法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『電脳コイル』を見続けるにあたって その3

電脳コイル世界のプログラムは、遺伝的アルゴリズム等で作られていると考えればどうだろう。


わかりやすくいうと、有益無益を問わず様々な反応をする無数のプログラムを仮想の電脳世界に置く。有益となりそうなプログラムを保存複製*1する。そして新しくできたプログラムから、さらに有益なものを選んでいく。そうして複製と淘汰を繰り返し、人間の求めるようなプログラムを得るわけ。
個々のプログラム構造は勝手な進化の結果として人間が解析することが困難で、一定の入力をすれば一定の出力がなされるといった法則を調べていくしかない。つまり、ほぼ全てのプログラムにブラックボックスが存在するわけで、これで人間にとって不合理な電脳描写はほとんど補完できる。


さらに、個々のプログラムは人間が理解しやすいよう、電脳生命体として表現されると考えられる。たとえばサッチーも、最初からあのような姿で生まれ、後はせいぜい郵政省のマスコットマークをつけただけ。電脳釣竿も電脳樹木から削り出して作ったとか(笑)。糸や針のような単純なプログラムは人間が手動*2で打ち込んだとか。
前後するが、複製と淘汰だけでなく、経験の蓄積による変化によってもプログラムが成長するのかもしれない。イリーガルは間違った方向に成長してしまったプログラムというわけ。


電脳ペットも、プログラムによって生まれた電脳生命体をそのまま商品にしたと考えれば、死後にバックアップ個体で復活させない理由を説明できる。成長するにしたがって集積される経験から個々のペットに個体差が生まれ、買い直しても同一の個体は得られない。毎日保存していっても、保存した瞬間から死ぬまでの経験が抜け落ちた個体は別物だ。遺伝的に同一である一卵性双生児が全くの別人であるように。


現実の映像に電脳世界を重ねるようなリソース消費の必要性についても、人間にとって直接有益なプログラムが作れるよう、人間社会と全く同じような電脳世界でプログラムを成長させているという考えができる。つまり、電脳世界と現実世界がほとんど重なっているのは、電脳世界で育てたプログラムを現実世界に応用しやすくするため。ほとんどのプログラムが壁や地面を透かして行動できないのも、壁や地面が電脳生命体にとっても現実だからだ。
電脳メガネのために強化現実を作り出しているわけではなく、すでに存在する電脳世界を一般人が利用できる端末として電脳メガネが存在するというわけ。
通常の世界情報はブラックボックス……暗号化されていて、サーバーからは基本的に覗けないのでプライバシー侵害にもならない。電脳メガネを使って許可された範囲を見られるだけ。基本的に通常の視覚と同じ範囲を見るだけなので問題にならない。カスタマイズした電脳ペットで盗聴できるのは、暗号化された情報を視覚化するアプリケーションとして使用しているため。電脳ペットは成長進化するために電脳世界を実体として認識しているのだから、規制を潜り抜ければ電脳世界を人間が理解できるよう視覚化するのも容易なのだろう。


……と、イマーゴ抜きに考えていたのだが、第10話のハラケン描写等を考慮すると外れも多い気がしてきた。
やはり電脳メガネは脳から直接的に情報を読み取っていて、電脳世界を構築しているのかも。だから電脳世界と現実世界はほとんど重なっている。キータッチ等の緩衝をはさむかどうかが、通常状態とイマーゴ使用状態の違いといったところか。
そしてハラケン描写から考えると、メガネから逆に神経を操作することもできそるかもしれない。

*1:ここでいう複製とは、全く同一のコピーを作るわけではなくて、少しづつ異なる子プログラムを生める機能のこと。同様に環境によって淘汰させるために死亡するような機能も入れておく。

*2:こういう表現は正しいのかどうか。