法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

表現を萎縮させる話について、返事

こういうののタイトル考えるの面倒くさいなー。 - Click Game.

条例や法の“効果”の話であるならば当然、“短期”というのは「それが施行されてから、ある程度までの期間」であるはずです*1。“それなりの手続き”など、関係がありません*2。

施行後の話と解釈されるとは思わなかった。もともと問題は「萎縮」なのだから、条文による明確な禁止ではなく、将来の立法や拡大解釈をおそれて自主規制が拡大することを指すと、私は解釈していたのだが。

効果の比較を始めたのはこちらではありません。そもそも、こちらに根拠を求めること自体が意味不明です。
もちろん、元々のブコメは“思わせる”という程度の話ではあるので、それについての根拠等が無かったとして、その事をこちらから殊更に責めるつもりはありません。ただ、「どういうお幸せな思考してるんだろうなぁ」と申し上げるのみです。

「効果は高いんじゃないかと思わせる」という程度のコメントに対し、「どういうお幸せな思考してるんだろう」という強いコメントで評価したのだから、rag_en氏は否定できるだけの心証なり資料なりがあると思っていたが、単なる主観評価だったという話だろうか?

ちなみに、自主規制ケースの羅列など、なんの比較にもなりません。

先述したように、「萎縮」という表現からすれば、自主規制をふくんでいると解釈するべきだろう。
くわえて、今回は「言いがかり」を批判するコメントにおいて、都条例や児ポ法が持ち出されていた。単純に比較評価しているのではなくて、都条例や児ポ法で表現が萎縮するという共通認識を前提として、言いがかりの萎縮効果の強さを批判する表現と読むべきだろう。それなのに、現実の萎縮例が比較にならないというのでは、制作側にいいがかりをつける問題だけでなく、都条例や児ポ法が表現を萎縮させる問題をも軽視しているようなものだ。

あと、最後の段落は完全に“言いがかり”レベルですね。

クリティカルに萎縮の被害にあってきた受け手として、萎縮をおそれるコメントが「幸せ」などと呼ばれているのを見ると、では幸せにしてくれと望むのは当然だろう。「幸せ」にしてくれる補償もしないのに、どうしてそんな表現を選んだのだろうか?
何ら利益がえられていない受け手側が、幸せなどと評されることが「言いがかり」でなくて何なのだろうか?