法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』ゾウの鼻になったしずかちゃん/へやこうかんスイッチ

今回は前後とも原作あり。スタッフ構成は異なるが、どちらも映像は良好。


「ゾウの鼻になったしずかちゃん」は、空き地から女子をのけものにするジャイアンたちをこらしめようと、秘密道具でしずちゃんがヒーローとなるが……
ストーリー構造は原作と同じだが、ニュアンスが大きく改変されている。原作は、のび太がまずヒーローになろうとして、自力でジャイアンを追いだそうとするが、結局は秘密道具がないと何もできないし秘密道具があっても失敗するというコメディ。しずちゃんの活躍は、のび太がヒーローになれないことの対比であり、覆面ヒーローになったりはしなかった。
今回のアニメ化では、しずちゃんが当初から活躍し、女子が主人公の物語となっている。そして覆面ヒーローとして女子から憧れられ、便利屋のようにもあつかわれる。原作でいうと「魔女っ子しずちゃん」のような、ヒーローにはなれても思うようにいかないコメディに近い。同時に、『少女革命ウテナ』のような、王子のかわりを女子が演じる物語のようでもある。
のび太だとヒーローを演じようとしても失敗するだけだが、しずちゃんなのでヒーローらしくふるまうことはできる。しかし最初から便利屋になることを目指した「魔女っ子しずちゃん」と違うので、助けを求められて困ったりするし、象のような鼻になった姿が恥ずかしくて顔を隠す。ジャイアンたちはヒーローの存在でむしろ過激化し、のび太を人質にとって裏山で戦おうとする。
清水東らしいコメディチックな脚本ではあるが、子供社会の問題を正体不明のヒーロー個人に丸投げしていいのか、という問いかけをふくんだエピソードになっていた。
映像面もきわめて充実。これまで原画として参加していた夢弦館の大石健二が作画監督として登板。さまざまな要素を1カットに入れこんで見せようとする井出安軌コンテの難しい要求に、よくこたえていた。レイアウトとしては序盤の空き地でドラえもんタケコプターで通りがかる場面が、アニメーションとしては裏山でコショウ弾が破裂するなかでのワイヤーアクション、コンテとしては原作通りにタコ墨を吐くオチを活用したフェードアウト演出が、それぞれ特に目を引いた。


「へやこうかんスイッチ」は、学校に忘れた宿題をとりにいくことができないため、部屋ごと秘密道具で交換する。のび太はその道具を悪用していくが……
水野宗徳脚本だが、感動要素のない原作をほぼそのまま映像化。それがむしろ細部の微調整のうまさを感じさせた。
さすがに傘をすべてなくしたままというのは不自然なところを、最後の1本をつかってママが買い物に行くことにして、自然に舞台から退場させつつ、宿題をいいつける原作展開を補強する。ドラえもんの退場も、見たいテレビがあるという台詞をいわせることで自然にして、オチとの連続性をつくりだした。
部屋の模様替えや、それにつながるスネ夫の部屋との交換は、もちろん尺をのばすためのオリジナル描写だが、より良い部屋に交換しようという動機を強調もする。そこで警告ランプを気にしない描写を重ねて、原作では説明なく警告に気づかなかったオチに説得力をもたせる。伊藤翼の部屋にあるテレビを見るのも、警告に気づかないことの説得力を増す。
映像面でも、部屋だけ交換するという機能に関して、窓を開けて外の風景を見るという実感的な描写を足した。原作では全裸だったしずちゃんは、さすがに泡入浴剤で全身をつつまれているという描写へ改変。しかし伝言を書いた紙を残すのではなく、曇った鏡に指で字を書くというシャレた改変もくわえていた。押入れの中を、最初は見せないコンテもシャレているが、これは脚本の指示という可能性もあるかな。