法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

非国民の図書館

今敏監督のアニメ映画に『東京ゴッドファーザーズ』という作品がある。三人組のホームレスを主人公とした、現代の御伽噺だ。聖夜の奇跡が主題であり、展開は御都合主義で、主人公達も好感を持てる存在に描写されている。しかし、ホームレスを理想的な自由人として描いているわけでは全くない。妻を失った中年男は虚栄心のため何度もつまらない嘘をつき、家出した少女は社会を冷笑的にながめ、老いたゲイは妄想の世界に生きている……意地汚く、嘘吐きで、大した技術も持たず、通常の社会生活を送るためのコミュニケーション能力がない……しかし、社会から排除されるべき非人間的なキャラクターとは、けして描かれない。
今敏監督は続けてテレビアニメ『妄想代理人』でも、ホームレスを題材にしたエピソードを用意している。老婆のホームレスは、御伽噺であった『東京ゴッドファーザーズ』からさらに踏み込んで、キャラクターとしての好感すら持ちにくい存在として描かれている。家族が見つかって家に戻れたかと思えば、またホームレス生活に戻る。だが物語として、ホームレスを社会から排除するべき存在とは、やはり描いていない。社内から浮いた存在のOL、学校内序列を転落する優等生、ゲームと現実の区別を失いつつあるオタク、無能なアニメ制作スタッフ……様々なエピソードで描かれるキャラクターと同様に愚かさを持ち合わせている一個の人間としてホームレスも描かれる。
もちろん、この話はホームレスに限らず、差別問題全体に関わってくる。被差別者に聖性を要求することの誤謬や、被差別者が多様性ある存在という認識は、差別問題について言及するなら前提であり常識であるはずだ。被差別者も人間なのだ、愚かな間違いもするし罪を犯すこともある。人間なのだから。


フィクションで現実を学べという話ですらない。一般的な「娯楽」においてすら常識だという話だ。
図書館員が知らなかったり実践しないのは、とりあえず批難するつもりはない。現場を知らないこともあるし、図書館は容器であって中身と同一化する必要がないこともある。しかし、図書館を利用しているはずの人々が、差別的な発言をして自覚しない姿は悲しかった。
ホームレスを排除した「快適」な図書館で、どのような顔をして親は子に本を読ませるのだろう。それとも差別の肯定、腐敗した社会を追認するような本ばかり読ませるつもりなのだろうか。
映画『七人の侍』で菊千代が百姓の「悪ずれ」ぶりに叫び声をあげてから、もう何十年もたっている。
没後10年黒澤明「七人の侍」005

「おめえたち、百姓を今までなんだと思ってた? 仏様とでも思ったか。おかしくって……。
 いいか、よっく聞け。百姓ぐらい悪ずれした生き物はねえんだぜ。
 米出せっちゃ、ねえ、麦出せっちゃ、ねえ。なにもかも、ねえとぬかしゃあがる。だが、あるんだ。床板ひっぱがして見てみろ。そこになきゃ、納屋のなかだ。そこにもなきゃ、裏山が隠し田だ。
 出てくる出てくる。カメに入った米、麦、みそ。なんだって出てくるんだ。
 いいかっ! 百姓ぐらいズルがしこい生き物はねえんだぜ。
 だがな、そんなズルがしこい百姓つくったのは誰だと思ってる? おめえたちだよ。おめえたち侍だってんだ。
 戦(いくさ)のたびには村を焼く、田畑はふんづぶす、女は犯す、さからえば殺す。百姓はいったいどうすればいいんだ。どうすればいいってんだっ!」