法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「ネットフェミ」という謎用語を使っていたeguchi_satoshi氏が、「内面化」を「わけわからん用語」といいだして、困惑するしかなかった

「尻軽」という評価はフェミニズムにおいて「侮辱」にならないどころか、二重三重の「侮辱」になりうるのでは? - 法華狼の日記

わざわざ私などが口をはさむつもりはなかったが、さすがにid:eguchi_satoshi氏の観戦記の解釈には違和感をもった。
チラシの裏:小宮青識論争観戦記 – 江口某の不如意研究室

eguchi_satoshi氏に対する私の異論は、teamtanotomu氏とtraductricemtl氏のツイートをめぐる段階にとどまった。
そこでdokuninjin_blue氏とfrroots氏のツイートについては、コメント欄で補足的に簡単な感想を書くだけにした。

論争そのものは、「XはAなのにフェミニストが怒らないのはおかしい」というD氏に対して、「XはBという解釈がなりたち、それならばフェミニストが怒らなくてもおかしくない」とF氏が指摘した最初の時点で終わっているとは思います。F氏は“XはBとしか解釈できないので、フェミニストが怒るわけがない”とは主張していないのがポイントのひとつですね。


さて、そんな上記エントリへeguchi_satoshi氏から返事があったが、本題に入る前、はてなブックマークコメントで無駄に困惑した。
はてなブックマーク - 「尻軽」という評価はフェミニズムにおいて「侮辱」にならないどころか、二重三重の「侮辱」になりうるのでは? - 法華狼の日記

不十分ですがお返事しておきました。直リンしてくれればいいのに。おてやわらかにおねがいします。 https://paper.dropbox.com/doc/--AMoWoz6PteveiUCxRccp0s_RAg-VL1qQgTsubomPhKbvbjXz

どのような意味で「直リン」をつかっているのか、よくわからない。
単純にリンクという意味なら、冒頭のとおりエントリ内でおこなっている。あるいはURLをはりつけてほしいという意味なのだろうか。


次に、本題の返事を読んだのだが、dokuninjin_blue氏とfrroots氏を観戦していたつもりなら、やはり争点をとりちがえているのではないかと疑わざるをえない。
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私のはもちろん推測。ありそうな推測だとは思うし、もちろん唯一の可能な解釈ではない。でもがんばったときにふつうに出てくる解釈でもあると思う。そして、どの解釈がもっともよい解釈かというのはむずかしく、私は(私と共有していると思われる)青識先生の方に一票いれますね。それがあのブログの意図です。


本来は彼らのどちらかがjiji先生にたずねてみるべきだったかもしれない。私はいやです。

それでは、jiji先生=traductricemtl氏のツイートと、対する青識先生=dokuninjin_blue氏と、frroots氏のツイートを、発端からふりかえろう。

このように、traductricemtl氏のツイートそのものの解釈ではなく、traductricemtl氏のツイートをフェミニストがどのように解釈しうるかが争点だった。
ここでteamtanotomu氏の根拠が「あやふや」であることは関係がない。traductricemtl氏が根拠を疑わなかったことをフェミニストが批判しなかったことを、dokuninjin_blue氏は問題視していない*1。そこでわざわざfrroots氏がとりあげる必要はない。
もちろん、入れ子細工となった個々人の主張から、細かい解釈を興味関心にしたがって論じることは自由ではある*2。しかし確定的な解釈につながらないかぎり、frroots氏の主張を崩すことは難しい。
この直後、争点における自身の解釈の位置づけをfrroots氏が説明するツイートも引用する。複数の解釈、複数の理解がなりたつという立場からfrroots氏が論を進めようとしていたことがわかる。

