法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

理屈がわかる、それゆえに死刑判決へ拒否感を持つ

風の精ルーラ氏が、はてなダイアリー長崎市長銃撃犯への死刑判決要旨を論評していた。
http://d.hatena.ne.jp/windspiritroula/20080526/1211811388

確かに、殺害人数は一人です。殺人罪であっても、別に一人なら死刑にならないというわけではありませんが、殺害人数が重要なメルクマールになってきたのは間違いのない事実だと思われるので、弁護する方としてもその点を徹底的に主張するのは当然だと思われるのですが、それにしても情状があまりにもひどすぎるのです。光市事件でさえ、これに比べれば情状はましなのではとさえ思えてしまうほどです。

指摘される通り、あらかじめ銃を用意した暴力団員による殺人であり、極めて計画的な犯行と考えていいだろう。
選挙活動中ということもあり、民主主義に挑戦する凶悪な犯罪という成句が当てはまる。暴力的な人権抑圧への反発に対する蔑称などではない、恐怖政治という本来の意味に近いテロリズムだ。
報道を追っていると、被告には生活に苦しんでいた面も見えるが、他に選択肢がなかったとは思えない。むしろ動機が指摘されている通りとすれば、完全な逆恨みであり、被告の心情は身勝手と判断されてしかたないだろう。
さらに被害者遺族も強く死刑を求めており、ちなみに被告自身も死刑を望んでいる。
ただし、殺人については初犯であり、何より殺害された人数も一人であることが……永山基準で示された被害者の人数は必要条件でないらしいとはいえ……いささか引っかかる。


地裁の事実認定が正しいと仮定すれば、被告に最も重い罪が下されること自体は、理屈では納得できる。だが逆に、死刑という判決には理屈でも感情でも首をかしげた。私は必ずしも死刑廃止論を強く主張しないが*1、今回は制度としての死刑に疑問を感じる。
被告本人が死刑を求めているのに、死刑判決で改悛の情を引き出すことができるのだろうか。死にたいと主張する犯人を望み通りに死なせたとして、被害者遺族の応報感情は満たされるのだろうか。何より、重罪が名誉に繋がりかねない集団の、しかも下位に属していた者を死刑にして、同種の犯罪を防ぐことに繋がるだろうか。加害者更生としての、被害者応報としての、犯罪予防としての刑罰の有効性に疑問がある、象徴的な事件に思えてならない。
また、動機も充分に明らかにされたとはいえないのに、死刑で様々な感情を満たし、過去の事件として早々に葬りかねない裁判とも感じる。重大事件であればこそ、早く終わらせたいという感情は理解した上で、慎重に審理を運んでほしいものだ。上告後における裁判の動きに期待したいところだが。
さらに、ほぼ当選確実だったと記憶する現職市長が選挙中に暴力組織から殺された事件だけに、犯人が死ねば何らかの背後関係が隠されているのではないかという疑念を残しかねない。念のため、実行犯を操った黒幕がいると考えるのは、現時点では陰謀論だと思う*2。むしろ、背後関係があるからではなく、背後関係がない事件と示すために犯人を生かしておく価値があるのではないか。逆説的な心情だが、重大事件だからこそ真実を最も知っている実行犯という証人を未来へ残すべきではないか。……たとえば戦争犯罪について情報を見聞きすると、どれも確かに悲惨で残虐な事件ばかりだが、犯人への処罰感情よりも生きて証言してほしくなる。現代の凶悪犯罪被害者も応報感情を主張すると同時に、真意を知りたいと被告に願う例は少なくない。


最高刑が科せられる理屈がわかる。死刑にしてほしくない理屈もある。両立させるには、死刑制度を廃止し、最高刑を引き下げるしかない。
死刑にしてほしくない理屈が一般に共有されているわけではないだろうし、あくまで現時点では個人的な感想だが。

*1:現状、死刑廃止論に説得力を感じてはいる。死刑存置論や死刑推進論が唾棄すべき偏見や捏造された情報と重ねられていることも多い。しかし死刑存置論を全否定するつもりは、今はない。

*2:個人的には、加藤紘一議員宅への放火事件と同じように、組織という立ち位置を失った構成員が自暴自棄になって起こした犯罪と感じている。