人類が火星に進出した近未来。地球の平凡な土木作業員は美しい妻と生活する日々で、なぜか美女と宇宙の荒野に放りだされた夢を何度も見ていた。土木作業員は願いどおりの仮想現実を楽しめる娯楽施設を知り、興味本位で宇宙の英雄の夢を見ようとするが……
夢と現が交錯するフィリップ・K・ディックの原作を、ポール・バーホーベン監督が1990年に映画化。赤いカプセルを飲むと「現実」にもどるネタは『マトリックス』の元ネタか。
かつてTV放映版を視聴した時は、有名な鼻の穴グリグリと顔面スライド分割しか印象に残らなかった。今回はじめて全長版を視聴して、即物的なバーホーベン監督ならではの映像化として興味深く感じた。
この映画では、映像化された部分はすべて現実に起きたこと*1。娯楽施設で主人公が仮想現実を見るはずの場面では、主人公の見た夢が描写されず、主人公が動転して暴れる姿を施設視点で描いている。そもそも施設の機械が作動していない。仮想が現実をゆるがす酩酊感がない。
だからこそ冒頭の夢と思われた場面が現実なのだとふりかえって実感できるし、中盤の仮想現実をめぐるミスディレクションも答えがはっきりしている。
しかし平凡な人間が夢想のなかで英雄になる、その夢想こそが現実だったという物語にしてはキャスティングが珍妙。美しい妻がいる平凡な土木作業員のアーノルド・シュワルツェネッガーという、おまえのような凡人がいるか!とツッコミを入れざるをえない配役をなぜおこなったのか……
発展途上のコンピューターグラフィックスはモニター内の映像としてのみ使用。肉体を改変する場面はアニマトロニクス等で、火星の都市は基本的にミニチュアで処理されている。それはいいのだが、時代性を考慮してもツクリモノとあからさまなアナログ特撮で、真空でピンポン玉のような眼球が飛び出す演出や*2、ハリボテの未来車両*3がトロトロとしたカーチェイスを展開する場面など、ピープロ特撮かと思った。本気で。
もっとも好きか嫌いかでいえば、こういう手作り感は大好きではあるのだが……あくまで出来が悪いのではなく下品な感じが何というか……