法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日の丸は永久に不滅です

枝野幸男官房長官地震対応会見を賞賛するスレッド、およびそのまとめエントリで、首をかしげるやりとりがあった。
地震対応の枝野官房長官かっこよすぎ: フライドチキンは空をとぶ -フラソラ-

21: 名無しさんにズームイン! 投稿日:2011/03/12(土) 20:53:15.54
id:fvsxBnpn

上手だけど、全く国旗に一礼していないぞ
これは問題

37: 名無しさんにズームイン! 投稿日:2011/03/12(土) 20:55:23.53
ID:55lcSgvp

>>21
6時前の発表の時はしてたよ

気にするところ今そこなのか。


かつて、産経新聞コラム【40×40】を潮匡人が担当した時、閣僚の国旗掲揚の有無を調べて記事にしているという資源の無駄づかいを誇らしげに語り、あまつさえ調査開始後に初めて全閣僚が敬礼したというのに非難をあびせたことがある。
はてなブックマーク - 【40×40】潮匡人 見かけ倒しの敬礼動作 - MSN産経ニュース
当然のように失笑をかったが、潮匡人は以降も同工異曲の主張を続け、産経新聞も掲載している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110109/plc11010922070226-n1.htm

 菅改造内閣が発足した。第1次菅内閣では、官邸の会見で3閣僚が降壇時に欠礼したが、今回ついに全閣僚が登壇時・降壇時とも国旗に敬礼した。

 だが、今回も「見かけ倒し」の敬礼動作だった(7月1日付小欄)。案の定「3閣僚が担当省庁で初めて臨んだ記者会見場に設置された国旗に一礼しなかった」(19日付産経)。

国旗へ閣僚が礼をするかどうかにこだわる馬鹿馬鹿しさを象徴する、平和な時期の話ではある。
最近の市井でも、日の丸を批判的に改変するデモ表現をもって、組織的な暴力の相対化をはかる言説を見かけたことがある*1


しかし、何よりも国旗を尊重させようとする*2人々を見ても、日常が戻って良かったとは思えなかった。学校へ下賜された天皇皇后の写真「御真影」を、災害時に守ろうとした人々が命を落とした歴史がある。
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 ところで、「御真影」が「下賜」されるようになってから、火事や災害のときに、「御真影」保護が直接・間接の原因となって命を落とす校長や教員が出てきた。「御真影に殉じた」最初のケースは、一八九六(明治二九)年の三陸津波の際に死亡した教師・栃内泰吉だった。その後、「御真影」を守るために、何名もの教師(校長)が命を落とす。その死は粉飾・装飾をほどこされ、「美談」として喧伝された(詳しくは、『「御真影」に殉じた教師たち』岩本努著、大月書店、一九八九年参照)。

念のため、守ろうとした個人の宗教的な情熱だけに命を落とした原因があるわけではない。文部省からし御真影を最初に守るべきものとして位置づけていた。それも平和な時代ならではの見当違いな考えではなく、戦争が身近な時代、空襲を前提とした指針においてのことだった。

文部省「学校防空指針」によれば、「自衛防空上緊急に整備すべきもの」のトップに、「御真影勅語謄本、詔書謄本の奉護施設(奉安所の設置のほか、必ず奉遷所も決定し置くこと)」が挙げられている。ちなみに、第二順位は、「教職員学生生徒及び児童の退避施設」である(『週報』12頁)。

位置づけるにとどまらず、人の死を美談として利用するようなことまで行った。

 1945(昭和二〇)年の空襲時に、「御真影」を「守護」するために死亡した教師(校長および訓導)は10名にのぼったという。そのうち、福井市若い女性教師の場合、公式記録には「御真影奉遷中爆死」とされているが、実は学籍簿等の重要書類を持ち出そうとしていたという(岩本前掲249、253頁)。国家は人の死を単色に染めあげようとする。その教師が「御真影」を背負う校長のあとに続いて、必死に持ち出そうとしたものは、子どもたちの貴重な記録だったのである。

むろん当時の人々、それも守る立場に置かれた人も疑問視をしていた。当初は命よりも写真を重視する姿勢を批判する投稿が新聞に掲載されたこともあった。

 広島に原爆が投下されたとき高等師範学校二年生だった森田定治氏(元高校教師)は、広島市内で死体埋葬作業に加わった。その体験をこう書いている。
 「次から次へと運ばれてくる死体に石油をかけて焼いたが、深夜は奉安殿の警備にあてられた。学校は全焼して崩れ落ちたが、奉安殿は鉄筋だったため焼け残っていた。……一瞬にして20数万人の命が消えた夜、なぜ奉安殿の警備かと、私は分からなくなった」(『朝日新聞』1989年1月17日付、岩本前掲 257頁)。
 「御真影」を守るために命を落とした最初のケース(前述)では、その死をめぐって、『国民新聞』1896年7月8日付に批判的投稿が掲載されたが、そこにこういう一文があった(岩本前掲29頁)。 「写真は再製し五製し十製すべし、人の性命は再製すべからず」。

薄っぺらなものへの尊重を他人へ強要しても、それは狂信でしかない。薄っぺらなものと自覚した上でこそ、それに心を寄せる人の思いを量れるだろうし、主体的な尊重を望めるはずだ。


もちろん、会見時に国旗へ一礼するくらいの労力や時間で、人の生死にかかわることはないと思う。一礼すべきという考えを表明することでも人の生死にはかかわるまい。
だが、そうして人の生死にかかわらないことを再確認させるたびに、国旗が無意味なものと明かされていくことは念頭に置くべきではないのか。国旗を尊重する立場にある者こそ考えてほしい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20110307/1299594013

*2:国旗という表現そのものを尊重することは自由だと思う。表現は自由だ。