法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『るろうに剣心 最終章 The Beginning』

維新志士と新選組が血で血を洗う抗争をくりひろげる京都。維新側で暗殺をおこなう若き剣心は、ある夜の戦いで頬に傷をおう。その相手は手練れではない無名の人物だったが、その生き様が剣心に深く影響を与えることに……


明治初期を舞台にした少年漫画を実写化した、映画シリーズの二部作後編。金曜ロードショーの地上波初放送で、本編ノーカット版を視聴した。シネマスコープ作品なのでサイドカットはされている。

主人公の幕末時代を描く前日譚にして、同じエピソードをTVアニメ終了後にOVA化した『るろうに剣心 追憶編』のアレンジもとりこんだ、現時点で実写版シリーズ最終作。

原作の「人誅編」をアレンジして、実写版シリーズで最も新しい時代を舞台とした前作『The Final』*1の無国籍ぶりから一転して、現代的で派手なアクション以外は時代劇らしい時代劇におさめている。


十字傷をつけるくだりなど、たしかに原作にはない『追憶編』の独自展開を引用している。それでいて『追憶編』の、主に終幕で多用された心象描写はほとんどつかわれていない。
しかし全体的には『The Beginning』こそが漫画めいた映像と感じられた。わかりやすいのが太陽や月のサイズで、『追憶編』のそれは基本的に小さな円が背景に描かれることでアニメには珍しいリアリティを生んでいるのに、この実写版では大きな月をわざわざ合成している。
アクションにしても、『The Beginning』は刀を口にくわえてふりまわすという漫画『ONE PIECE』のような描写を冒頭でおこない、意外なほど成立させられていた。アクションは他も派手で見ごたえあり、何度となく実写化された時代の地味な物語でも飽きさせない。
また、子役に演技を要求することが難しいためか、剣心が剣の道に進んだ幼少期の出来事はいっさい描かれていない。これは『追憶編』の独自描写でありつつ、実はTVアニメ版の時点で付加された描写であった。年長女性との因縁をもつ幼少期を本編の巴との出会いでリフレインする『追憶編』は、剣心が年下と感じられるキャラクターデザインとなっていたと思う。一方『The Beginning』は俳優の実年齢の関係もあってか同じくらいの精神年齢のように感じられた。
『The Beginning』の剣心が『追憶編』より成熟している象徴が、人を斬る基準だ。『追憶編』では他人にその判断をゆだねていることを巴にとがめられるが、『The Beginning』では一理ある線引きを剣心が説明することで巴を斬るよう指示される終盤の痛みを増す。『The Beginning』の冒頭で剣心に傷をつけた男が、『追憶編』と違っていったん剣心に見逃されていた微妙な差異に首をかしげていたが、それは剣心の人を斬る基準と密接にむすびついた改変だった。


そこまでは良かったのだが、どうしても時代劇アニメに残る傑作『追憶編』と比較してしまい、単体では悪くない『The Beginning』の存在意義を見いだしづらかった。原作の時点でバランスが悪かった「人誅編」を、娯楽として多大な難があったOVA『星霜編』とも違うアプローチでまとめた『The Final』ほどの良さがない。
特に、一般的に声優の説明台詞にたよる傾向があるアニメという媒体でありながら、台詞を抑制した『追憶編』の特長が消えているのがつらい。なかでも主人公は寡黙に描写され、冷徹な人斬りらしさを感じさせた。それでいて超然とした師匠の独白で俯瞰することで、状況や心象の説明不足におちいることもなかった。一方『The Beginning』の剣心はかなり饒舌で、理念の現状の落差に苦しむようなキャラクターには見えない。最初から人間味を感じさせることで、結果として策謀をおこなう必然性も減じてしまっていた。