法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』ぼくミニドラえもん/ぞうとおじさん

「あの名作が帰ってくる!ドラえもん夏の1時間スペシャル」と題した今回は、監督体制の変更にあわせて映像スタイルを一新。
後述する本編だけでなく、OPも映像がまったく新しいものになり、『ドラえもん』としては珍しく原画等のスタッフも細かくクレジット。サブタイトル絵もエピソードに合わせた止め絵となり、中編では物語の途中で表示したりもする。
インターネットでは7月7日からアップロードされていたが*1、来年の映画『のび太の宝島』の長い予告編もTV初公開された。


「ぼくミニドラえもんは、いそがしいドラえもんのかわりにミニサイズのドラえもんが登場。秘密道具も小型で機能が異なるところをやりくりして、のび太たちは野鳥観察を助けてもらうが……
こちらも中編かと思ったが、通常の放映よりも尺が短いくらい。放映枠にあわせて調整するためかもしれない。コンテ担当は山口晋というサプライズ。『ケロロ軍曹』等で活躍し、近年の『映画ドラえもん』シリーズでも活躍しているベテランアニメーターだが、アクション演出のうまさで印象深い。
物語としては、ミニドラに助けてもらうだけのシンプルな原作を、充実したリソースでアニメ化。さらにスネ夫がママを意図せず驚かせてしまうオチ以降に、猫を救出する展開をアニメオリジナルで追加。ミニドラを使った救出アクションそのものが楽しいし、ドラえもんが猫探しをしている原作通りの導入にきちんと物語として決着がつく。違和感がないどころか完成度を高めたアレンジとして感心させられた。
なおかつ映像も、リニューアルにあわせたスペシャルな変化が充分に楽しめた。淡い水彩画調だった背景美術が濃い厚塗り調に変わったわけだが、野鳥観察のため山へ移動することで、風景の画調が変わったことがわかりやすい。秘密道具が多く登場することから、作画の充実ぶりもわかりやすくなった。特にミニタケコプターで四苦八苦する描写が楽しい。
対象物にのみピントを合わせる撮影手法の多用も、パンフォーカスが基本だった『ドラえもん』では考えられない。のび太が部屋に入る冒頭からして、頭越しに部屋を映す構図で遠近感を強調して、新たな映像世界の誕生を期待させる。ミニタケコプターで空き地にやってくる場面では、足元の草むらをふくめて密着マルチで処理して、画面の奥行きをつくりだす。地面に墜落してしまった泥汚れも、ただ色を変えるのではなく、ブラシで上書きするという手間をかけた表現。


「ぞうとおじさん」は、戦時中に動物園のゾウが殺された逸話を、のび太たちは親戚の体験談として聞く。ふたりは人間の身勝手さに怒り、タイムマシンを使って助けにいく……
歴史的な実話*2をモチーフにした重要な原作短編を、新監督の八鍬新之介によるコンテ演出で映像化*3。キャラクターデザインの丸山宏一が作画監督をつとめる。原画にも末吉裕一郎が参加したりと、力が入ったスタッフワーク。
物語は、パパの弟の体験談としては時代がずれてしまったエピソードで、リニューアル後の初アニメ化では動物園で出会った老人から聞いた体験談としてアレンジしていた*4。それを今回のアニメ化では、高齢な親戚の体験談へと改変して、物語としての変化を少なくしている。世代を変えたおかげで、パパがゾウの逸話をまったく知らない原作の違和感も解消された。
序盤の展開は原作に忠実。空襲描写で逃げる群衆を動かしたり、疎開中の出来事を映像として見せたり、キノコ雲を無音で見せたりと、ディテールだけ細かくしている。サッカーコーチが「印象操作」とツイートするような反発を生んでいたが、のび太たちが笑顔で敗戦をつたえるギャップ描写も原作通り。

中盤からは、以前にアニメ化された時よりも、さらに長く憲兵からの逃走を描いている。サイドカーで囮となって逃げるドラえもんたちの描写など、長い背景動画でアクション作画の見せ場となっている。ゾウをつれて歩く飼育員が育ててきた過去を回想する描写なども印象深い。
終盤になって、アニメオリジナル展開でドラマのニュアンスも変化。とりかこんだ憲兵に対して、飼育員が「ゾウは賢い動物です。無意味に暴れたり、人を傷つけたりしません」と語りかける。これは、無意味に暴れて人を傷つける、賢くない動物へ向けた批判であろう。さらに不発弾の突発的な爆発に憲兵が巻きこまれ、葛藤しながらゾウに助けさせるという展開を追加。この結果として、ただ高圧的にゾウを殺そうとしていた憲兵が、最終的にゾウへの同情をあらわにする。
憲兵の変化によって、狂った国家に誰もが従った時代を描いたマンガに対して、狂っていない人間でも誰かを殺す時代を描いたアニメへと、テーマも変わった。どちらが優れているというわけではないが、肌感覚で知っている時代を読者へ伝えようとした原作者と、時代に飲みこまれる恐怖を現代の視聴者と共有しようとするアニメスタッフの、それぞれの問題意識が反映されているように感じた。