法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』

「京都大火編」戦いからはなれた剣心に、ふたたび政府が接触してきた。志々雄真実という暗殺者が、維新後に切りすてた政府への反乱をくわだてているという。
いったんは断ったが、大久保利通が暗殺されたことを知って、京都へ向かった剣心。そのまわりに、かつて幕府の隠密御庭番だった人々が敵や味方としてあらわれる。
「伝説の最期編」志々雄の追撃に失敗した剣心は、師匠の比古清十郎に助けられる。奥義を会得するために、ふたたび師匠の修行を受ける剣心。
一方、軍艦煉獄で東京湾へやってきた志々雄は明治政府と会見。剣心を処刑するようにせまり、明治政府をうなずかせた。そして捕縛された剣心は過去の記憶に向きあうこととなる。


2014年に前後編で公開された漫画原作の剣劇アクション映画を、先週と先々週の金曜ロードSHOW!で視聴した。どちらも本編ノーカット放映だという。
映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』公式サイト
前作の感想エントリは下記のとおり。漫画を実写化しながら牙突以外の殺陣には違和感なく、スピーディーなアクション映画として良かったし、複数のエピソードを一本の長編にまとめたことにも感心した。
『るろうに剣心』 - 法華狼の日記


今作も縦横無尽に疾走するアクションは素晴らしかったし、前後編をとおして煉獄を活用した改変には感心させられた。
原作ではあっさり爆破されて活躍せずに終わった軍艦だが、映画では軍事力として明治政府を驚かして、物語の中心に位置しつづける。そして志々雄一派の移動手段として、最終決戦の立体的な舞台として、前後編それぞれのクライマックスを飾った。
その流れで東京湾での決戦になったのも良い展開。事態を秘密裏に収拾できたことの説得力が生まれた。東京湾の会見で、伊藤博文も人斬りをおこなっていたと志々雄が指摘するオリジナル描写も、史実を引用したリアリティがくわわり、人斬りの心情や対比のドラマも強まった。
そこに注力したおかげか、煉獄のセットの大きさと完成度は充分で、進水や砲撃や炎上の迫力はなかなかのもの。合成も作品に必要なリアリティには達していた。


今回の前後編の問題はふたつある。志々雄一派の十本刀が機能していないことと、本筋にからむには四乃森蒼紫の背景がたりないこと。
まず、いくら前後編を合計すると4時間以上とはいえ、名前ある敵として10人は多すぎる。しかも原作でも映画でも志々雄自身は十本刀にふくまれないし、十本刀以外の部下もいる。週刊誌に連載されていた原作ですら、半分はサブキャラクターを活躍させるだけの当て馬で終わった。
映画で機能していたキャラクターといえば、剣心と何度も戦う瀬田宗次郎と、剣心の刀をめぐって個人で戦う沢下条張と、1作目を再演するように性格改変した佐渡島方治と悠久山安慈の4人ほど。前編冒頭の演劇をエクスキューズにつかって五本刀くらいに数を減らしても良かった。
また、1作目で蒼紫をはじめとした御庭番の削除は良い判断だった。しかしその因縁が消えた状態のまま、御庭番が剣心と出会ったり、蒼紫が剣心をつけねらったりしても、背景描写が足りなくて唐突に感じられる。もちろん京都御庭番は前編には必要だし、そこでの翁と蒼紫の対決はクライマックスを飾るだけの質と量があったが、剣心の物語との結びつきがなさすぎる。


思うのだが、1作目で削除した御庭番4人と蒼紫を十本刀に組みこめば、前後編の問題ふたつを一挙に解決できたのではないか。
原作でも志々雄と蒼紫は一時的に共闘しているし、それぞれ幕府と政府に切りすてられた末端の暗殺者だから共感してもおかしくない。1作目の因縁が消えたかわりに蒼紫が剣心をねらう理由のひとつとなる。
また、十本刀には実写化するには難しい体型のキャラクターが多い。だから映画でもほとんど出番がなく、背景の説明も戦闘もほとんどなく、ひとまとめに後編で倒されていった。くらべると1作目で削除された御庭番は、ずっと自然に実写化できる。前編終盤に志々雄の影武者が意味もなく登場したことも、変装を得意とする御庭番の般若を当てはめれば納得感が増すだろう。
こうすると前編の対決構図が、剣心一派&京都御庭番VS志々雄一派&江戸御庭番になる。その結末は、剣心は志々雄にたどりつくことに失敗するが、京都御庭番は江戸御庭番に引導をわたせたというかたち。これで京都御庭番のドラマも強まるし、ただ街の炎上をふせぐより完結した物語らしくなる。残った十本刀も半分ほどになり、後編で活躍させやすかろう。