終盤の、望まぬ結婚式に乱入という展開は描写足らずで、映画『卒業』のパロディにしかなっていない。何度も様々な形で語り直された展開なので、よほど巧く組み立てるかパロディにでもしないと、ありきたりな展開としか感じない。だから、ルルーシュが全てをひっくり返す展開は必然だろう。正統派ヒーローに近かった一期スザク*1と対比されていたころのルルーシュを思い出し、アンチヒーローとして小気味良いくらいだった。
やはり王道として受ける物語ではないな、と視聴率の推移等と重ねて思う。
生徒会長ミレイが元生徒会員ニーナから八つ当たり気味に糾弾された部分も、いかにも谷口悟郎作品らしくて地味に興味深かった。
これまでミレイは、切迫した状況に追いやられるばかりのメインキャラクター達を、学園モラトリアムを肯定することで癒してきた。そういう立場のキャラクターだった。そのミレイを糾弾したニーナは、一期終盤において学友の残る学園もろとも自作の原爆で敵を殺そうとした……文字通りモラトリアムの破壊!
もちろんニーナはミレイと再開してすぐ批判を口にできる立場ではなく、演出から見ても八つ当たりと考えるべきだろう。しかし楽な立場を逃げているという批判内容自体は、必ずしも誤っていない。すでに主人公ルルーシュにとって学園が安息の場でなくなり、前回に日本を脱出したばかりであるだけに、かなり制作側が意識的に入れた描写だと思う。
過去の谷口悟郎作品では、『プラネテス』の原作にないアニメオリジナル展開で似た描写が出てくる。エリートコースを歩んできたパイロット「チェンシン」が宇宙に賭ける情熱の温さを、主人公「ハチマキ」から糾弾される場面だ*2。批難される行動を取らない人格的にも完成された人物の甘さを、言動に問題が多々ある人物が批難し、意図的か偶然か批判が真実をふくんでしまう。
善人なキャラクターに制作者の考えを代弁させると、往々にして説教臭くなる。その説教臭さを防ぐための技巧かもしれない。それを該当回クライマックスに配置した『プラネテス』と、前振りとして軽く処理した『コードギアス』の差違なども感じ、面白かった。