法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『暗い竈』〜南京大虐殺不可能論密室殺人事件〜

以下の小説は全くの虚構であり、実在の人物と関係はしない。参考にした証言や手記とは意識的に反する記述がある。南京事件を理解する助けには全くならない上に、史実と反する南京大虐殺否定論に説得力を感じる可能性もある。
最後に、十五歳未満が読むことは推奨しない。各々の責任をもって読まれたし。

 南京大虐殺など無かった。その真実の意味を、ふいに考える。


 いわゆる南京大虐殺があったとされているころ、私は南京周辺で敗残兵の掃討にあたっていた。
 河岸に陣取って引金を引く度に、薄汚れた敵兵が薄汚れた水面に落ちていった。敗残兵は軍服を脱いで汚い便衣に着替えており、それがいっそう惨めで、愉快なほどだった。あの愉快という気持ちが、戦争というものの残酷さかもしれないと思い返すことはある。しかし、私は南京で民間人を殺したおぼえはない。友軍が殺す場面とて、ただの一度も見たことがない。
 もちろん、無辜の民を殺してしまったという噂くらいなら耳にしたことがある。しかし、それは戦争につきものの事故だろう。かわいそうではあるが虐殺と呼ぶほどのことだろうか。私自身の眼で、南京城内に倒れている一般市民らしき死体をいくつも見たことはある。しかし、南京城内に隠れていた中国兵が自国の民を殺したのだと説明されれば、ああそうかと納得できる。無理やりに納得したわけではない、納得できるだけの経験が私にはあるのだ。
 城壁と大河に囲まれた南京という密室。木戸と敵兵に囲まれた名も無き密室。その大きさがあまりに異なる密閉空間は、記憶の中で相似形を描いている。


 あれは上海から南京まで進軍する途上の晩だった。
 派手な女物の着物をひるがえし、一人の兵士が焚き火の周りでおどけていた。
 周囲の者も、廃屋からひっぺがした木片を焚き火へくべたりしながら、やんやとはやしたてた。黒く湿り気をおびた木片が手拍子のように音をたてた。
 焚き火の周りでは白と茶色の羽が風で舞い、花びらのように赤く照らした。羽をむしってすぐ串に刺した鶏肉から油が垂れ落ち、香ばしい匂いをただよわせた。どこかからか調達されてきた蒸留酒がくみかわされ、腹の底から熱くさせた。
 喧騒の輪から離れて、火照った顔を上げると、薄曇った空の隙間に星空が見えた。日本で同じごろに見える星座と少しばかり違う。吐く息が白く、雲に溶けていった。


 国民党軍の奇襲から始まった上海事変が終わり、そのまま私達は中華民国の首都攻略に向かわされていた。
 上海戦が長く膠着していたことが信じられないほどたやすく国民党軍は敗走し、せかされているように進軍が速くなっていった。むしろ補給線がのびすぎたため物資が足りなくなったほどだ。武器弾薬はそれなりに用意できていたが、衣食住は自然と現地で補給せざるをえなくなった。冬の大陸、それも幾度となく雨に見舞われた進軍において、夏服のままでは体にこたえた。
 だから体に合わない女物の着物でも充分ありがたかったに違いない。おどける兵士の髭が伸び放題な顔には、ようやく人心地ついたためか、ほがらかな笑みが浮かんでいた。
 半袖の上に短い袖の着物を着たため、毛むくじゃらの腕が見え隠れして、それがまた滑稽な様子で、周りの笑いをさそった。


 着物を見つけたのは、途上で立ち寄った農村だった。
 あちこちで黒い煙をあげている黄昏の村に国民党軍はおらず、村民もほとんどが逃げ出していた。
 残っていた者は力のない老人や病人ばかりだったが、念のため一箇所へ集めて監視をつけた。それからめいめいに食糧を探しはじめると、しばらくして村外れから銃声が聞こえた。私達は銃を構えなおし、周囲と連絡しながら現場へ集まっていった。冷えきっていた体が、ゆっくり熱をおびていくのを感じた。
 村外れには一軒の小さな家が夕陽を建っており、戸口から窓まで堅く閉じていた。村外れだったためか壊されも燃やされもしていない。
 しかし、あわてて逃げ出したのなら戸口を閉め切る必要はないだろう。誰かが隠れているに違いなかった。隊長に命令され、一人が身をかがめながら軒下まで近づき、そっと中の様子をうかがった。
 またも銃声が響いた。
 斥候が軒下に崩れ落ちた。銃を取り落とし、右手で肩口を押さえたが、幸いにも命に別状はない様子だった。そして左の人差し指を一本立て、そのまま壁へ寄りかかって気絶した。
 どうやら隠れている人間は一人。私達は、薄く開いた戸口に向かって銃弾を叩き込んだ。数え切れない銃声が乾いた冬空に響いた。


