法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「戦前の言論統制も、エロ・グロ・ナンセンス叩きから始まりました」と、「戦前の言論統制も、エロやグロやナンセンスの叩きから始まりました」ではニュアンスが違うということ

若林宣氏の主張に対して、文脈をとらえそこねた反論ばかり集めているTogetterを見かけて、歴史の忘却ぶりに頭をかかえた。
若林宣氏の「戦前の言論統制はエログロナンセンスから始まったというのは偽史」という主張とそれに対する反論 - Togetter
まず発端は森奈津子氏のツイート。自身がエロとナンセンスを多用する表現者らしいポジショントークとして理解はできる。

それに対して若林宣氏は、エログロナンセンスの時期より前から、風俗もふくめてさまざまな言論統制があったと指摘した。

エログロナンセンス以前から性風俗が制約されたと指摘するツイートに対して、大正以前の性関連のとりしまりをもちだしても、そもそも反論として成立しない。


簡単に時系列を確認しておくと、新聞が政府権力の圧力に屈した白虹事件は1918年のこと。
白虹事件(はっこうじけん)とは - コトバンク

1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時,『大阪朝日』は,シベリア出兵,米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。

戦前の弾圧を象徴する治安維持法*1が公布されたのは1925年で、1928年に目的遂行罪が加わった。
治安維持法(ちあんいじほう)とは - コトバンク

1925年4月公布。「国体(国家の体制)」の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社を組織したり、参加したりすることを取り締まることを定めた。28年にはある行為が結社の目的遂行のためになっていると当局が見なせば、本人の意図に関わらず検挙できる「目的遂行罪」が加わった。

これにより日本共産党が全国的に弾圧された三一五事件は1928年のこと。
三・一五事件(さん・いちごじけん)とは - コトバンク

1928年3月 15日に行われた 1500人に及ぶ日本共産党員の全国的大検挙。2月 20日の日本最初の衆議院普通選挙後のことである。

そして「エログロナンセンス」と呼ばれるムーブメントが起こったのは大正末期から昭和初期にかけて。
エロ・グロ・ナンセンス(えろぐろなんせんす)とは - コトバンク

エロはエロティック、グロはグロテスクの略で、1930〜31年(昭和5〜6)を頂点とする退廃的風俗をいう。

出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。

つまり「エログロナンセンス」とは、思想が弾圧され表現が制約されつづけた時代における、ロウソクが消える直前の輝きのようなものだった。


若林宣氏の指摘に対して反論したいならば、森奈津子氏の「エロ・グロ・ナンセンス」という表記が、歴史用語とは異なると解釈するしかない。
このニュアンスに差異があることを指摘できているのは、はてなブックマークではid:maturi氏くらいか。
はてなブックマーク - 若林宣氏の「戦前の言論統制はエログロナンセンスから始まったというのは偽史」という主張とそれに対する反論 - Togetter

エログロナンセンス”を固有名詞としてとらえている人とそうでない人の

ただそう解釈するとしても、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれたムーブメントが1930年をピークとしていたという指摘が意味を失うわけでもない。
いずれにせよ、ニュアンスの時点ですれ違いが起きているのだとすると、まともな論争は成立しない。

*1:ちなみに小説家の小林多喜二治安維持法下で虐殺されたのは1933年だが、それ以前に不敬罪で1930年に捕まっている。小林多喜二(こばやしたきじ)とは - コトバンク