法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スキャナー・ダークリー』

近未来の米国、潜入捜査官フレッドはアークターという偽名を使って、麻薬常習者と共同生活を送っていた。
麻薬常習者は愚かで考えなしな行動ばかりするが、不思議と嫌いになれない。たがいに素性も外見も隠している捜査官同士より、ずっと「人間」らしい。
しかしフレッドは潜入捜査のため麻薬「物質D」を自らも摂取しつづけ、幻覚にさいなまれ人格も変容していく。そして失われていく人間性を守ろうとフレッドが苦悩していく一方で、潜入に隠された目的が明らかになっていく。


フィリップ・K・ディック『暗闇のスキャナー』を原作として、2006年に公開された米国映画。原作小説からの改変もあるそうだが、未読なので判別できず。
前半では、麻薬常習者たちの無気力で滑稽な日常を、乾いた明るさで描き、一種の青春映画のよう。しかし後半、主人公が組織の末端として利用されていることがはっきりしていき、出口のないサスペンスへと移行する。
しかし終盤で病んでしまった主人公の姿は、けして自らが望んだ結果ではないのに、ハードボイルドに似た雰囲気があった。親しい人間にも正体を明かせず孤独な戦いをしいられたこと、そして変身するために心身が少しずつ崩壊していったこと、どちらも考えてみれば変身ヒーローの一類型であり、この作品は両方の極北を描いている。
そのためだろうか。物語の結末で、意識せず罪の根本にたどりついた主人公が、たとえわずかに残された人間性を組織に利用されただけであっても、ひどく美しく感じられた。


映像としての見どころは、ロトスコープで制作されていること。最初に実写映像を撮影し、その俳優の演技をなぞるように作画してアニメーションを制作する手法だ。今年の日本でもTVアニメ『惡の華』の全編で用いられ、話題になった。
『惡の華』ロトスコープの感想 - 法華狼の日記
惡の華』では、緻密で静謐なレイアウトに、細く柔らかい描線で影なしのキャラクターが静かに動いていた。『スキャナー・ダークリー』は対照的に、よくカメラを動かす一般的な実写映画のようなレイアウトで、硬く強弱ある描線に陰影の濃いキャラクターが堂々と動きまわる。

まるでコンピュータで画像処理しただけかのようにも錯覚するが、DVDメイキングを見れば人力でていねいにトレスしている風景を確認できる。制作においては、予定していたより多い1年半という期間と、50人という人的資源を投入したそうだ*1。デジタル制作による省力は、当時は目新しかったペンタブレットで輪郭線トレスしていることくらい。
そして俳優ごと、さらに同じ俳優でもアングルによって担当アニメーターを別け、統一をはかっていたという。キャラクターごとにアニメーターを分担させるのは、日本のアニメ制作では珍しいが、ディズニー映画でも使われていた手法だ。


もちろんロトスコープ手法は見た目のインパクト以上の意味も持っている。
制作者にとっても刺激的だったそうで、俳優はアニメらしくオーバーアクションしてみせるし、参加したいと手をあげるアニメーターも多かったそうだ。また、長編アニメ映画『アナスタシア』等に参加したアニメーターがいる一方、アニメ経験のないアーティストも参加していたそうで、アニメート技術の不足を補う効果もあったろうと想像できる*2
完成した表現としても、思春期の心象らしいイメージカットをリアルな風景に溶けこませるため『惡の華』がロトスコープを活用したように、外見を隠すためのスクランブル・スーツや麻薬患者の幻覚でロトスコープが効果をあげていた。
特に、老若男女の外見がオーバーラップしながら変化しつづけるスクランブル・スーツは、映像としてオリジナリティとインパクトがあった。やはり手間がかかっているそうで、DVD収録のメイキングによると、主演俳優の演技にあわせて動く俳優が20人も必要だったという。

*1:なおDVDメイキング情報と、公式サイトの記述は小異がある。公式サイトでは30人で15ヶ月かかったとのこと。http://wwws.warnerbros.co.jp/ascannerdarkly/

*2:実際、『惡の華』と比べて一枚絵としての完成度は高いが、背景美術とキャラクターの動きがあっておらず、あたかも足が地面をすべっているかのようなカットが散見された。