法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『鷲見ヶ原うぐいすの論証』久住四季著

人間へ英知をさずける「悪魔」を中心として、超能力のごとき様々な感覚を「素質」として持った登場人物がおりなすクローズドサークル
嘘を判別できる「素質」によって、全ての被疑者が殺人をおかしていないことが論証される。それでいて手がかりが少なすぎ、登場人物が少ないわりに犯人像をしぼることができない。


ライトノベルという媒体で先端的な本格ミステリを書いている、という久住四季作品に対する評価を見かけたことがある。そこで、ためしにノンシリーズらしいこの作品を読んでみた。世界観は既存のシリーズと繋がっているらしいが、独立して楽しめたし、既存シリーズのネタバレもないようなので、初めて読むには悪くない選択だったと思う。前衛的という情報に反して、平易かつ手堅い古典的なミステリだったが、けして悪い出来ではない。
転がる死体の数が少ないわりに頁数は多いが、さほど間延びしているようには感じられない。衒学的な説明は、その時々の作中設定を説明する必要性が感じられるため、遠回りしている気になることはない。そこそこアクションもラブコメもちりばめられているし、ライトノベルらしく登場人物に均等な見せ場がある。
いくつかある誤った推理もそれなりに筋が通っているし、真相もふくめて目新しくはないものの、引っかかる部分は全て解明される。真相を知れば全ての登場人物の存在と描写に無駄がなく、「素質」という根幹設定から人工的にクローズドサークルが作られた理由まで、ミステリとして許せる範囲の作中現実に着地する。
作中の警察が、「素質」や「悪魔」のような設定を無視して捜査する終盤も、地に足がついていて良かった。客観視点による捜査がはさまれることで、幻想描写の現実味が増す。


犯人の設定は普通のミステリだと古典的でいて説得力が低くなりそうなところ、堂々と伏線を引いている上に、「素質」という虚構性の高い設定が先行して描写されているため得心しやすい。
冒頭で書かれた事件後の「悪魔」との対話も、中盤で「悪魔」を召喚しようとする鷲見ヶ原うぐいすの行動も、真相を知った後で読めばミステリとして納得がいく。
そして「素質」という最も虚構性の高い設定は、西澤保彦のごとき特殊設定導入のミステリとして展開させるだけに終わらず、才能を渇望する者達のドラマへと繋がった*1。なるほど英知をさずける「悪魔」を求める者達の物語ではあったのだ。

*1:プロットレベルで設定を掘り下げる構成は、天才という設定をキャラクターの色付けとして割り切っていた西尾維新クビキリサイクル』より、ずっと本格ミステリらしい表現だ。