将来に奪われるかもしれない多数の命と天秤にかけて、目前で奪われようとする少数の命を切り捨てる。
しかし本当は、少数の命を切り捨てたところで、将来に多数の命が奪われなくなる保証はない。
それでも、天秤に多数の命を救える蓋然性があると仮定してみる。
しかし将来に多数の命が奪われそうになった時、より将来のより多数の命と天秤にかけられるかもしれない。
そのような無限の先送りがおこなわれないと信じることは、もはや私にはできない。
目前で奪われようとする少数の命は、より過去の少数の命を切り捨てて守るはずだった命なのだから。
そのようなことを考えながら、さぼりさぼり慈善活動をしてきた。
「教会の私有地で炊き出しをおこなえばバッシングはしない」 - 法華狼の日記