日本弁護士連合会が死刑廃止宣言を可決したことを受けて、「東京の弁護士」というshouwayoroyoro氏がツイートしていた。
しかしshouwayoroyoro氏は、前後のツイートを見ても、まったく冤罪者への補償について言及していない。
死刑反対派が冤罪をもちだす理由は、「冤罪の危険」そのものではなく、補償の不可能性が大きい。死刑廃止宣言においても「二度と取り返しがつかない」ことが言及されている。
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宣言は、死刑判決を受け拘束されていた袴田巌さんが、2014年に約48年ぶりに釈放されたことをあげ、「死刑判決を下すか否かを人が判断する以上、えん罪による処刑を避けることができない」「えん罪により死刑となり、執行されてしまえば、二度と取り返しがつかない」と死刑廃止を訴えた。
なお、shouwayoroyoro氏は被害者支援、特に性犯罪被害者のため心を砕いているそうで、意見はたがえども疑う気持ちはない*1。
しかし他の反応も見ながらいろいろと考えて、そもそも話が逆なのではないかと思いあたった。
たいていの死刑反対派は、犯罪被害者への補償を軽視しているつもりはない。むしろ、必ずしも被害者は加害者への重罰を求めないのに補償として成立するのか、といったことを考える。社会的な補償が不充分ではないか、被害者の応報感情を満足させるという単純な方法で逃げていないか、といった主張すらされる。
ここで、この社会が被害者への補償を軽視している*2からこそ死刑制度があると考えれば、逆説的に平仄があう。
死刑執行された冤罪者には補償することができないし、直接的に補償を求められることはない。だからこそ、重大事件の判決が間違っても反省する必要がない刑罰となってしまう。
補償を重視するゆえでなく、補償を軽視するがゆえに死刑がある。
なお、殺人は死刑によって被害者への補償となるという理念を死刑賛成派が持っているなら、例外的に死刑執行された冤罪者をも補償できる可能性はある。
それは死刑囚の冤罪が判明した時、判決をくだした裁判官らはもちろん、死刑賛成派が死刑になることだ*3。そこまで断言できて、初めて死刑制度に賛成する覚悟があるといえる。
もちろん、このような補償制度が実際に施行されれば、今より再審が困難になることは想像にかたくない。ゆえに間違っても補償する必要のない刑罰として、しばらく死刑は存在しつづけることだろう。
*1:らめーん on Twitter: "性犯罪の被害者の弁護士は、経済的に全くペイしないので、早く事件処理をしたいのだと思います。財布だけ見ていれば気持ちがわからなくもありませんが、「だったら受任するな。なんなら私のところに持ってきてくれてもよい」という気持ちが勝ります。… "等のツイートが確認できる。らめーん on Twitter: "性犯罪被害者支援をやっている身としては、昨日から「40代で強姦被害って⁉」みたいなツイートが多くてビックリ!80歳前後でも被害に遭うよ。怖かったろうなあ、殺されるって思ったろうなあ、何で今更とも思ったろうなあと、被害者の気持ちを思って隠れて泣いた。"のように、性犯罪被害者への偏見を批判するツイートもしている。
*2:私の興味関心のためでもあるだろうが、戦争被害については自国民へも冷淡な局面をよく見る。永遠センチメンタル - 法華狼の日記
*3:思考実験としては以前にも書いたことがある。平等的死刑適用法 - 法華狼の日記