法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」周辺の出来事について

「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」と昼間氏らへんの対立 - Togetter
Togetterでまとめられているが、様々な論点が混在している。まとめた[twitter:@amamako]氏もコメント欄において下記のツイートを投稿しているように、切り分けるべき問題が多い。

とりあえず、「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」*1が行った抗議手法への妥当性、抗議手法を批判した側の妥当性、歴史修正主義や父権的な態度を都条例反対派がとった問題、この三つに大別した論点で順を追って考えてみようかと思う。
もちろん全体に通底する問題を見いだすこともできるし、それゆえ連続してこのような言動がなされのだろうと思う。特に二番目と三番目は重複する部分が大きい。しかし三番目は緊急ネットワークの存在とは別個に問題視しうるので、話を簡略化するため仮に別個の問題としてとらえたい。
なお、表現規制に反対か賛成かは、ここでの重大な争点ではないと考える。たとえば上記Togetterの冒頭で反対派が「活動家」を追い出すべきと主張している[twitter:@Knife02]氏は、以前に「反対派にはもうついていけん」から「賛成派にまわった」と宣言していた。
『表現規制反対派』の拙い行動についての雑談 - Togetter


まず、緊急ネットワークが行った抗議手法に妥当性があったかという問題だが、これは別個に詳細なツイートがまとめられていた。
都条例問題 「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」に同行した人、目撃した人からの苦言・問題提起。 「率直に言いますが、(緊急ネットワークの)行動はかなり問題のあるものでした」 - Togetter
上記Togetterでも部分的に追記されているが、緊急ネットワーク側の[twitter:@yunegoro]氏*2と、[twitter:@mangaronsoh]氏*3や[twitter:@johanne_DOXA]氏*4とで会談が行われることをamamako氏が続報としてまとめている。yunegoro氏が配慮を欠いていたと述べている一方、後述するが冒頭でjohanne_DOXA氏も反省していることに注意。
緊急ネットワーク(根来氏)と昼間・ヨハネ氏、仲直りの兆し? - Togetter
もっとも、johanne_DOXA氏は緊急ネットワーク関係者を「知己の左派活動家」「仲間と言う訳ではないが、多少なりとも知り合い」と呼んでおり、予想できた流れではある。どちらかといえば、運動の当事者間で話し合うべきことをtwitter上で公開してしまったため、無意味に騒動として広がってしまった問題と考えるべきかも知れない。
また、昼間氏側を批判している側でも、[twitter:@tummygrrl]氏や[twitter:@niconicool]氏は同時に緊急ネットワークの抗議手段へ懐疑や批判の目を向けている。

[twitter:@hokusyu82]氏も「主張や方法論についてはまず関係をつくったうえで、お互い批判しあえばいいと思います」と明言し、後に「アポ無しで民主党議員に陳情したのは方法論として賛否があるだろう」と自身の考えとは別個にツイートしている。

つまり、緊急ネットワークの抗議手法を疑問視したり批判すること自体は、ほとんど誰も問題視していないのだ。
異なる手法をとる運動が出てきたこと、そうして手法を相互批判すること、そして反省すべきことを反省することにとどまっていれば、全体として都条例反対運動の健全さを示せたことだろう。
今後に緊急ネットワーク側と批判側が会談することもあり、この論点については収束して良い結果を出すことを期待したい。


次に、緊急ネットワークを批判した側の妥当性だが、mangaronsoh氏とjohanne_DOXA氏は協力しつつも、いくらか温度差があったことに注意。

後にhokusyu82氏とのやりとりで明言もしている。

ちなみに、あまり知られていないようだが、少し前に今回と酷似した出来事がmangaronsoh氏とjohanne_DOXA氏の間であった。
昼間たかし氏(@mangaronsoh)、表現規制の運動論で突っ込まれる - Togetter

