法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ダブルスタンダードだから何?

殺人未遂が事実として、そういった犯罪は否定するべきということは前提として。
9条ナイフ滅多刺し男の件に関する的外れな反論へのお返事 : 週刊オブイェクト

だからもし護憲派が右翼のテロ、自衛官の犯罪を理由に改憲派を批判して来たら、改憲派は「的外れな指摘ですね。それがどうかしたんですか?」と返答してお終いなのです。犯罪を犯した人が普段の運動(改憲運動)と矛盾する行為を行った場合は問題ですが、関係無いなら相手にする必要がありません。これは護憲派でも同じ条件です。犯罪を犯し、普段の運動(護憲運動)と矛盾する行為を行った場合は問題になりますし、関係無いなら別に気にしなくて良いです。

運動家個人の、行動に加えて内面にも問題があったというだけだ。「何十万人と居るのだから一定の確率で犯罪は起きますね、だからどうしました?」が「「何十万人と居るのだから一定の確率でダブルスタンダードな人は出ますね、だからどうしました?」という話になるにすぎない。
他の平和運動関係者にとっては、襟を正すべきという一般論がせいぜいだろう。統計を取ったわけでもないのに、一個人の行動を他の平和運動にまで一般化するのは、いささか稚拙な反応と呼ばざるをえない。
リデル=ハートの格言「平和主義者の好戦性」について : 週刊オブイェクト

反戦平和運動は半ば宗教と化し、布教活動を行う者は異なる意見に耳を貸そうとせず、反対意見を持つ者に対して勝利を得ることを企てている・・・それは、とても攻撃的で、平和的な性質のものではなかった・・・「平和主義者の好戦性」について嘆く声は、今も昔も変わりが無いのでしょうね。

最初に運動の理念と反する殺人未遂事件へふれた記事*1での「好戦的な平和主義者」と、意味が違いすぎてないか。言論で戦う平和主義者が批判されるべき理由がわからない。相手の意見を聞き入れない欠点があるとして、それは「好戦的」とは別問題だろう。


さて、もし運動の名前や組織の力を用いた犯罪だったならば、あるいは運動の思想が犯罪に直結するものなら*2、関わった運動および組織にも責任が問われるだろう。しかし、そのような背景は現在うかがえない。報じられている限りでは衝動的な犯罪と思われ、運動や組織を利用する余地があった様子はない。
たとえば、田母神氏の「論文」が問題視されたのは、自衛隊という組織に所属し、その組織における立場を明かし、さらには論文を公募した側と立場を介した繋がりがあったと疑われている、等々の要因もあるからだ。田母神氏以外の航空自衛官も多数応募していたという報道もあったことも注意したい。
あるいは、昨年に自衛隊で発覚した暴行事件*3が問題視されたのは、教育という場で行われた組織的な犯罪であり、恒常的であったとも疑われ、さらに関係者が隠匿に協力していたとうかがわれたからだ。


そうして運動や組織と個人の違いに注目すると、JSF氏の主張は一つの問題をはらんでいる。
9条ナイフ滅多刺し男の件に関する的外れな反論へのお返事 : 週刊オブイェクト

仮に右翼のテロが行われたとしても、私はテロリストの殲滅を主張するだけです。何も困る事がありません。むしろここぞとばかりに右翼過激派テロリストを叩いているでしょう。また自衛官の犯罪についても、何十万人と居るのだから一定の確率で犯罪は起きますね、だからどうしました、で終わりです。

自衛隊員が犯罪に手を染めたとしても、ダブルスタンダードにはあたらないという。つまり、自衛隊という存在は、一般と比べて特段に犯罪を忌避するいわれがないという論理だろう。
しかし自衛隊は国家に属する強い組織である。しかも、衝突する面も多々あるとはいえ、警察と協力して治安に関わることもある組織だ。警察ほどではないにせよ、自らを律する態度が一般より強く要求されるているのではないだろうか。警察よりも国家の深い機密に関わる例があると考えれば、第三者による監視が困難になるということもでき、より自浄能力が要求されるともいえるのではないだろうか。
自衛隊が一般に比べて特段に犯罪を忌避するいわれがないと主張するなら、その理路を説明してほしい。殺人未遂事件を起こすことがダブルスタンダードになる団体と、犯罪を起こすことがダブルスタンダードにならない自衛隊とでは、どうしても前者に好感を抱いてしまうのだが。