法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

自身が過去に出演したポルノ映画を販売差し止めするようストリッパーが訴訟を起こしたという

 弁護士ドットコムが報じていた。うったえられた配信会社は原告と契約した事業者の問題というコメントを出している。
「30年前出演のポルノ映画が無断販売されている」 現役ストリッパーの女性、配信サービス運営会社を提訴 - 弁護士ドットコム

原告は、現役のストリッパーの有賀美雪さん(49)で、1994年ころに4本のポルノ映画作品に出演した。

有賀さんによると、撮影前に交わした契約では、特定の映画館に限って上映するとされたが、現在、ある動画配信サービスでこれらの動画が有料で配信・販売されているという。

 出演者が差し止めを要求できるAV新法はつかえないのかと思ったが、それがポルノ映画に適用できるかも争点のひとつだという。


 法廷戦術の一種だとしても興味深いのが、原告がポルノ映画をわいせつと評して芸術的なストリップとは異なると主張していること。

「あくまで裸になる行為は AVもストリップも該当するが、私は、ストリップは芸術的なパフォーマンスとしてのお仕事だと思っています。わいせつ作品であるポルノ映画とは一緒くたにされてほしくありません」(有賀さん)

 この主張に納得するかはさておき、演者が加害されにくいという意味では映像のポルノよりもストリップがすぐれているのでは、と思ったことはある。
 観客とスタッフの違いはあれど複数の人間から直接に見られることは同じだとして、ストリップは男優などと直接的に身体接触することはまずないし、劇場内の撮影を防止できれば一部のAVのように演者の意向を無視して流通しつづけることはない。要するにストリップのほうが演者個人が状況をコントロールできる領分が大きいような気がするのだ。
 念のため、私は楽屋や現場の知識を多くもっているわけではないし、上記は深く考えたわけでもない想像にすぎないが。

『わんだふるぷりきゅあ!』第15話 ヒツジの執事 メエメエの一日

 ニコガーデンで仕事にはげむメエメエのところに犬飼いろはたちがやってきて、猫屋敷まゆを紹介する。秘密を明かしてはならないと泣いて注意するメエメエだが、いそがしいメエメエのためにまゆがてつだうと提案して、ニコガーデンでキラリンアニマルの様子を見ていくことに……


 千葉美鈴脚本に高橋裕哉コンテで、これまでのエピソードでガルガル化から救ってきたキラリンアニマルたちと、プリキュアたちとの再会のドラマをコメディタッチで描く。
 シリーズにおいて集められる妖精は販促のノルマとして消化されがちで、せいぜい単発エピソードのゲストでピックアップされる妖精がいたくらいだが、実在の動物を思わせる今作の妖精はキャラクターがわかりやすくドラマをきちんと構成できている。
 そこでプリキュアとキラリンアニマルのむすびつきをストレートには描かず、プリキュアの身勝手に苦労させられている執事キャラクターの視点で描いたところもアイデアだ。異世界にはじめてきたまゆの存在もメエメエの気苦労の一要素として処理され、あくまでメエメエのドラマとして物語がすすんでいく。あからさまに何かを準備しているキラリンアニマルの描写からメエメエがサプライズパーティーに気づくことで、幼い視聴者はメエメエ視点で結末のどんでん返しに素直に驚けるだろうし、大人の視聴者はメエメエの空回りに気づいて痛々しいギャグとなる。
 メエメエが周囲よりは大人であるため、むくわれなくても理不尽すぎない。そんなメエメエの縁の下の働きぶりを、やはり周囲では最も成熟している兎山悟が最初に認める結末もいい。このアニメの主役はあくまで子供たちだが、背後でささえる大人にも存在意義があるのだと示せた。


 作画は全体的な統一感は少ないが、全体をとおしてキャラクターがかわいらしく、狭い路地など珍しい状況のアクションも悪くない。メエメエの喜怒哀楽にあわせてデフォルメした作画演出も楽しいものだった。
 自由に絵柄を変えて、さまざまな手法をためしている高橋裕哉コンテの良さが出ている。マスコットのような擬人化動物ばかり登場する、普段より低年齢向けのアニメに感じさせる今回のエピソードにも作風があっている。

『岸辺露伴は動かない』(9)「密漁海岸」

 アワビの密漁をおこなおうとしていた男ふたりが、夜の海岸で恐怖におそわれる。漫画家の岸辺露伴は担当編集の泉京香につれられて、隠れ家のようなイタリアレストランにたどりついた。イタリアから来た料理人トニオ・トラサルディひとりがきりもりするレストランの最初の客として、露伴たちは不思議な料理を食べていく……


