法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

誤訳と判明しても映像を見ても尖閣デマは消えないだろう

すでに旧聞に属する話なのだが、先月にインターネットで下記のようなデマが出まわっていた。
尖閣諸島付近での漁船衝突事件に関する誤報とその拡散 - Togetter

【緊急拡散】BBC中国語ネット 尖閣侵略時 海保安官 中国人に死傷させられる 官総理は 直ちにVTRを公開せよ なぜ政府が公開を渋っているか理由判明? http://ow.ly/2YlzG
ninjyasasuke
2010-10-24 09:26:19

このデマが興味深いのは、なぜデマが発生したかの原因がほとんど判明していること。上記Togetterでは原文を確認した6人ほどの人物から疑問や批判がなされている様子もまとめられている。

参照文件を読んだが、死傷者は無かったと書いてあるな。RT @ninjyasasuke 【緊急拡散】BBC中国語ネット 尖閣侵略時 海保安官 中国人に死傷させられる 官総理は 直ちにVTRを公開せよ なぜ政府が公開を渋っているか理由判明? http://ow.ly/2YlzG
hsymsr
2010-10-24 09:40:14

原文の「日本海上保安廳稱,〓撞最初在星期二(9月7日)上午10時15分(格林尼治標準時間1時15分)發生,事故沒有造成人員傷亡。」は最初の衝突は火曜日の九月七日に起き、事故による死傷者は無かっただよ。RT @yasegamanA さすがに、にわかには信じがたいなぁ。
hsymsr
2010-10-24 10:38:06


@rufeir あのー死傷者は「沒有」(メイヨー)ありません。って書いてます。誤訳です。。
mizubasyo
2010-10-24 10:40:29


元ソース http://bbc.in/cz769j 「事故沒有造成人員傷亡」→「事故による死傷者はいなかった」なんだけど翻訳機にかけると「事故は、死傷者が発生」になるんだぜ RT @xCCCPx: 海保に死傷者?デマじゃないの。人の命なんだ、そんなことあってたら国中大騒ぎやで。
tajima03
2010-10-24 10:40:48

@hsymsr 英語でもたまに否定文を肯定文にしたりニュアンスが通用しないから油断できない
tajima03
2010-10-24 10:50:09

原文の報道は下記のBBCの中国語版記事。そのまわりくどさから考えて、翻訳機の誤訳でなくても、記事を翻訳する時点で誤訳している危険性を疑ってもいい場面だ。
钓鱼台撞船事件 中日两国相互提抗议 - BBC News 中文
該当する記述だけを抜き出すと、下記の文章。

日本海上保安廳稱,〓撞最初在星期二(9月7日)上午10時15分(格林尼治標準時間1時15分)發生,事故沒有造成人員傷亡。

とりあえず手軽な翻訳機としてgoogle翻訳*1とエキサイト翻訳*2とYAHOO翻訳*3を用いてみた。

海上保安庁では、衝突は火曜日(9月7日)午前10時15分が[(GMT 1:15)が発生した、事故は死傷者が発生初めてだ。

日本の海上保安庁は、火曜日に最初の(9月7日)午前10時15分(グリニッジの標準的な時間の1時15分)発生にぶつかって、事故はもたらす人員は死傷していませんと語っています。

日本海上保安の庁は称して、衝撃は最初に(9月7日)午前10時15分(グリーンの尼は間の1時15分に時間どおりに場当たり的に処理する)の火曜発生して、事故には人員死傷を引き起こすことがなかった。

見ての通り一長一短で文章としてこなれていないが、基本的に死傷していない文意は伝わってくる。エキサイト翻訳が頭1つ抜けているかといった程度。
問題はgoogle翻訳で、そもそも日本語として成り立っていないが、死者が発生したかのようにも読めてしまう。google検索を使っていると翻訳ページも示されるため使ってしまうが、まだ明らかに発展途上だ。


さて、問題は誤訳だけではない。上記したTogetterには誤訳を認めて訂正を行うツイートも複数あるが、下記のようなツイートも収録されている。

誤翻訳とわかっても疑念は消えません。ビデオを公開しないから、さまざまな憶測が飛び交います。自分は消しましたが、この誤翻訳が流布されることで、ビデオ公開をしなければならない状態に、政府が追い込まれるのであれば、マイナス面ばかりではないと思うところもあります。 RT @rufeir
Joe_F_Yokohama
2010-10-24 13:18:59


これが一気に拡散するのも、元は疑念故ですしね。ただやはり最終ラインは避けないと、最後に泣くのは弱者ですから RT @Joe_F_Yokohama ビデオを公開しないからさまざまな憶測が。この誤翻訳が流布されることで、ビデオ公開に政府が追い込まれるのであれば、マイナス面ばかりでは
rufeir
2010-10-24 13:24:36

実際に長尺の映像が「流出」した現在、Joe_F_Yokohama氏の見解が甘かったことははっきりしているといっていいだろう。映像の内容が公表されてきた政府見解と明らかに反しているわけではないので、新情報は存在しないといっていい*4。だから政府等の見解に反する映像を期待して、映っていない場面や解釈の分かれる場面へ想像を加えることで、陰謀論は生き続ける。