 弾を込めなおし、私を先頭にして、ゆっくりと家へ近づいていった。
 まず私が戸口の前に立ち、右足を上げ、めいいっぱい蹴りつけた。弾丸が貫通して穴だらけになっており、そもそも薄っぺらかった木戸は簡単に裂け、家の内側へ倒れた。乾いた土間に土埃がたった。
 すぐ銃をかまえ、中の暗がりに目をやった。傾いた陽が壁の隙間から斜めに細く差し込んで、内を黄色く染めていた。
 戸のすぐ近くに、鼠色の服を着た老人がうつぶせで倒れていた。全身の銃創から赤黒い血が一面に広がり、土間を湿らせていた。ぴくりとも動かず、即死しているのは明らかだった。
 どこか違和感があったが、すぐ顔を上げ、家の中を見回した。背後からも仲間がのぞいている気配を感じた。
 家の中は拍子抜けするほど何もなかった。部屋の隅に竈があり、その横に大きな米櫃があった。物をかけるための釘が壁にいくつもあり、小さな鍋が一つかけられていた。竈の手前には板が並べてあり、その上に御座らしきものが広げてあった。きっと寝床だろう。部屋の中央に背が低い三脚の机があった。
 他には箪笥も椅子もない。どうやら家族は荷物を持って逃げ、老人だけが残されたのだろう。
 とにかく目立つのは竈で、高さこそ膝くらいまでしかないが、上に黒々と伸びる煙突は人の胴ほど太い。どうやら使用目的は調理のためだけでなく、寒さをしのぐ暖を煙突の熱で得る仕組みらしい。
 ふと死体の倒れたところまで戻った。両手を耳のところまで上げ、右足が変な方向へねじまがっていた。違和感の正体がわかった気がした。右足は棒切れで作った義足だった。きっと歩いて逃げることができなかったのだろう。
 背後で歓声をあげる者がいた。ふりかえると、一人が米櫃の蓋を開けていた。


 期待を持ちながら外で待ったが、米櫃に入っていたのは残念ながら食糧ではなかった。
 歓声を上げていた仲間は、軍服の上に汚れた女物の着物を羽織って出てきた。これで少し暖かくなったと、鼻水を指でぬぐいながら笑っていた。話によると、他には火口にもならないほど泥水にまみれた襤褸切れが詰まっていただけという。実際、一緒に探していた男は米櫃を覗いて落胆したらしい。一抱えもある大きな米櫃だっただけに、きっと米だけでなく野菜や芋もあると期待していたようだ。
 ともかく、着物は見たこともない紋様の刺繍がほどこされ、貧しい農村にはふつりあいな豪華さで、それこそ祭りか、あるいは嫁入りのため特別にあつらえたものだったのだろう。分厚い布地の派手な意匠は、踊りの衣装としてふさわしいと感じさせた。
 着物を得た仲間は喜んでいたが、あまりに派手で戦場にはふさわしくなく、村を出る時には捨てなくてはならない。食糧も見つからず、一人が傷を負ったわりにはあわなかったようだ。
 それでも隊の全体として目立った負傷者もなく、干し肉や野菜も徴発できて、その夜は小さな宴会が開かれた。


