ議連も納得して抗議をとりさげるかもしれない。
さて、日本で暴力表現の規制といえば、CEROによるレーティングの厳しさが知られている。漫画よりも細かく年齢をわけた上で、それでも外国に比べて流血描写などが制限され、輸入作品の改変がしばしば話題になる。
海外版と日本版ではどうして表現や内容が違うのか。今,あえてCEROに聞く「レーティング制度」の現状について
ご承知のように海外のゲームは,日本と比べて暴力表現の制限が緩いと言えます。そこで,先ほど説明した調査では,暴力表現の度合いについても回答してもらっています。その結果は,日本はこれだけ制限しているにも関わらず,「残虐な暴力表現はさらに禁止したほうがいい」という意見が多かったんです。
R15やR18で一定以下の年齢の観覧を禁じている映倫も、やはり審査の基準に暴力などもふくめている。
念のため、CEROも映倫も業界団体の自主規制という側面はあるが、性表現の次が暴力描写が規制されるかのように藤栄氏がツイートしていることは奇妙だ。
引用した「瑠璃子(桜島よし子)@37_2_le_matin」氏*4に反論されると、業界の勢力を削ぐことが規制の目的だという奇妙な世界観を藤栄氏は語った。
規制は本来作品や媒体の認知度を下げ、市場価値を下げて業界の勢力を削ぐことが目的なのでございます。
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2021年10月19日
無修正になぞせずとも、成人向け作家さん達はより性的衝動を掻き立てる表現を工夫し、また言い訳程度の修正で作品を販売するなど今や巨大な市場を形成しております。
ざまあカンカン。 https://t.co/SkwYkqqIKa
規制は本来作品や媒体の認知度を下げ、市場価値を下げて業界の勢力を削ぐことが目的なのでございます。無修正になぞせずとも、成人向け作家さん達はより性的衝動を掻き立てる表現を工夫し、また言い訳程度の修正で作品を販売するなど今や巨大な市場を形成しております。
ざまあカンカン。
「ざまあ」だって…
規制されなくてよかったね、じゃなくて他人を罵る道具にするのか。
成功してないって規制されてるんだから成功してるじゃん。
成功してないと主張するなら無修正のを掲載してみたら?
なるほど、規制を勢力争いのように認識しているのであれば、表現が規制されたままでも「ざまあカンカン」と思えるのかもしれない。巨大な市場を獲得したことは表現者の自負となり見返せた心情をおぼえるのかもしれない。
しかし、あまり性器表現の規制に直面していないだろう一般漫画家として、他の表現者の犠牲を軽視していないかと感じざるをえない。規制された当事者が似た心情をもつ可能性はあるが、それでも藤栄氏の言葉は軽すぎる。
また、性的衝動をかきたてることができれば性器描写が禁じられても問題がないわけではあるまい。たとえば『ぼくのエリ 200歳の少女』や『サマーキャンプ・インフェルノ』といった映画作品では、性器描写が消されたことで物語が理解しづらくなっている。
性器を消す手間自体の負担もあるだろう。編集がおこなう商業漫画ならば作者の負担は小さいかもしれないが、同人誌などでは製本後でも審査によって一冊一冊消す作業が発生することもあると聞く。商業でも映像作品であれば一コマ一コマ消して、それを審査する負担もはねあがる。
何より、「言い訳程度の修正」でさえあれば表現しつづけられたような認識に目を疑う。
成人向け漫画『蜜室』が刑法に違反するとされて、松文館事件として知られる裁判は2002年から判決確定の2007年までつづいた。そこでは性器の修正の薄さも問題にされた。
松文館裁判
後藤寿庵氏がツイートしているように、修正の責任をもつ出版社の社長にとどまらず、漫画家まで裁判にかけられたことが、当時の漫画家には衝撃だったという。
エロ漫画描くときに、性器は基本的に描きます。それを編集部で消し加工するわけです。そのへんの経験豊富な編集さんがうまく取り締まられない範囲に消してくれる事を期待するのですね。だから事件になったときに罪に問われるのは修正範囲と程度を誤った編集さんや出版社であって、作家は守られてるのか
— 後藤寿庵 (@juangotoh) 2021年2月10日という思いに冷水を浴びせたのが松文館事件でした。あの事件では作者も犯人の一味として逮捕された。結構人気のあった作者だけど、罰金50万円が確定ですよ。痛いよなあ
— 後藤寿庵 (@juangotoh) 2021年2月10日
きっかけは警察OBで自民党議員の平沢勝栄氏へ送られた親の手紙だったが、同時代の漫画は性器修正をきびしくする方向へ動いた。成人向け漫画が再販されることは珍しく、当時に発表されたきりの作品は黒ベタや白ヌキで身体が隠された状態を読むしかない。
その後の成人向け漫画は少しずつ様子を見るように修正を薄くして現在にいたっているが、「言い訳程度の修正」でさえあれば良いと警察の確約をえたり判決を勝ちとったわけではない。
もちろん「作品や媒体の認知度を下げ、市場価値を下げて業界の勢力を削ぐこと」などという理由で規制されてはいない。松文館事件は同業者の密告が原因と噂されたことはあったが証拠は見つかっていないし、どちらにしても実際に規制に動いた政治家や警察の動機とは関係ない。
規制した政治家も警察も地位をおびやかされてなどいない。広報が批判されたところは警察に対して「ざまあ」といえるかもしれないが、それは「表現者達の不断の努力」のおかげではない。
十年一昔というように事件を知らない人も忘れている人も多いだろう。しかし同時代から商業連載していた漫画家が表現規制を語るならば思い出してほしい。「ざまあ」と見返す余裕などなく、成人向け漫画を恣意的に規制されうる状況はつづいているのだ。
*1:その代表作で排外主義をギャグとして作品につかう人物であり、以前から良い印象はない。 hokke-ookami.hatenablog.com
*2:反論されない特権をもっていると思い違いしないかぎり、反論それ自体が打撃にはなるまい。
*3:ただし、行政の広報のありかたをフェミ議連が問いただしたかったのであれば、どの段階においても警察が判断を開示していないことは失敗にあたるかもしれない。
*4:はてなアカウントはid:pussycat_ruriko。