いうなれば、dokuninjin_blue氏の解釈を「唯一の可能な解釈ではない」「どの解釈がもっともよい解釈かというのはむずかしく」と認めさせることが、frroots氏が当初から目指したことだった。
批判してもいいし批判しなくてもいい、そんな状況にさいしてフェミニズムが批判しなかった。しかしdokuninjin_blue氏は批判しなければならないという立場からツイートして、ゆえにfrroots氏が批判してもいいし批判しなくてもいいと反論した。
さて、批判してもいいし批判しなくてもいいとeguchi_satoshi氏が認めるとすれば、dokuninjin_blue氏とfrroots氏のどちらが妥当と評価するか、するべきか。
元発言の「やらしてくれる」という表現を、eguchi_satoshi氏は価値中立的な表現へ「自分勝手」な改変までしながら、それでも「推測」にとどまる時点で答えは出ているようなものだ。


上記のように、細かい解釈を争ってもdokuninjin_blue氏とfrroots氏のやりとりにはあまり関係がないし、論点が無駄に広がりかねない。
そこで最後に、「ぜんぶ受けいれません」とeguchi_satoshi氏が拒絶を表明した「内面化」という表現についてだけ、それをつかった私の意図を書いておく。

決めつけないで聞いてくれればいいのに。「保守的ですか?」って聞かれたら「イエス」って答えますよ。内面化なんて言葉使う必要がないと思う。

まず念のため、私は「保守的な思想を深く内面化しているような気がしてならない」「内面化していると疑わざるをえない」と表記して、かなり意識的に「決めつけ」は避けていた。
また、同じ返事で「彼らのどちらかがjiji先生にたずねてみるべきだったかもしれない。私はいやです」と書きながら、「決めつけないで聞いてくれればいいのに」と書かれては、問う気がなくなる。

ただしとにかく「内面化」とかいうわけわからん用語つかうのやめてください。「内面化」ではなく「〜という価値観をもってる」でOKなのでは?

ここで引っかかりをおぼえられるとは思わなかった。私がeguchi_satoshi氏について「内面化」という言葉をつかったのは、下記のeguchi_satoshi氏による文章との対比を意図していた。
チラシの裏:小宮青識論争観戦記 – 江口某の不如意研究室

これが侮辱であるためには、人は(あるいは「男性は」)その人に関係する女性が性的に活発だという含みのことを言われたらすべて侮辱されていると解釈するべきだ、ぐらいの判断が裏にないと正当化されないが、これを正当化するのはむずかしい。

具体的には、「判断が裏に」という部分を、そのまま内面化の指摘に近いものととらえた。ここでeguchi_satoshi氏が他者の裏をほぼ断定したので、私はeguchi_satoshi氏が内面化している疑念を表明することした。
実のところ、この流れでeguchi_satoshi氏が自身の保守性を認めるとは思わなかった。むしろ疑念そのものは否定することを期待していた。相手の主張の意図や効果を解釈するためには、相手の基準に同意しなくても、相手の基準を推測できれば充分だ、という認識を共有したかった。
いずれにせよ、eguchi_satoshi氏が他人の「裏」を断定する態度をとりながら、自身に対しては「内面化」を疑うだけの態度でも拒絶するというなら、それはそれで正直な心情の吐露ではあるとは思う。

*1:根拠に疑いを向けることがフェミニストにとって有利になり、dokuninjin_blue氏にとっては好ましくなかった、と推測してもいいかもしれない。eguchi_satoshi氏がいうように論争でとりあげるべき課題であったのに無視していたということならば。

*2:たとえばeguchi_satoshi氏は「(関係する)女性が侮辱されると自分も馬鹿にされたと考える必要があるのだろうか」というが、そもそも誰かへの侮辱を友人が堂々と語った時、そうした侮辱を同調しないまでも許容する人格と思われていること自体が、一種の侮辱になるだろう。本当に友人であれば侮辱的な発言をいさめるべきだ……というのは理想主義にすぎるだろうか? なお、teamtanotomu氏のツイートの解釈において、eguchi_satoshi氏は「やらしてくれる」を不採用にしながら、「真顔」は採用しているわけだが、その表情は真摯な問いかけの表明などではなく、侮辱した時に恥ずかしげもなかったという解釈が可能だろう。「やらしてくれる」と「真顔」の一方だけ恣意的に採用するのでなければ、それが性差別的という自覚すらなく性差別的な発言をおこなっているという解釈が合理的だと考える。