仁藤夢乃氏の支援団体Colaboがバスカフェで提供している食品が一食2600円という計算は、さまざまな意味で誤っている - 法華狼の日記
支援事業の性質が異なるため、合計する単位をそろえにくいことは資料だけでうかがえる。
信用するかはともかく当事者の説明なのに、推測にすぎない暇な空白氏と比べて拡散されていない
不特定多数へ向けた支援も、人数だけでなく何らかの配布数を計上してほしい、といった要望だけならば理解はできる。また、事務費などを考慮しても、給食費を一括で処理せず事業ごとに詳細な会計をしていほしいという要望も一理はある。
上記エントリに対して、はてなブックマークでid:lastline氏が下記のようにコメントしていた。
[B!] 仁藤夢乃氏の支援団体Colaboがバスカフェで提供している食品が一食2600円という計算は、さまざまな意味で誤っている - 法華狼の日記
lastline うかがえるとか、推測されるとか、公開されている情報があまりにも少ないのことの証左にしかなってない
もし「公開されている情報があまりにも少ない」とだけ暇な空白氏*1が主張していたのであれば、たぶん話題にならなかっただろうし、おそらく私も反応しなかっただろう。
実際の暇な空白氏は、報告書を断片的にしか読みとらずに勝手な解釈をつづけ、同種の支援事業との比較検討をすることもせず、批判に対して訂正や反論をせずに流布しつづけていた。
それを「証左にしかなってない」などという論点にだけ限定されていたかのように主張するのであれば、先日のエントリで指摘したid:kuzumimizuku氏と同じ問題だ。
仁藤夢乃氏や支援団体Colaboに対して「私の経験上の(違う現場の)感覚で公表情報に疑問点がある」というkuzumimizuku氏の「感覚」を過去の出来事で確認してみる - 法華狼の日記
個別具体的な主張への指摘を受けて反論するなり訂正するなりして、全体の主張を維持することもできた。「個別の論点」で自説をとりさげつつ「疑問点は残る」といった表現を選ぶこともできた。そうしなかったのはkuzumimizuku氏の問題だ。
公開されている情報が少ないと誠実に主張したいのであれば、lastline氏は自説と暇な空白氏の解釈を切りはなさなければならない。くわえて「公開されている情報があまりにも少ない」と断言するからには、同種の事業で会計報告がどれほど公開されるものかも提示できなければなるまい。
しかしlastline氏は、「公開されている情報があまりにも少ない」なら何を断言しても許されるかのようにふるまった。これは疑似科学や偽史の追認と変わりなく、陰謀論者に近しい態度だ。
また厳密にいうと、たしかに冒頭に掲載したように「うかがえる」という表現はつかったが、エントリでは「推測される」という表現はつかっていない*2。当事者の説明と対比して暇な空白氏の主張を「推測」と呼んだだけだ。
もちろん私も暇な空白氏も外部からの推測しかしていないわけだが*3、あらゆる推測が同等の重みをもつわけがない。成立する推測でも蓋然性は異なるし、情報の少なさは勝手な読解をすることの擁護にはならない。