 荒木飛呂彦原作のNHKドラマの、劇場版をはさんだ4期。これまでと違って単発放送だが、そのぶんだけ物語も映像も密度があがっている。
www.nhk.jp
 特に、中盤まで「密漁海岸」ではなく、『ジョジョの奇妙な冒険』からトニオの登場エピソードを映像化しているところがいい。これまでのシリーズでは、どうしてもドラマの枠にひとつのエピソードを映像化すると間延びしがちと思っていた。1時間枠ならば2エピソードをあわせるくらいがちょうどいい。
 その中盤まではレストラン内にひとつだけあるテーブルにふたりだけ座り、つぎつぎに出てくる料理が異常を生みだしていくところが舞台劇のよう。さほどリソースがあるわけでもないドラマで、予算をつかわず緊張感のある画面が成立している。
 でんでんの演じる漁師の怪しげな言葉を回想する場面や、クライマックスにおける密漁の水中撮影などは雰囲気たっぷり。そこからアワビやタコが人間を襲う描写のB級ホラーへの転調ぶりも楽しい。

集会で史実に言及したことが政治的とされ、群馬県が朝鮮人追悼碑を破壊したあげく、撤去費を市民団体に要求

 あいちトリエンナーレ2019年の「表現の不自由展・その後」でも一作品のモチーフとなった朝鮮人追悼碑*1群馬県が破壊して、その費用を市民団体に請求する期日がきた。
朝鮮人追悼碑の撤去費、2062万円 群馬県が市民団体に請求:朝日新聞デジタル

 県は4月18日付で、守る会に対し、代執行費用納付命令書を送付。代執行工事にかかった費用は総額2062万円とし、5月8日までに納付するよう求めている。費用の内訳は記載されていない。

 はてなブックマークは賛否両論だが、たとえば先日にルールの細かさが話題になった県営プール撮影会*2とくらべて、県が運用するルールの妥当性もまた議論の対象になりうるという発想が県の擁護者から欠けているようにみえる。
[B! 群馬] 朝鮮人追悼碑の撤去費、2062万円 群馬県が市民団体に請求:朝日新聞デジタル
 たとえばプール撮影会に対しては記事にある「“ルールも最低限のものだけを決め、抑制的なものとするべき”」というコメントを引くことができていた*3rag_en氏は、記念碑に対しては「そもそも県立公園なワケだし」とコメントした。

id:rag_en ゴミ屋敷の行政代執行とかについては、あまり肯定的ではないけれど、これはまぁ、そもそも県立公園なワケだしなぁ。元々どういう契約になってたのか詳しくは知らんし、撤去費用そんなかかるんだ…とは思うけども。


 ルール違反として集会で政治的な発言があったというコメントが多数あるが、発言内容は下記のとおり、せいぜい日本の歴史学でも認められている範囲の史実をつたえたいというものだ。
朝鮮人追悼碑の不許可は「問題なし」 最高裁で群馬県の勝訴確定:朝日新聞デジタル

市民団体が開いた追悼式で「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと述べたのは政治的発言にあたり、碑が中立的な性格を失ったと指摘。碑の存在が抗議活動の原因になり、公園にある施設としてふさわしくないと県が判断したのは正当だと結論づけた。

 歴史を記憶するための記念碑の集会で、その理念を実現しようとすることが中立的でなく政治的だとするならば、そもそも政治的でない中立的な記念碑などありえないだろう。
 引用したように、判決では抗議活動をひきおこすことも公園施設にふさわしくない要因として認められている。抗議の妥当性ではなく、抗議そのものが撤去の理由として認められてしまったわけだ。
「歴史のデマ」振りまく団体を後押しするのか?群馬県の追悼碑撤去問題 - RKBオンライン

東京都の朝鮮人虐殺慰霊碑前の追悼式典にも抗議が来て、トラブルが起きています。抗議の目的は「慰霊式典自体を中止させ、慰霊碑を撤去させることだ」と、団体も言っています。自分たちが「真実の慰霊祭」をやることによって、本来の慰霊祭とは別にもう一つあるじゃないか、と。「もめているのだったら両方を中止させてしまえ」と東京都が命じることを狙っています。同じ団体が、群馬の碑についてもいろいろな主張をして、県に要請もしているのです。


 また、多くのコメントがあるように裁判で群馬県が最終的に勝訴したことは事実だが、追悼碑を撤去しなければならないという判決が出たわけではない。しかし山本氏は司法判断に責任を転嫁することで要望をはねのけた。
群馬の朝鮮人追悼碑、県は「違反の政治的発言あった」と撤去検討 市民団体は存続求めるが…:東京新聞 TOKYO Web

 追悼碑を管理する市民団体は8月22日、山本一太知事に意見交換の場を求める要望書を出した。これに対し、山本知事は同25日の定例会見で「裁判で示された司法の判断を県が変えることはありえない」とし、意見交換に「余計な期待を持たせることはしない」と言い切った。

