法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

卒業式に制服の第二ボタンをもらう風習の起源について

一年半ほど前、はてなブックマークニュースでとりあげられていたのだが、三つの説がとりあげられているだけで、結論は出されていなかった。
なぜ制服の“第二ボタン”をもらう?「卒業式」にまつわる3つの謎 - はてなニュース

説1.
学生服のボタンには、「1番上=自分、2番目=いちばん大切な人、3番目=友人、4番目=家族」とそれぞれ意味が込められている。
説2.
第二ボタンは心臓に近い位置にあるため、“ハートをつかむ”という意味がある。
説3.
戦時中、大事な人へ形見として“軍服の第二ボタン”を渡す風習があり、その名残。

インターネットで検索すると、出てくるのは上記の三説か、後述する武田泰淳説が多い。
しかし私の記憶では、さまざまな風習の起源を調査した五年ほど前のTV番組によると、上記のどれとも違う説が結論として出されていた。


結論からいうと、戦時中を題材とした戦後の映画に該当する描写があり、それが風習の起源になったのだという。二番目と三番目の説は、その起源から生まれたという順序のようだった。
番組中で実際に映画の該当場面が流され、監督へのインタビューも行われた。軍服のボタンをちぎるなんて当時の軍人としてありえないという疑問に対して、実は監督自身も兵士として出征間近だったが、敗戦によってからくも生き残り、その戦争への思いを作品へこめたのだという。軍服のボタンを渡すというありえない行動は、あえて元軍人として描写したと語っていた。
ただ、困ったことに映画の作品名も監督が誰かもはっきりと記憶していない。


そこで、とりあえず該当の番組が何であったから調べることにした。
まず、『ひかりごけ』等で知られる小説家の作品に起源があるという説があった。はてなブックマークニュースで紹介されている雑学サイトでも言及されている。
http://www.otona-magic.net/zatugaku/100144.html

残念ながらはっきりした答えは不明でしたが、武田泰淳(1912−1976)さんの小説の中で下記のような文章があるようです。

内容
戦死したお兄さんにはお嫁さんがいました。なんと弟(主人公)はそのお嫁さんに恋をしてしまったのです。しかし、弟は特攻隊として戦地に向かわなければなりません。

「二度とこの場所へは戻ってこれないだろう。だから、自分の気持ちを第二ボタンに託し、万が一のことがあったら、形見として持っていてください。」

心臓に一番近い第二ボタンをお嫁さんに渡した内容です。

この小説に感動した先生が、さっそく生徒達にこのお話を聞かせてあげたそうです。

丁度その頃が卒業シーズン!

生徒達はこのお話を参考にして第二ボタンの受け取りが行われたそうです。この話が全国に広がり今では当たり前の光景になった。とする説です。

ところが、この武田泰淳説をTBSの番組が実際に調査して、作品内に描写が存在しないとわかったのだという。
制服の第2ボタンと武田泰淳 - ひーず のーと

TBSの起源を探るテレビを夕方見ていたら、制服の第2ボタンを渡す習慣の起源を探していたら、武田泰淳の小説説が有力に。制服メーカーや誰かのエッセーにも書かれているとのこと。ところが番組のスタッフが武田泰淳の全著作物を読んでもそんなシーンは出てこず、武田泰淳研究の専門家に聞いてもそんなシーンはないという。そんなこともあるんだ。驚き。

都市伝説の発生過程と読んでも興味深い話だ。
上記エントリから、私の記憶にある番組がTBS制作であることや、再放送でなければ2007年11月10日前後に放映されたこともわかった。


関連する語句をインターネット検索していくと、YAHOO!知恵袋で第二ボタンについて質問しているアカウントがあり、それがTBS番組のスタッフと名乗っていることに気づいた。
「第2ボタンをもらう」という習慣を始めたのは誰? - 先日、第2ボ... - Yahoo!知恵袋

この質問は、TBS系特別番組スタッフからの質問です。
頂載した解答は、番組内で紹介される場合があります。

アカウントのプロフィールから「ご起源さん!」という番組名もわかり、公式サイトにたどりつくこともできた。
http://www.tbs.co.jp/program/gokigensan_20071110.html
一回目の放送では解答にたどりつけなかったが、2008年の二回目でついに起源にたどりつくことに成功したという。
http://www.tbs.co.jp/program/gokigensan_20080321.html

 今回は、前回の放送で未解決起源となってしまった「好きな人から第2ボタンをもらう起源」を解明。前回の放送終了後に、視聴者からさまざまな情報が寄せられ、その情報をもとに取材したところ、ついにその起源が明かされた!

公式サイトには書かれていなかったが、二回目に放映された時の番組名で検索して、映画名に言及しているブログ感想も見つかった。
オンマゴムのつぶやき バラエティ

「好きな人から第2ボタンをもらう」・・戦時中に徴兵された若者が軍服のボタンを形見として渡していたという説に対し、天皇から頂いた服のボタンをちぎるなんてありえないと当事者が語り、実は昭和35年に放映された「紺碧の空遠く」という映画の中から始まったと判明。

正式な題名は『予科練物語 紺碧の空遠く』で、1960年の作品だ。判明した作品名で検索すると、風習の起源として言及されている記事も出てくる。
作品を手がけた井上和男監督は、円谷特撮で有名な日米合作映画『勇者のみ』*1に協力したり、松本清張原作の時代劇映画『無宿人別帳』を監督している。2011年に亡くなられているが、2008年の番組で取り上げられた関係によってか、『映画論叢』連載の自叙伝でふりかえっていたらしい。
●卒業式の第二ボタンの起源とは?: ボタン百物語

井上監督は、2008年の自伝で、
「追いかけてきたおヒナちゃんと山川が出会う橋の上。
死地に赴く山川には、形見として渡すものは何もない。だから、胸のボタンを千切っておヒナちゃんの手に握らせるんだ。
二人が両手で握りあう一つのボタン、それこそ桜に錨の金ボタンです。
18歳と14歳の〈生死の別れ〉、まあ、ボクの〈純愛表現〉でしょう」*。


また、なぜ第二ボタンかの問いに、
「だって心臓に一番近いボタンでしょ。山川のハートですよ」*と答えています。

あえて歴史考証としてありえない描写をした、この監督の思いは印象深い。


最後に、ごく個人的な話だが、このダイアリーは番組放映の時点でも書いており、実は当時も感想を上げようかと思っていた。しかし思案している内に録画の場所を忘れ、当時のメモも紛失してしまい、情報源を探しなおすことに手間どってしまった。
全国地上波のゴールデンで流れた特別番組なのに、インターネット検索でたどりつくまで丸一日以上かかってしまった。興味深いことがあれば、ありふれた内容であっても、忘れる前に簡単でいいから記録しておくべき、という教訓として心にとめおこう。

*1:太平洋戦争において孤島で日米両軍が呉越同舟状態になる作品。