法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

茶道を題材とした自作小説『天下取り前夜』

はてな人力検索で有志がネット小説を書きあう企画「かきつばた杯」で、昨年10月に即興で書いたショートショート。締め切り当日に書こうとして間にあわなかった。
【人力検索かきつばた杯】#53 かきつばた杯を開催します。 2連… - 人力検索はてな
題は「天下をかけた戦い」だったが、他の参加者がひねっていたのでさらにひねったら、一周してひねりが全くない話になった。

『天下取り前夜』


 焚火の炎が風にそよぎ、ふいに弱まった。
 与四郎の手元に、欠けることのない新円の光が浮かびあがる。木の椀に照り映える、空のきらめき。どこからか潮のにおいがただよってくるように感じた。
 見あげると、いつの間にか望月が中天にさしかかっていて、さえざえと冷たい光をそそいでいた。
「さ、どうなされた」
 焚火をはさんで対面に座る農夫が、にいっと笑った。
 まず与四郎は鼻を近づけて香りをかぎ、椀の中身を一息に飲みほす。苦味の後に、かすかな甘味。鼻に突きぬける松葉のような香り。
「……京都栂尾の本茶にあらず。駿河清見か」
 農夫が深々とうなずいた。
「ご明察です」
 斜め前に座る名主が、ふせていた紙を開いて、淡々と告げる。
駿河清見
「海の近くで飲んだおぼえがある。港町で育った俺には造作もないことだ」
 与四郎は焚火に手をのばす。炎の中で真っ黒にすすけた茶釜から、熱湯を柄杓ですくい、茶葉を入れた急須へそそぐ。
 与四郎が淹れた茶を受けとって、農夫は香りをかぐ。その隙に与四郎はさらさらと答えを紙へしるし、裏返して名主へわたした。
 周囲は羽虫がとびかう夜の草むら。尻に敷くは二畳のござ。
 老いた農夫を相手にし、判じ役は田舎村の貧しい名主。
 本来の作法とは異なるが、小生意気な田舎の農夫をあしらうには充分だ。
 そのはずだった。


 闘茶。
 淹れた茶を飲みあって、その産地や銘柄を当てあう遊興。
 高位貴族や守護大名から水呑百姓までこぞって参加し、羽がはえたように掛け金がとびかう。
 その流れにのって、高名な茶葉の値段もふくれあがりつづけている。もちろん茶道具も茶器も、茶会にもちいる庵も、天井知らずの値段がついている。
 いっかいの商人でも、幸運さえつかめば天下を動かしかねないほどの狂いぶり。
「神尾寺。いい茶ですな」
 農夫がにこりと笑い、与四郎は茶葉をかみしめたような苦い顔でこたえた。
「……明察だ」
 与四郎は真っ黒にすすけた茶釜を見つめる。蓋をあけた茶釜から、あぶくが続々と生まれては消える。
 暗がりに、明かりは満月と焚火だけ。うたかたを生みつづける茶釜の中は、まるで漆をぬりこめたかのように暗く、黄泉へとつづく底無し穴に見えた。


 どうしてこうなったのだろう。
 与四郎は比類なき闘茶の才があった。
 まだ六歳にもならぬうちから、港町に集められた商品の茶を飲みつづけ、育てられた舌と鼻で周囲の者を驚嘆させた。
 商人の息子として仕事をおぼえはじめた十二歳の今も、いっそう舌と鼻そして茶道具を見る目をとぎすますため、父の背中で学んでいる。
 そうして父の商売につきそって立ちよった村で、目の前の老いた農夫に出会った。名主の家の片隅で、なぜか女のように煮炊きの番をしていた。
 若さにまかせて闘茶の腕を誇らしげに語っていた与四郎に対し、農夫は膳をはこびながら、にこにことしていた。
 嘲っても、軽んじてもいない。しかし、まるで幼子が天下取りを宣言した時に母親が向けるような、そんな温かい目つきが、やたらしゃくにさわった。
 気づいた時、むくむくと起こった負けん気で、闘茶遊びをしようと持ちかけていた。茶道具一式と多彩な茶葉は、商品として闘茶に充分な量を持っていた。
 そして農夫が勝った時、運んでいた茶葉の一箱を与えようといった。
「負けた時は、いかように……」
「何もいらぬよ。百姓に負けたとあっては名折れだ」
 もちろん、農夫はひきさがるとばかり思っていたのだが。
「それは楽しゅうございますね」
 そういって、しわだらけの顔をいっそうしわくちゃにして、農夫はほほえんだのだった。