ここでmangaronsoh氏が出遅れたと批判されているところが味わい深い。社民党の保阪氏に何か感じているのも今回の出来事と合わせて考えさせられる。しかし逆に考えれば、これだけ舌戦しながら2ヵ月後には協力できるようになったことは、政治運動の一つの面を象徴しているともいえるだろうか。
また、先に言及したようにjohanne_DOXA氏は自身の態度が抑圧的で父権的であったか自省するむねツイートしている。

hokusyu82氏とのやりとりでは一連の運動を「創作表現の自由」に限定しているなどと目を疑う発言もあったが、そのことも後に不適切発言と認めている。

本来ならば、緊急ネットワークに対して誤った批判もあったことを認めたのだから*5、それに限っては追求するべきではないと考えるが……過半数の単行本を購入しているくらいの薄い読者なりに「またですか……」と一言ぼやいてもいいと思うんだ。あと、自作の『マルクスガール』で示した「孤立を求めて連帯を恐れず」という言葉を今こそかみしめてほしい。
一方で、mangaronsoh氏は緊急ネットワークとフリーター労協が無関係というツイートを引用したくらいで、ほとんど訂正や撤回が見受けられなかった。しかしyunegoro氏と対話する予定であり、今回のように騒動が無用に広がらないよう配慮しているとも考えられ、後に何らかの動きを見せてくれると期待しておきたい。


最後に、歴史修正主義や父権的な態度を都条例反対派がとった問題がある。
「慰安婦/従軍慰安婦」をどう理解するか - Togetter

従軍慰安婦を「え、そんなん、ないに決まってるじゃない」と書けば、不見識のそしりをまぬがれまい。実際に「慰安婦」はあったと認めつつ、軍が管理していたことを否定するため「従軍」という言葉を拒絶する歴史修正主義もある。
ちなみに従軍慰安婦がなかったと主張している吉田康一郎都議は、在特会主催の集会で応援演説をしたという前科がある*6
後に[twitter:@senkyomae]氏から問われたmangaronsoh氏は、軍が管理していたことまでは事実上認めた。

しかし依然として歴史修正主義であることには違いない。
歴史学において慰安婦制度の悪質さを最も低く見積もっている秦郁彦教授ですら、フィリピン等で軍による直接的な強制連行が募集段階で行われていたことは認めている。秦教授を否定しようとするならば、主流どころか学術界そのものから外れてしまうことは認識してほしい。
秦郁彦教授の従軍慰安婦研究には確かに問題が多いものの - 法華狼の日記
そして軍に依頼された業者が一般的に行っていたのは慰安婦を集める段階までで、最終的な慰安所への移送は軍が行っていたのだから、「連行」は軍が組織的に行っていたと解釈することが自然だ。
senkyomae氏は前後して下記のような見解も示しているが、どれも全否定よりは調べているものの、やはり歴史修正主義と判断せざるをえない。

白馬事件は例外事項ではない。あくまで戦時中に抗議され戦後に戦犯裁判にかけられたため、資料が充実して日本側が初期から否定できない強制連行事件だっただけだ*7

正確にいうと吉田氏は証言において時間や場所に編集をくわえたことを認めただけで、強制連行自体を否定したわけではない。そもそも、歴史学において採用されていなかった1人の証言を否定しただけで、戦争犯罪を否定できるという考えに首をかしげざるをえない。

それは「当初」の時系列にもよるだろう。最初の証言者が名乗り出て以降、学問上は慰安婦制度の悪質さが通説として固まっていったと私は認識している。そして最近には従軍慰安婦強制連行が東京裁判で動議されていた史料も新たに発掘されている。
林博史『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』 [戦後責任ドットコム]

さすがに政府見解は「狭義の強制連行は一部例外を除きほぼ無かった」などといういいわけじみたものではない。現在も外務省サイトが河野談話の一部を抜粋する形で認めている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/05.html