 次の朝、日が少しばかり地平線の外へ顔を出したころ、またしても銃声が響いた。
 ゆるんだゲートルを巻き直すひまもなく、寝床の側にあった銃を握りしめ、接収した家屋から飛び出した。扉を開けると、冷たい風が体を刺した。
 銃声は村外れ、昨日に斥候が撃たれた家屋の方角から聞こえた。集まってきた誰かが、家屋で寝ている者の名を告げた。それは昨夜に焚き火でおどけていた男の名前だった。
 何が起こったのかわからないまま、隊長が出した指示に従い、私は村外れへ走っていった。説明できない興奮が体を駆け巡り、手にした銃が不思議と軽く感じた。
 村外れの家は、昨夜に直した戸で閉じきられ、前に立った一人が声をあげていた。どうやら戸が開かないらしい。何度も戸に銃把を打ち付け、戸を無理やりに壊して入った。
 内部には、老人の死体に加え、派手な着物を羽織った死体が転がっていた。やはり昨晩におどけていた男で、他には誰の姿もない。竈に火がくべられている他は何もかも昨日通りの光景だった。死体から血が広がっていく様子も昨日とそっくりで、同じ演劇をくりかえし見ているような気分になった。
 老人の死体が手を伸ばした先に、汚れ一つなく黒光りする拳銃が落ちていた。銃口からは白い煙が薄っすらと昇り、火薬が臭った。まさか着物を盗られた復讐を死体がしたのでは、などと愚かな思いつきが脳裏に浮かんだ。
 もちろん、死体が動きだして人を殺すなどということが、小説や演劇以外であるはずはない。
 死体の握った拳銃は死後硬直で引金が引かれ、それで弾が飛び出して運悪く死んでしまったのだろうと隊長は判断した。手から拳銃がこぼれ落ちたのは射撃の反動によるものだろう、ともつけ加えた。昨日に見た時、死体は拳銃を握ってなどいなかったと私は記憶していたが、それを見ていたのは物言わぬ死体と私くらいで、後から来た者の記憶はあやふやだった。私の記憶が真実だとしても、酒に酔っていた兵士が戯れに握らせたのだろうと結論づけられた。考えてみれば、寒気が死臭を抑えているとはいえ、男が死体の転がる横で眠ったのは、よほど神経が麻痺していたためだろう。その麻痺はきっと深酒のためだけではない。
 また、最初に見た時は気づかなかったが、死体は裸に着物だけを羽織っていた。男の死体はその着物でくるむようにして、二人がかりで運び出した。脱いでいた軍服は畳んだ状態で竈の手前に置かれ、火が移ってしまったためか燃えていた。服を脱いだのは、やはり深酒のせいで体が熱くなったためと考えられた。
 村人の誰かが殺したのではないかと意見する者もいたが、残っていたのは病人や老人ばかりで、昼夜問わず監視がつけられており、不審な動きをした者もいなかった。もちろん村全体も歩哨が警戒しており、周囲から便衣兵が気づかれずに近づくことも無理だった。しかも現場は戸も窓も閉め切られ、もしどこかに開いた隙間から狙い撃つことができたとしても、死体に拳銃を握らせることはできない。
 しかし事故死では死者の名誉が汚され、管理責任も問われかねないので、上には戦死と報告することに決まった。そして荷物をまとめて村中から物資をかきあつめ、夕刻までに出立することになった。


 私は一人で喧騒から離れ、銃に銃剣を装着し、村外れへ向かった。
 荷物をまとめている最中、最初に老人の死体を見た時の違和感、その正体に思いいたったのだ。死体は拳銃を握っていなかった。撃った直後に射殺されたというのに。
 銃声は実は老人によるものではなく、どこか近くで中国軍が隠れて撃っていたのだろうか。いや、そのようなはずはない。閉じていた戸が開いて斥候が撃たれたのだし、家の中から撃たれたのでなければ斥候の弾傷は背後からになったはずだ。
 老人が拳銃を撃ってから、力いっぱいどこかへ放り投げることもできない。なぜなら窓は閉められ、戸は自分達が注視しており、つまり投げる先は家の内部しかないわけだが、隠れる場所などどこにもない。
 今もくすぶっている竈の灰を、私は銃剣の先でかきまぜた。
 拳銃が壁にかけた鍋へ偶然に入ったなら、金物の音がしただろう。竈へ入ったなら、灰が舞ったことだろう。となると、死体の下に拳銃があったと思うしかない。そう漠然と考えていた。
 しかし、今朝に自分が拳銃を見た時、それは美しく黒光りしていた。
 ……あの時、死体の下に拳銃があれば、血で汚れているはずだというのに。
 だから、拳銃が隠れる場所は米櫃以外にありえない。もちろん、瀕死の老人が片足で血痕を残さず戸口と米櫃を行き来できたわけはない。せいぜい考えられるのは、米櫃の中に拳銃を放り投げ、立てかけていた蓋が偶然に閉まった可能性くらいだ。しかし米櫃に拳銃があったなら、開けた者が気づかないはずはない。開けた者は何かに気づいていて、何もいわなかった。その理由を知らなければならない。それが殺された理由と関係しているだろうからだ。
 ここで起きた奇妙な出来事は、全てこの箱を中心にしている。
 私は静かに米櫃へ近寄り、そっと蓋を開けた。聞かされた通り、汚れた布切れが詰まっている。そこへ銃剣を突き立てた。濡れた布がからみつき、重い手応えがあった。力を込めて抜き取ると、汚れなく光る銃剣が姿を現した。輝く刃をじっと見た。
 ……竈の灰をかきまぜたばかりだというのに。
 私は銃剣を布切れに刺して、一枚ずつ米櫃から取り除いた。最後に出てきた布切れは黒く灰で染まり、明らかに汚れを拭き取ったものだった。


