法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

浅羽祐樹教授の主張は机上の空論ゲームとしては成立しているが

ロシアの通信社スプートニクに、浅羽教授のインタビューが掲載されていて、少し話題になっている。
浅羽教授:朴大統領は慰安婦像を撤去し「今度こそ決着させる」と本気を示せ - Sputnik 日本
まず、このインタビュー記事は日韓関係を中心にしており、従軍慰安婦問題の全体に援用するのは難しいだろう。
日本国内でくりかえされている政府与党の主張を無視しているし、元慰安婦や遺族は韓国にしかいないわけではないし、結末では慰安婦支援団体のひとつを排除することを妥結の方法論として提示している。
たとえ関係者全員が納得して韓国が日本への批判や要求をしなくなったとしても、日本国内での歴史学への攻撃や、教育の自由への侵害といった問題は残る。

これまで、ややもすれば歴史修正主義者に映っていた安倍首相でしたが、自ら問題の所在を認めて、『妥結を図るべきだ』と公言したことは画期的でした。

上記のように浅羽教授がいう画期的な「妥結」の中身にしても、読みすすめると下記のようなものでしかない。

日本側が要求しているのは『妥結』というより『最終決着(closure)』で、今度こそ本当に終わりになるのか、という疑いが強いんです。安倍首相も首脳会談後に、『将来世代に障害を残すことがあってはならない』と述べていますが、これは戦後70年談話の『子や孫の世代に謝罪を続ける宿命を負わせてはならない』と同じスタンスです。

これでは少しも画期的ではないし、むしろ歴史問題を批判されなくなることを望むのは「歴史修正主義者」らしい要求だろう。
現在の政府与党のような主張や政策をしながら謝罪を拒絶できるようになれば、それは歴史修正主義者にとっての理想郷だ。


また、安倍首相がタカ派だからこそ信用されるという主張だが。

安倍首相は有利な政治的資源を有しています。安倍首相には『タカ派の政治家』というクレデンシャル(信任)があります。タカ派のリーダーがあえて、リベラルなポジションをとるということが重要です。元々リベラルな政治家がリベラルなことをやると、『あの人はそもそもそういうイデオロギーだからだよね』という目で見られます。タカ派の世論は当然、反発します。河野談話然り、村山談話然りで、日韓間で『妥結』につながらなかったどころか、日本国内でもナショナル・コンセンサスになりませんでした。2010年の管談話も総理談話の一つですが、今ではほとんど顧みられず『当時は民主党政権だったからだよね』となるわけです。しかし、タカ派の安倍首相が『歴史和解』に踏み出すとなると、誰も、個人的なイデオロギーによるものだとは考えません。『あの安倍首相でさえこの問題に取り組むのだから、それは日本の国益を合理的に判断した結果、やむをえない政策なのだな』と受け入れられやすいのです。

理屈としてはわからないでもないし、いくつか近い政治状況は私も思い浮かぶ。しかしインタビュー記事ではニクソン大統領が中国と和解した一例をあげているだけ。それに反する事例についての検討は書かれていない。
たとえばタカ派にあたるだろう小泉純一郎首相の手紙*1はどうだったろう。日本のナショナル・コンセンサスになっているだろうか。逆に村山富市首相のアジア女性基金にしても、不充分な妥協策という批判はなかったか。
そもそも1度目の安倍晋三政権で河野談話の継承を明言した後はどうだった。ブッシュ大統領と面会した時の慰安婦謝罪発言はどうだった。「あの安倍首相でさえこの問題に取り組むのだから、それは日本の国益を合理的に判断した結果、やむをえない政策なのだな」という納得が、どれほど共有されて現在までつづいているといえるだろうか。
2007年ごろに「やむをえない政策」と最も痛感したはずの安倍首相自身が、自民党が野党になった時、そして再び首相になった今の態度はどうだろうか。むしろ手を変え品を変え、「やむをえない政策」ではなくなるように努力していたのではないか。
せめて現実に「やむをえない政策」というコンセンサスをつくれないかぎり、この浅羽教授の理屈は机上の空論ととらえられてもしかたないだろう。

日韓共同世論調査をみると、歴史問題について、日本国民は、日本は過去、針路を誤ったし、謝る必要も認識しています。同時に、それなりに謝ったにもかかわらず、韓国民から全く何も謝っていないと思われている中で、『謝罪疲れ』『韓国疲れ』が広がっています。『何をやっても韓国には通じなかった』『これ以上繰り返してもムダだ』というわけです。こうした認識は政党支持や内閣支持を横断していますので、安倍首相はこの問題では一様に『タカ派』に分布している世論からの反応を先読みしつつ、今回、『改めて』踏み込むかどうか、を比較衡量しているわけです。

浅羽教授は韓国について「慰安婦問題に対する世論は硬直しています」といい、慰安婦像を撤去しないことについて「ときに法に擬えられる『国民情緒』を考慮する」という。
しかし日本の世論について、浅羽教授は硬直しているものとはとらえず、誘導されたものともとらえない。安倍政権の行動を「比較衡量」と位置づけるかぎり、どのような行動も批判されなくなる。反応を観測しようと動くこと自体が、反応を呼びおこして変化させてしまうものなのに。


ふと、最近に見た『ETV特集』を思い出す。第二次世界大戦までのドイツでも、社会保障の負担となる“障碍者疲れ”が広まっていた。その意識をプロパガンダで増幅して、ナチス障碍者安楽死政策を始めた。
それはホロコーストの"リハーサル"だった ~障害者虐殺70年目の真実~|ETV特集
その障碍者虐殺を知った司教が反対をつづけて、ナチスも公式には作戦をとりやめた。しかし精神科医らは安楽死の中止を「やむをえない政策」とは考えず、敗戦まで実行しつづけた。
浅羽教授が第二次世界大戦前夜のドイツにいれば、蔓延する“ユダヤ疲れ”にどう思ったろうか。「本気を示せ」という言葉は誰に向けられただろうか。

オマケ

ところで浅羽教授は複数のツイートを消して告知用アカウントにしていたが*2、また以前のようなツイッターのつかいかたをはじめたらしい*3
今回のスプートニク記事の主張にまつわるツイートもしている。

上記ツイートを、朝日検証に対する下記ツイートと読み比べると、「謝罪疲れ」という言葉が味わい深い。

また、朝日検証が他紙との比較をおこなったことに対して、下記ツイートのように浅羽教授は主張した。

今回のスプートニク記事にまつわるやりとりで、自身にたいする疑義には下記ツイートのように主張した。

「比べてみないと本当は何にも分からない」が、他人が比べることについては「お門違い」。
以前に同じツイートを引用した時も感じたが*4、つくづく浅羽教授の主張はよくわからない。