法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

池田信夫氏と藤岡信勝氏への高木健一氏による名誉棄損訴訟が和解したとの報

藤岡信勝氏・池田信夫氏が「誤り」認め謝罪文 慰安婦訴訟の弁護士批判記事 | ハフポスト

東京地裁は2015年4月の判決で、高木氏がインドネシアを訪れ広告を出したとの記述について「真実との証明があったとはいえない」と認定する一方、「広告を掲載したかどうかは重要とはいえない」とも述べて、高木氏側の請求を棄却した。高木氏側は控訴。控訴審の東京高裁で今年6月20日、和解が成立した。被告側が「WiLL」誌上に謝罪広告を掲載し、原告側に解決金50万円を支払うとの内容だ。

地裁で高木氏が敗訴したことは小耳にはさんでいたが、こういう判決だったことは初めて知った。この和解内容なら、事実上の高木氏の勝訴といえるだろう。


ただ、今のところハフィントンポストが報じているのみで、なぜか主要メディアには反応がない。
さらに池田氏ツイッターを見ると、この報道には異論があるようだ。

しかし「こういう記事」として提示されたURLは「404 Not Found」になっている。ブログ内を検索したところ、URLの誤りではなく、どうやら削除されているようだ。
その内容は検索エンジンのキャッシュで読めたが、訴訟対象にされた記事ではなく、訴訟中の報告のようなものだ。

高木健一弁護士が私に対して起こした訴訟の中で、吉田清治が「慰安婦狩り」を1982年に初めて法廷で証言したことを高木は認めた。したがって「慰安婦の強制連行」というデマを世に出したのは、高木が事務局長として提起したサハリン韓国人帰国訴訟だったという重要な事実が確認された。

これ以降、強制連行や植村隆氏の話をしているだけで、高木氏が池田氏に対してどのような訴訟をおこなったのかは判然としない。
ハフィントンポスト記事にあるインドネシアの話はいっさい出てこないし、謝罪文でとりけす予定の「慰安婦を食い物にする高木健一弁護士」「ハイエナ弁護士」という記述もない。


そこで現在でもブログに残っている記事を見ると、当時の池田氏は何が争点なのか、きちんと理解している。
池田信夫 blog : 高木健一弁護士からの訴状

きょう高木健一弁護士から名誉毀損の訴状が来た。その根拠は、私の「慰安婦を食い物にする高木健一弁護士」という記事だ。ここで私が書いたことは、彼が韓国からインドネシアまで行って原告を募集したという周知の事実である。1996年の「朝まで生テレビ」で、藤岡信勝氏に面と向かって証拠を突きつけられ、高木は反論できなかった(奇妙な字幕があとからついた)。

この誤認については、以前にエントリで紹介したように、アジア女性基金の論文で検証されている。高木氏の助言で兵補協会が1995年に調査する以前から、インドネシアでは慰安婦支援運動がもりあがっていた。
インドネシアの従軍慰安婦問題は日本の弁護士が焚きつけたというデマ - 法華狼の日記

現地の報道がもりあがって3年後、日弁連の調査をきっかけに多くの元慰安婦が名乗り出て2年後。兵補協会自体も、日本へ軍事預金の払い戻しを求める団体として、1990年から存在していた。従軍慰安婦に限っても、法律援護協会による登録事業が1993年からおこなわれていた。やはり高木弁護士が火のないところに煙をたてたわけではない。

この時、池田氏ツイッターインドネシアの元慰安婦数が過大だというデマも紹介していた。

おかげで安倍晋三氏が国会で主張した「元慰安婦だった人たちを募ったところ、何と二万人も出てきたということであります。我が軍は一万人ちょっとぐらいしかインドネシアにいなかったにもかかわらず」というデマ*1の源流らしいものも判明した。
池田氏が紹介している『大東亜戦争インドネシア: 日本の軍政』を読むと、「ジャワにいた軍関係者は民間人を入れても二万人前後で、日本人一人に慰安婦一人という計算になる」*2という記述がある。ジャワにかぎった日本軍の人数が、どこかでインドネシア全体の日本軍の人数と混同されたのだろう。
もちろん2万人という数字は現地妻や強姦被害者もふくめたインドネシア全土の登録なので、ジャワに限定した軍関係者との比率は成立しない。ついでにジャワにかぎっても日本軍の人数はもっと多かった。


そもそも、池田氏の高木氏への批判は根本からおかしい。たまたま高木氏は韓国人慰安婦から費用を受けとっていなかったようだが、弁護士という職業で訴訟を助けて費用を受けとって何の問題があるだろうか。
ボランティアに対して、善意や理想だけでは運動としての継続性がないと批判されることがある。社会に訴える活動が「偽善」と誹謗されることすらある。
池田信夫 blog : 「派遣村」の偽善
高木氏が費用を受けとっていたと誤認していた池田氏は、その「現実主義」を賞賛しても良かったはずだ。皮肉なことに。