法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『わんだふるぷりきゅあ!』第49話 あなたの声

 スバルの目的だったガオウの復活は、ダイヤモンドユニコーンと鏡石の力をあわせても不可能だった。怒りに打ち震えるスバルはニコダイヤの力をとりこみ、巨大化して人々を滅ぼそうとする。しかしスバルが本当に怒っていたのは……


 成田良美シリーズ構成の脚本に、畑野森生演出、玖遠らぎ作画監督で映像は充実していた。巨大人狼化したスバルの遠距離攻撃は空間をたっぷりつかって板野サーカスチックで、緑化した風景の足元に横断歩道などがあって不穏感に満ちている。キャラクターの表情も細かい。
 植物に飲みこまれるのがアニマルタウンというスケールは小さいが、ラスボスと思われたスバルの心こそがテーマだったと明かされ、ストーリーとビジュアルのサイズ感が一致している。


 スバルの心情が少しずつ明かされるなかで、今作のさまざまなエピソードが効いてくる構成も悪くなかった。
 まずよくある問題として、自然を守る動機があるはずの敵が人間を攻撃するために自然をも破壊する描写になることがある。しかしスバルは攻撃がキュアワンダフルに当たって、子犬の姿にもどって倒れただけで攻撃の手を止め、狂乱をはじめる。ここまで心が弱くも優しいラスボスは他の作品でもなかなか見たことがないし、スバルが物語の都合で動いている感じにもならない。
 そしてスバルが怒りを向けたかった人間は、オオカミや自身を迫害した人間よりも、自分自身だったと明かされた。ニコダイヤをとりこむ場面が、まるで切腹のように表現されていたのは意図的な演出だろう*1

巨大なニコダイヤをスバルが両手にかかえて、自身の腹部につきたてる姿

 もちろん、これは絶滅動物の人間に対する復讐というガオウ登場当初に提示された争点を避けたといわざるをえない。しかしここ数話を見ていて、殺された動物側が殺した人間側をうらんでいないと語る展開になりかねないことを懸念していた。そこで絶滅動物はスバルという個人をうらんでいないという文脈にしたことで、あくまで守れなかった人間側をうらんでいないという展開になった。あつかえかねない争点の回避ではあるが、最低限の誠実さは感じられた。
 こむぎがスバルにガオウの言葉をつたえる展開も、ペットロスの痛みを描くにあたって獣の心情を人間につたえた第44話*2のように、人間に変身できるこむぎが媒介になり、伝言のもどかしさが本来はコミュニケーションできない関係なのだと実感させる。