法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

君は「野蛮」か「善良な市民」か

関東大震災を経験した芥川龍之介が、下記のように菊池寛とやりとりした文章を残している。
芥川龍之介 大正十二年九月一日の大震に際して*1

 僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
 戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草をくわへたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや嘘だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも嘘か」と忽ち自説(?)を撤回した。
 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
 尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。

単語を心地良い敵へ置きかえれば、きっと「善良な市民」になることはたやすい。「○○○○○○○○」という伏字に、自由な敵を当てはめればいい。それどころか芥川が想定したであろう単語を置きかえるまでもないことを私は知っている。
とにかく苦心を要すると芥川龍之介が書いた「善良な市民」を、今回の地震にさいしても軽々と装う人々が見られた。
まとめよう、あつまろう - Togetter
私は芥川のいう「野蛮」でありたい。
地震の有無にかかわらず、不安と恐怖が作り出す敵を、せめて迷いなく「嘘」と口にしたい。

*1:引用時、カッコ内の振り仮名や注記を排し、定本では「言+墟のつくり」だった漢字を「嘘」へ、「啣へた」を「くわへた」へ変更した。