法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズン#12 宇宙で待ってる

偶然も二度続けば必然とは、誰の台詞だったか。神の視点では経緯が明らかなことでも、作中人物にはわからない。偶然が続けば、背後に陰謀の影を見てしまう。
一期では描写量に比して本筋にからまなかった“となりのテロリスト”という設定を、ここでこう回収してくるとは予想外だった。しかも作中人物が陰謀を推測する心理に無理がない。
戦死の前振り描写としてありがちすぎて前回は楽しめなかったジニン中尉の家族写真も、家族の逸話をふくらませるのではなく、写真を無造作にはがす描写で喪失感を演出したことも良かった。故人には特別な思い入れがある品物でも、周囲には遺品の一つにすぎないわけだ。戦死の前振りでなく喪失感の前振りであれば、ありがちな家族写真という小道具も、尺を使えない脇役の持ち物を印象づける選択として悪くない。家族写真の逸話自体、ルイスが写真を削除する前振りにもなっている。


ルイスが過去の繋がりを削除した一方、未練がつのる沙慈は「戦い」をうながす刹那と衝突する。後ろを振り返らずストーリーを牽引する主人公、迷い葛藤してドラマをつむぐ主人公、いかにもダブル主人公らしい構図で互いの過去や心情を掘り下げる。視聴者に近い立場の沙慈と対比されることで、刹那が血が通った人間に見えてくる。
誤解を生んだ原因たる刹那の語彙能力がありえないほど低く、重苦しい話の息抜きになっているのもいい。真面目な顔したバカバカしい台詞回しで笑いを取る黒田洋介脚本の真骨頂。


Aパートが単機で戦局を覆すロボット戦、Cパートは個人の能力で覆せない超兵器が威力を見せる艦隊戦と、ロボットアニメに求められる娯楽性を捨てることなく戦場のリアリティ*1を保った構成もいい。
前半でスーパーロボット的なロボット戦、後半でリアルロボット的な艦隊戦という構成は第9話でも見られたが、巧い手法だと思う。さほど複雑な動きを必要としない艦隊戦は、単純に作画リソースの節約にもなるし、戦闘が地味でも派手なロボット戦と世界観が乖離しない。


長崎健司のコンテ演出で、戦闘自体も派手な映像と工夫された殺陣が見られて楽しめた。鯉が滝登りするように、ビーム攻撃を回り込んで避けながら敵機に接近するカットが印象的。
ただ、富野演出の模倣みたいなイメージシーンを多用する点は、一期からの印象と異なりすぎていて好みではない。狭いフレームに多数のオブジェクトが映るという、ガンダム宇宙化がいちじるしいのも気になった。

*1:大局を主人公個人の意図で覆す際、寓話的な誇張を用いず物語を展開することが、ここでいうリアリティ。要するに個人の心情だけでは大局を変えられない世界観ということ。