法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

慰安婦像に対してCalcijp氏とdokuninjin_blue氏はニーメラーの詩を歌えるか

id:wideangle氏のツイート*1を経由して、Calcijp氏による下記ツイートを知った。

直前のツイートから判断すると、これはキャラクター表象の論争に対する感想だった。

なお、まとめられたuesugi_fanclub氏の「非公認ファンクラブ」という自称は、あくまで皮肉の意図を込めたものではあろう*2。皮肉そのものの評価はここではしないが、Togetterのコメント欄でも混同が見られるので、念のため。


さて、Calcijp氏のアイコンはTogetterのコメント欄で何度か拝見したことがある。そこでの論調から、自身の嫌悪感と社会の公正を区別するという発想をCalcijp氏が持っているとは思わなかった。
実例として、日本国内において表現や言論の自由が制約された報道と、そこで想定された表現を日本政府が制約しようとしている報道に対するツイートをそれぞれ紹介しよう。

ちなみに東京都美術館については、他国の美術家と交流した展覧会において、従軍慰安婦問題を題材にした作品だけが撤去されるということが先にあった。
東京都美術館から政治性をおびているとして作品が撤去された背景について - 法華狼の日記

団体の目標として下記のような文章も掲載されている。

「一枚の絵で戦争は止められないが、言語も国境も越えて人々にそれを考えさせることはできる」と故針生一郎議長は生前、昨年のJAALA交流展で示しました。 戦争、抑圧の不条理に眼と心を向け、人々に率先して美術表現で提示するのが美術家の使命であると考える。針生議長が掲げた理念、志を尊重し、各国、各地域の美術家の心に点じられた灯をさらに大きく燃やし、われわれも共有していきたい。

従軍慰安婦問題についてふれる作品も、きっと団体の趣旨にそっていたのだろう。サイトで紹介されている過去回のメインテーマも、「アジアから戦争をしめだせ」や「国境をこえた民衆の連帯へ」といった文言がならんでいる。

もちろん最初は従軍慰安婦問題を題材にした作品も認められており、抗議を受けてから撤去された。つまり嫌悪感を背景とする社会的な圧力に当時のCalcijp氏は追従していたといえるだろう。
なお、そもそもCalcijp氏の倫理観や、表現に対する評価基準は下記ツイートのようなものであり、さすがに何かしらの立場を代表する論者ではないし、あってはならないと考える。


ここで少しばかり興味深いのは、表現の自由を訴えているはずの人物が、自国の過去の加害を表象した作品に対しては権力による制約を許容する心の動きだ。
念のため、表現の自由を訴えている人物にそのような傾向があるとは思わない。普段から表現の制約を訴える人物が権力による制約を許容する比率は、おそらくはるかに高いだろう。
どちらかというと、表現の自由を求める立場であっても、自分が好まない表現には冷淡になる心情から逃れることは難しい、ということを感じる。


その極端な一例として、「暴力的ポルノからヘイトスピーチまで、あらゆる表現の自由を擁護するアカウントです」と自称するdokuninjin_blue氏のツイートを紹介しよう。

ここでdokuninjin_blue氏は、社会による被害を表象した作品を、ヘイトスピーチ歴史修正主義と等閑視する。その評価基準のおかしさは今回は論じない。
しかし、日本政府が表現を抑圧したと批判せず、韓国政府に対して動機を疑問視するだけなのは、プロフィール欄にかかげた名言「私は君の言うことに反対だ。しかし君がそれを言う権利は命をかけても守ろう」にまったく反している。
念のため、uesugi_fanclub氏と違ってdokuninjin_blue氏の自称が皮肉のつもりでないことは、最近の下記ツイートを見ればわかる。

なお、dokuninjin_blue氏のハンドルネーム「青識亜論」が2ちゃんねるにおけるハンドルネームと同一だとすると、過去に興味深い発言をしている。
【WBC】「また日本とやるのか、今度は絶対勝つ」「大会の名前を変えないと。“韓日シリーズ”でしょ」 韓国の街の声[03/23]

875 :青識亜論 ◆GJwX8m7K0g :2009/03/23(月) 22:27:09 id:u8P7gilT
>>841
韓国は感情的になりやすい国柄ではあるけど、
外国の評価を気にしたり、「国産み」の物語を求めているという点では、
そんなに珍しいケースじゃないと思う。


特に、他国から独立を「与えられた」という意味では、
韓国の歴史はまことに不幸だ。
日本の植民地政策も、なまじきちんと近代文明を植えつけたために、
かえって自らの手で近代化を行う機会を韓国から奪った。


まあ、だからといって今の韓国の傍若無人な行いが許されるわけではないけど。

このスレッドで発言をひろっていけば、dokuninjin_blue氏が「あらゆる表現の自由を擁護する」と主張しつつ、具体的に示したのは「歴史修正主義」と「ヘイトスピーチ」だけだったことの意味がはっきりする。「私は君の言うことに反対」どころか、どちらも過去の自分自身が許容し、主張すらした表現なのだ。
つまりプロフィール欄の「君がそれを言う権利は命をかけても守ろう」という名言は、dokuninjin_blue氏が他人に向けた言葉ではなく、他人に求めている言葉ということなのだろう。
dokuninjin_blue氏もまた、さすがに何かしらの立場を代表する論者ではないし、あってはならないと考える。


ちなみに私個人としては、Calcijp氏もdokuninjin_blue氏も権力によって口が封じられるべきではない、と考えている。
もちろん、それぞれの言論によって個人が被害を受けた場合に司法へ訴える自由はある。
しかし、それ以前に言論による批判で対処できるくらいの論者であり、そこで実際に対処できれば自由な言論が弱者への抑圧ではないことの実例にもなるはずだ。
そう考えながら書いたのが、このエントリである。