 だが現実には撤去は群馬県知事が判断して、その責任を負うわけであり、撤去後には山本氏も認めている。つまり自由な市民が群馬県の判断を批判する自由も当然ある。
群馬・山本一太知事「歴史を修正する意図はない」 朝鮮人追悼碑撤去 [群馬県]:朝日新聞デジタル

「碑自体や、碑の精神を否定するものではない。過去の歴史を修正しようとかいう意図はない」と述べたうえで、「すべて私の責任。県民のみなさんは必ず理解してくれる」と強調した。

 はてなブックマークでは群馬県側が猶予をあたえたり配慮したかのようなコメントも複数あるが、そもそも撤去しなければ撤去費が発生することはなかった。

id:toratsugumi 最高裁の判決まで持ち込んで、時間的猶予を与えて、非の打ちようもない対応した上での請求に、普段公費の遣い方にやたらと文句付ける傾向が見受けられる一部ブクマカが、な・ぜ・か一様に激怒しているのが趣深いw

id:potnips 県が配慮して代替地への移設を提案したのに、市民団体側が拒否し続けたことにより代執行で撤去した案件です。行政による代執行なので請求が所有者に行くのも法律通りhttps://www.sankei.com/article/20240125-W37BTKAZWJO43OQK4ESIQQR2YA/

 ちなみに、上記の産経記事において県知事の山本一太氏は「外交ルートで何か来ているわけでもない」と1月25日の会見で語ったとされているが、実は大使から手紙がとどいていたことが後日に報じられている。
追悼碑撤去前の韓国大使との面談拒んだ群馬知事一転応諾、説明変えず [群馬県]:朝日新聞デジタル

 山本知事によると、尹大使名で知事あての手紙が22日に県に届いたという。手紙のことは知っていたが、読んだのは28日になってからで、会見時点で要請を受けるという返事もしていないとした。その理由について、「連日ものすごい日程だったので」と自身の多忙さをあげて、釈明した。

 直近の出来事ですら意図はともかく虚偽を語ってしまうのだから、歴史の忘却に加担しても不思議ではないな、と思わざるをえない。

『Serial experiments lain』雑多な感想

 1998年に放送されたTVアニメ。ワイヤードと呼ばれるインターネットに似た仮想空間から生まれる謎めいた事件を描いたメディアミックス企画。

 TVアニメとしてはシリーズ構成の小中千昭らしいオカルトとデジタルの趣味が強いが、映像の呼吸などは出崎統の弟子筋にあたる監督の中村隆太郎らしさが出ている。
 ゴールデンウィークにAbemaで無料一挙配信されることが話題になったが、以前に購入したDVDでひさしぶりに視聴した。


 徹夜で6時間かけて一気に見たら、『魔法少女まどか☆マギカ』と似た構造の先行作品だったのだなと思う。いわゆる百合のような親友に、隠された異性愛的な情熱がありつつ、それを飲みこむように百合アニメとして終わるところは「まどさや」*1的か。
 初見から印象に残ったのは、第1話のスープをかきまぜる描写が、きちんと液体の中を個体が動くように作画できていて、しかし食卓の冷えこんだ雰囲気を表現するように湯気もなく無機質でマズそうだったこと。しかしそれが最終回のあたたかい食卓と対になっていて、納豆や味噌汁をまぜる描写はきちんと美味しそうになっている対比表現は今回に一気見したことで初めて印象に残った。


 しかし映像は、アニメの技術が進化しつづけた現在になって視聴すると、記憶とくらべて基本的にアナログ制作という印象が強い。もちろん必要なポイントごとにデジタル技術をつかって、レイヤーごとに拡大縮小率を変える奥行き表現や、死すべき少女の笑顔と叫びがオーバーラップする描写など、今見ても演出は古びていない。特に後者は黒沢清VFX演出のような面白味があった。
 背景美術も簡素なことに驚かされる。初見でも再見でも夜にシルエットを多用して省力していたことは印象に残っていたが、現在から見ると何もかも情報量が少ない。デジタル感の強かった繁華街のゴチャゴチャした背景美術は逆にアナログで手描きとわかりやすい。しかし緊張感あるレイアウトで、台詞のない長いカットでも情景が力をうしなわない。日光があたる部分は白くとばして、影に効果を入れた表現が今でも斬新。
 作画はポイント以外は期待より動かない記憶どおりだったし、あらためて見ても使いまわしが多いが、現在から見るとTVアニメでモブをきちんと手描きで動かそうとしているところが多い。終盤の「神」がメタモルフォーゼする作画は記憶どおり良かった。また、シリーズ構成の小中千昭自身が多くを担当した実写パートの出来が意外といい。