法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

何がダブルスタンダード?

エントリで書かれている事件概要が事実だとして。
9条ナイフ滅多刺し男の件に関する的外れな反論へのお返事 : 週刊オブイェクト

・他人に対して平和と無防備を訴えていたのに、自身は武装していた。あまつさえ、武装をしていない他人(無防備状態)に対し、武器を用いて先制攻撃を加えた。被害者はナイフで滅多刺しにされ重体、平和運動家による殺人未遂行為となった。


反戦平和運動家として自身が訴えてきた事を全否定する、ダブルスタンダード行為が最大の問題点です。前記事で冒頭に述べている「自己を全否定する行為を・・・憲法9条を唱える無防備論者がナイフを使って殺人未遂」と言う部分に集約されています。

だからもし護憲派が右翼のテロ、自衛官の犯罪を理由に改憲派を批判して来たら、改憲派は「的外れな指摘ですね。それがどうかしたんですか?」と返答してお終いなのです。犯罪を犯した人が普段の運動(改憲運動)と矛盾する行為を行った場合は問題ですが、関係無いなら相手にする必要がありません。これは護憲派でも同じ条件です。犯罪を犯し、普段の運動(護憲運動)と矛盾する行為を行った場合は問題になりますし、関係無いなら別に気にしなくて良いです。

人間とは暴走する存在ゆえに過剰な戦闘力を持つべきではない、国家という強い権力を持つ存在ならばなおさらだ、という観点から憲法9条堅持を主張する人にとっては、自説の反証どころか実例にもなりうる事件だろう。
問題の事件は、素手で攻撃したのではなく、ナイフという「武器」を用いているのだしね。また、殺傷目的にしか使えないようなナイフではなかったらしいので、9条堅持を主張しながら武装しているという批判も通じないだろう。むしろ9条堅持論者が想定するよりも武力は制限しなければならない、などという理屈にもなる。容疑者が自身の暴力を事実として認め、かつその正しさを主張した時に初めてダブルスタンダードと評することができるはず。
理性に限界があるという考えは、裁判員制度への懐疑意見などでも見られる、ありきたりな観点だと思う。もちろん9条を主目標とした改憲論者も軍事力が無制限であるべきとはまず主張しないと思うが*1、上記のような発想は持てないのだろうか。
相手の用いているスタンダードを正しく把握しないと、ダブルスタンダードは見当違いなレッテル張りにしかならない。たとえば、エントリタイトル等で9条を示さず、無防備都市宣言のみを問題視すれば、まだダブルスタンダードという評に妥当性があったかもしれない*2
一言で説明すると「憲法9条は関係なくないか?」という話。

*1:田母神氏あたりを見ていると不安もあるが。

*2:ただし、無防備都市運動の文脈をよく知らないので、運動にかかわっている者からは反論があるかもしれない。念のため。