 中を覗くと、青ざめた肌をした少女が、魚のように口を開け閉じしていた。
 濁った眼はすでに光がなく、包丁を握った腕も力がない。体が震えているのは服を着ていないためだけではないだろう。肋骨が浮き出た薄っぺらな胸からは、血が次から次へあふれて流れ出ていた。女と呼ぶには幼い体つきで、短く切った頭髪は少年のようでもあった。
 それでも、祖父の遺した拳銃で自らの身を守る必要を感じたのだろう。米櫃に息を殺してでも隠れるべきと考えたのだろう。
 それにしても、いくら大きい米櫃とはいえ、よく体を押し込むことができたものだ、と不思議な感慨を持った。小さすぎる体つきに筋張った足を見れば、村に置いて行かれたのは当然と思えた。連れて行こうとすれば足手まといにしかならなかっただろう。
 米櫃に詰め込まれていた布切れは、おそらく壁にかけていた服か何かだろう。隠れるために、急いで引き裂いたり灰で汚したりして、襤褸切れに見せかけたのだ。私が慎重に戸口へ向かっていた時、少女は拳銃を死んだ祖父から取って、米櫃の中に隠れた。土間を裸足で歩けば足跡も足音もない。
 そして下に物を隠していると気づかれないために、一つだけ残していた派手な着物を、あえて一番上に重ねた。もちろん、徹底的に軍が捜索すれば気づかないはずはない。そして実際に気づいたのだろう。だが気づいた男は秘密にし、しかし少女を逃がすでもなく、逆に閉じ込めた。真夜中に内側から戸と窓を閉め、裸体の上に着物を羽織るだけの姿になった。少女が拳銃を持っていなければ、男が死ぬことはなかっただろう。竈でくべられた軍服には、きっと知られたくない汚れがついたのだ。少女の服も、着ることができないような有り様になったのだろうと想像できた。
 少女が細く長い息を吐いた。耳を近づけたが、喉から口笛のような音が鳴るだけ。やがて奥から血があふれてきて、煮え立つような音に変わった。
 それから、いっさい音が途絶えた。
 顔を上げると、遠い外から仲間の喧騒が聞こえてきた。楽しそうな笑い声も混じっている。どうやら笑い声には村人も混じっているらしい。そうか、この娘も少しばかり我慢すれば、少なくとも死ぬことはなかったのだ。
 そして自分は、米櫃を開けた後に小躍りしていた男の姿を思い浮かべた。少女を見つけたことをごまかす気分だけではなく、記憶の男は、心から喜んでいるように感じられた。あの男の笑顔は、まさに少しばかりの我慢を相手に求める表情だった。
 誰にも何も報告せず、私は隊へ戻った。幸か不幸か、誰も何も気づかなかったようだ。そして仲間とともに進軍を続けながらも、焚き火の周りではしゃいでいた男の姿が、しばらく脳裏から離れなかった。ぬかるみに足を運ぶ度に、米櫃へ銃剣を突き立てた時のような重たさを感じた。


 少女は抵抗しなければ死ぬことはなかったのだから、死の責任は少女にある。敗残兵が便衣に着替えて逃げなければ撃つことはなかったから、死の責任は中国兵にある。どちらも同じような理屈だ。
 内部から閉め切られた上に監視されていた密室の、不可能犯罪かと思えた殺人も、内部に隠れていた少女が行ったことにすぎなかった。ならば、河に囲まれた南京という閉鎖環境でも、便衣に着替えて隠れていた中国兵が、日本軍にも外国人にも気づかれず自国の民を虐殺したという理屈も成り立つ。
 こうして私の経験から考え、南京大虐殺は無かったと理屈づけられるようになった。もちろん、この理屈で他人を説得する気はないし、経験を広言するつもりはない。同じ理屈を口にする人間はいくらでもいるのだから、わざわざ私が加勢する意味はない。どのような理屈を当てはめようと、過去が変わるわけでもない。
 それよりも、考えることがある。少女はなぜ抵抗したのだろうか。中国兵はなぜ逃げたのだろうか。少女はなぜ隠れたのだろうか。中国兵はなぜ隠れたのだろうか。
 南京で多くの中国人が虐殺されたとしても、日本軍の責任ではない。そう多くの人がいう度に、別の何かがのしかかってくように感じる。


 南京大虐殺は無かった。その言葉が持つ真実の意味を、ふいに考える。