いや、映像の結果的な発表を待つまでもなく、少し思い返せばわかることだ。
多くの報道機関や個人の撮影した映像が初期から多角的に報じられた9.11同時多発テロに対し、米国の自作自演と主張する陰謀論は今も流布し続け、それを信じる者には日本の現与党に所属する藤田幸久議員などもいる。
kikulog
中国が打ち上げた有人宇宙船「神船7号」の映像に対し、ニコニコ動画などで捏造論が主張されたのも、わずか2年ほど前にすぎない。そのさらに数年前にアポロ月着陸捏造論がTVメディアから流布し、徹底的に批判されたばかりだったというのにだ。
山本弘のSF秘密基地BLOG:今度は「神舟7号の宇宙遊泳もなかったろう論」
このっ、バカ共が!: 松浦晋也のL/D
そもそも写真も映像も事実の一面を限られた時間だけ切り取ったものにすぎない。撮影された文脈とあわせて初めて証拠能力を持つ。だから歴史学においても、南京事件の証拠は写真などではなかったし、当時の日本で作られた記録映画が暴行を映していなくても南京で日本軍が大虐殺を行ったことは事実と見なされる。
南京事件と報道規制*5

さらに、「事件」直後に撮影された映画『南京』に、「虐殺」を思わせる場面がないことを「否定」の材料にしようとする方も存在します。しかし、映画『南京』のカメラマンであった白井茂氏自身が次の記録を残していることからも、この映画をそのような材料として使うのは無理なことでしょう。

白井茂氏『カメラと人生』より

 戦争とはかくも無惨なものなのか、槍で心臓でも突きぬかれるようなおもいだ、私はこの血だらけの顔が、執念の形相がそれから幾日も幾日も心に焼付けられて忘れることが出来ないで困った。私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺をされるであろう人々を沢山見たが余りにも残酷な物語はこれ以上書きたくない。これが世に伝えられる南京大虐殺事件の私の眼にした一駒なのであるが、戦争とはどうしても起る宿命にあるものか、戦争をやらないで世界は共存出来ないものなのだろうかとつくづく考えさせられる。
 

(同書 P137〜P138)

ドキュメンタリーは嘘をつく。事実そのままに見えても、作り手の解釈によって切り取られて編集された作品にすぎない。半年前に話題となったドキュメンタリー映画ザ・コーヴ』をめぐる論争でも、語られたばかりのはずだ*6
今回に流出した映像に対しても、同様の指摘をドキュメンタリー作家の想田和弘監督*7が行っている。
観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda: 尖閣諸島「流出ビデオ」について

これだけ読むと、議員たちの解釈が食い違い、まるで黒澤明の「羅生門」の様相を呈しているわけだが、実際の映像とされるものを観て、見方が割れている理由が飲み込めた。

実際のところ、「よく分からない」のだ。

たしかに漁船が巡視船に衝突した様子は映っている。しかし、2、3度見直しても、「故意に」漁船が衝突したのかどうかは、よく分からないのである。

ただし、ビデオを撮った人は恐らく「故意に突っ込んできた」と信じていて、そういう「解説」をしながらカメラを回しているので、それがナレーションのように機能して、視聴者はその解釈に引きずられ易い。けれども、撮っている人は恐らく興奮状態にあるわけだし、従ってその「解説」は極めて主観的なものであるわけで、本当に正確かどうかは分からないはずだ。だから相当差っ引いて考える必要がある。

映像の解釈からは少し離れるが、2年半前に海上自衛隊護衛艦「あたご」が漁船「清徳丸」と衝突した事故を思い返してもいい。漁船の責任をことさら重く見る主張がインターネットに存在したことを思い出さずにはいられない。事故当時から多くの専門家の見解は護衛艦側の責任を重視するものであり、その後の海難審判などでも主な原因が「あたご」とされたのに、あたかも専門家のような口ぶりで漁船の問題を示す「証明」が積み上げられていったものだ。


これらことは、もっともらしくインターネットで語られている衝突映像の解釈に対して、いくらかの留保をうながす。もちろん、あくまで素朴な感想として発せられた解釈などの、発言者が立場を自覚している上での意見まで否定するわけではない。しかし自分自身をふくめた人間という動物が、自分の見たいものを見いだしてしまう存在ということは注意してしすぎることはない。

*1:http://translate.google.co.jp/

*2:http://www.excite.co.jp/world/chinese/web/ちなみにnifty翻訳はエキサイト翻訳と同じ。

*3:http://honyaku.yahoo.co.jp/url

*4:実際のところ映像が正当な手続きにのっとらず公表されたことは、日本の国防に大きな疑念をいだかせることになっただけだろう。もし不本意な政権のもとで規律が乱れて流出したのであれば、まず問題なのは選挙による交代を前提としている政権ではなく、流出した組織である。おまけに国防にかかわる組織に接近した、極めて生に近い情報が流出したこと自体も問題ではないだろうか。巡視船とその運用の細部を知りたい人間は、趣味として興味を持つオタクだけではあるまい。

*5:引用時、太字強調を排し、引用内引用を省略した。

*6:私個人が『ザ・コーヴ』をめぐる形でドキュメンタリーという表現について語ったエントリはこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100323/1269355491

*7:映画『選挙』が代表作。以前に見たことがあるが、政策ではなく人間関係の繋がりで戦う政治家の姿が皮肉な笑いで描かれ、娯楽としても楽しめる作品だった。