 陽が落ちる前からはじまった闘茶は、夜半をすぎても勝負がつかない。
 茶を飲みつづけて目がさえている二人はともかく、判じ役を命じた名主は船をこいでいるありさまだった。
 ああ、虫の音がうるさい。
 眉をひそませながら、与四郎は急須へ熱湯をそそいだ。
 秘蔵の茶葉に秘密の仕込。
「その舌と鼻、どこで手に入れた」
 粗末な木の椀をわたしながら、農夫へ問いかけた。
「典座にて働きながら学ばせてもらいました。門前の小僧でございます」
「坊主の飯炊きか。どうりで格好に似あわぬ言葉を知っている」
 農夫は椀を受けとり、すずしい顔をして、熱い茶を一息に飲みほした。
 ほうっと農夫が白い息をはいた。まるで酒を飲んでいるかのように、楽しげな笑みを浮かべていた。
 その笑顔のまま、しばし農夫は身動きを止めた。
「どうした、わからぬか」
 弱き者を案じてやっているかのような声色で、与四郎は問いかけた。笑みが浮かびそうになるのをこらえて。
「良い香りです。実に良い。複雑で、精妙で……」
 農夫がふたたび椀に口をつけた。そして中身がないことに気づいて、無念そうな表情を浮かべた。
仁和寺、般若寺……」
 どちらも名高い銘柄だ。
 はじめて名主が口をはさんだ。
「そなたがわからぬとは、珍しいこともあるものよ」
 農夫は首を横にふった。ほほえみを浮かべている。
 名主が与四郎を見て、首をかしげ、答えの書かれた紙を裏返した。その目が見開かれる。
 与四郎は声ひとつだすことができなかった。
 かわりに名主がつぶやく。
「明察……般若寺と仁和寺
 農夫はふたつの銘柄を混ぜた茶を、完璧にいいあてていた。
「これは与四郎様の過ちですな」
 そう名主がいい、農夫もうなずく。
「……しょせん余興よ。こちらの負けで良い」
 そう答えながら、与四郎は目をつぶった。
 ああ、虫の声がうるさい。


 ふるえが止まらない。
 農夫を切って捨てることはたやすい。殺さずとも舌を抜けばいい。名主も金銭をわたせば文句をいわないだろう。
 しかし与四郎の幼い矜持は、すでにずたずたに切り裂かれていた。
 農夫はにこにこと笑ったまま、荷車のひとつ、その片隅にある最も小さな箱を指さした。
「その茶葉、良い香りがいたしますな」
 座ったまま崩れ落ちそうになった。
 天皇や将軍に献上されてもおかしくない、当代で最も高価な茶葉だった。それを遠くから見もせずに的中してみせた。
 名主の家で寝ている父にあわせる顔がない。あるはずがない。
 いっそ腹を切ろうかと思いつめながら焚火を見つめ、じりじりとあぶら汗を流している与四郎をよそに、ひょこりと立ち上がった農夫は軽々とした足取りで荷車へ向かった。
 そして小さな箱を小脇にかかえ、与四郎の隣に立つ。
 ゆるゆると顔をあげる与四郎へ農夫は笑いかけ、小箱を焚火へ放り捨てた。
「茶は飲むもの。賭けるものではありませぬよ」
 茶釜に叩きつけられた小箱は、すぐに燃えあがって壊れ、茶葉が舞った。
 声にならない叫びをあげ、焚火に手をのばそうとしたが手遅れだった。
「どれほどの値がつこうとも、ひとたび炎へ投じれば失せてしまう。どれほどの価値があるといえども、しょせん天下そのものが、よどみに浮かぶうたかたにすぎませぬ」
 うつむいて呆然としていた与四郎へ、農夫が椀をさしだした。
 顔をあげると、名主が茶釜へ柄杓をいれ、中の熱湯をそのまま椀へそそいでいる。
 視線をもどす。ただの熱湯のはずなのに、なんともいえない香りが椀からたちのぼっていた。
 まず嗅ぎ、その熱い湯で舌を湿らせ、それから夢中で飲みほした。
 腹の底から熱くなる。茶でふくれた腹をなでて、与四郎は息をついた。
「松の木で焙じると、かくも茶の香りはよくなるものです」
 そういって農夫は笑った。
 与四郎は農夫を見つめ返す。
「いい顔です」
 農夫がうなずいた。
「それならば天下を動かせるかもしれませぬ」
 あたりに虫の声が満ちている。ふしぎと心地良く感じた。


 村を去りながら、与四郎は考えた。
 農夫の舌と鼻を疑うことはない。焚火の前で目をこらしていたが、名主と農夫がこっそり言葉をやりとりしている様子はなかった。それでも念のため、答えあわせの時まで紙を伏せておいたくらいだ。
 しかし、なぜ父親は怒りの言葉ひとつくれないのか。箱と紙につつまれ、他の茶葉とともに積まれた荷を、いくら名人であっても嗅ぎわけることなどできるのか。
 農夫はきっと名のある男なのだろう。名主の家で馳走になった膳の味も素晴らしかった。どこかで誰かがしくんでいなければ、与四郎が出会えるはずもないだろう人物。
 舌と鼻と目を誇って慢心している息子へ、知見を広げてやろうとする親心が、背後に隠されていたように思った。


 しばらくして闘茶はすたれ、巨額の財をなしていた公家も武家も商人も、次々に姿を消していった。しかし与四郎は港町で茶器の売買をつづけつつも、すでに闘茶から手を引いており、痛手を受けることはなかった。
 そして新たな価値が生まれた。茶そのものの味と香り、そして他者をもてなす場として、茶の湯が栄えたのだ。
 与四郎は後に千利休という名が贈られ、天下人の心を動かすこととなる。その半世紀前の話であった。


 了

これを書いた時は『利休にたずねよ』を知らず、『タイムスクープハンター』で闘茶を描いた回が念頭にあった。
しかし改めて読み返すと、いくらショートショートとはいえ話がきれいごとすぎる感はある。さすがに『へうげもの』は誇張としても、千利休が有力商人として政治にも影響力を持っていたのは事実。
闘茶と千利休のかかわりも、簡単に調べた限りではわからなかった。ただ、千利休とは別個に闘茶がすたれた過程において、自らが戦って勝ちつづけるより、勝負の舞台を用意することで大きな利益を生めると、誰かが判断してそうな気はする。現代でたとえるなら、同人誌で売れっ子になるよりも、同人誌ショップを開いたほうが確実に儲かるというような感じで。