「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」

ここから従軍慰安婦はなかったなどという考えは、「広義」でとらえても導きようがないだろう。
そして慰安婦そのものの記述ではないが、関連する記述を行っている教科書は存在する。しかし自虐史観との批判をあびたりして採択が激減し、一度倒産して来期からは撤退するという流れがある。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100422/edc1004220138000-n1.htm
つくる会教科書の登場で教科書における歴史認識の中間がずらされ、かつて主流だった記述が偏向した「自虐史観」とされてしまった。歴史学会ではなくて政治家から自虐史観批判が幾度となく行われ、つくる会教科書を推薦する政治家もいたことには注意をはらっていい。
ついでに記事中にある沖縄集団自決は、林博史教授の著作から文意を歪曲して検定意見がつけられ、強制的に教科書から削除されたという出来事もあった。表現の自由を論じたいならば、他人事ではない話として記憶していてもいいのではないか。


運動の相互批判は自由にやればいいし、実際に当事者間で会談が行われるとのことだから、法規制反対運動全体として見れば、そう悪くない方向へ進展していると思う。また、緊急ネットワークに対する批判も一部で行きすぎがあったことは自省や釈明がある。
解決が見られにくい問題としては、意見を異にする政治団体が同じ主張を行なうことを問題視するべきか、表現規制反対派にも歴史修正主義を信じてしまう人がいる問題をどうするべきか、といったところだろうか。
まず、異なる運動の登場で運動全体の説得力が下げられる懸念があるなら、そうして進められていた運動全体に根本的な問題があったといえる。異なる運動が出てきても説得力が下がらないような運動をすべきだし、異なる運動との矛盾を全体の問題ととらえる思想を運動側が持つべきではない、ということは理路として全く正しい。異なる運動との矛盾を全体の問題ととらえられる場合、そのように問題視する側を批判するべきだ、ということだ。
ただし、根本的な問題が表に出ることを対症療法的に防ぐということ自体は、あまり運動と関わっていない私として全否定できない。一つの偏見と戦えるだけの力が団体に存在しない場合、他の偏見との戦いに巻き込まれて力を分散したくない、という事情自体は配慮してもいい。異なる運動との矛盾を全体の問題ととらえられる場合、そのように問題視する側を批判することに使える力がない、というような現実で運動することの難しさは考えられる。その後の経過を見れば運動相互にいくらか関係性もあったようだし、表に出されていない出来事や、内輪的な意識が背景にあった上でのことではないか、とも感じる。
もう一つの歴史修正主義だが、これは表現規制に反対や賛成という論点との相関関係すらないといっていい。たとえば政党で見れば、従軍慰安婦の非道性を主張している社民党共産党表現規制反対派となっている一方、従軍慰安婦合法論者をかかえている自民党表現規制を進めている現状がある。従軍慰安婦合法論自体、国内宣伝での成功によって広がりを持ってしまっている。
しかし今回の件では、異なる運動を拒絶していったことが関連する出来事への無知に繋がったのではないか、という固有の問題もうかがえる。もちろん一個人が全ての問題に知見を持つ義務などないが、政治的な運動を拒絶した直後に他の政治問題へ言及して無知をあらわにしたのだから、ことさら政治的であることを拒絶するという態度が自己欺瞞でしかなかったことは明らかだ。異なる運動を批判してもいいのだが、その誤謬ではなくて政治的であること自体を批判するようではいずれ政治問題への知見を失うだけ、ということを逆説的に示した出来事とはいえないだろうか。
異なる政治問題にかかわる義務はないが、異なる政治問題と考えあわせることの意義はある。それだけは考えてもらいたい。

*1:以降、緊急ネットワークと略す。

*2:映像作家の根来祐氏。

*3:ジャーナリストの昼間たかし氏。

*4:エロ漫画家の山本夜羽音氏。

*5:いくつか弱いと感じる部分もあるが。

*6:http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200906260809445

*7:こちらで批判した歴史修正主義者と大差はない。白馬事件についてまとめているので参考のこと。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100812/1281623466