法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「脅迫に屈しないというのは言論で闘うことが前提」「脅迫に言論で闘うというのもよくわからない」どっちだよ

専門的な書籍から引いた用語解説が後年に不正確とされた時、大学をやめる必要があると主張する人々 - 法華狼の日記に対して、大屋雄裕教授*1トラックバックを送ってきた。

大屋教授の上記ツイートを前提にして読んでいったのだが、よくわからない記述につきあたった。
確信的誤読犯対応(1) - おおやにき

脅迫はそのような言論による相互批判を逸脱しているので警察力に頼って防衛することは当然だし、脅迫に言論で闘うというのもよくわからないが、それ以外の批判・疑問などにも対抗していないことの理由にはならない。

「脅迫に屈しないというのは言論で闘うことが前提」を批判していた私に対して、「脅迫に言論で闘うというのもよくわからない」とか書かれても、わけがわからない。
もし大屋教授が「批判・疑問などにも対抗していないことの理由にはならない」と主張していれば、私の批判はもちろん違ったはずだ。朝日検証などで一定の対抗がおこなわれていたと指摘するにとどめたかもしれない。その場合でも大屋教授を名指ししなかったかもしれない。


そして私は言論で闘っている例として朝日検証を指摘していたわけだが、対する大屋教授自身の評価は下記のとおり。

「思った以上に大屋教授は朝日検証を読む能力がなかったようだ」と氏が書いている点についても朝日検証自体の信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)のに何言ってるんだろうというレベルでしかないのに、自信満々に「大学教授の資質を疑問視」とか言えるあたりの自覚のなさも踏まえると、まあ自己の能力に対する主観的評価と客観的評価の差異がわからないんだろうと思われる。

「批判・疑問などにも対抗していない」わけではないことを、ここで大屋教授自身が証明している。対抗する言論が出されたからこそ、「信頼性を疑問視」することができるのだから。
それはそれとして、「信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)」と大屋教授が主張するからには、何らかの根拠が必要だろう。朝日検証全体に対しては、いくつか私自身も疑問視してきた。その上で、当時の植村記者個人に責任を負わせられないことを示せていると考えている。もちろん、私が気づかない問題が朝日検証に残っている可能性は高いし、それを大屋教授がきちんと指摘できるなら知りたい。
そして、「大学教授の資質を疑問視」という表現を私は自信満々に書いてなどいない。実名の大学教授の発言だからこそ、ツイッターであっても一定の信頼性が期待されるし、そのかわりに責任を負うと考えていた。大屋教授が私など比べるべくもなく社会的な評価が高いことは大前提だった。

*1:https://twitter.com/takehiroohya/status/529276890356269057等で相手にしないことを表明したため、今後も原則としてリプライは送らないことにする。