法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『オッペンハイマー』

 ナチスドイツに対抗するための原爆開発の主導者に選ばれた科学者、オッペンハイマー。科学への興味関心が何よりも強いが、社会の圧力を気にしないため組合活動にも精を出す。そして多くの科学者を集め、核分裂が連鎖反応する新型爆弾を作りあげた。
 そしてそのように原爆開発を成功させ、日本での成果も確認したオッペンハイマーが、なぜか水爆開発にはためらった可能性があることや、敵対国のソ連に情報を流した可能性があることが戦後に追及されていく……


 原爆開発主導者の戦中戦後を描いた、2024年の米国映画。クリストファー・ノーラン監督が脚本も単独で担当し、アカデミー賞も多数獲得したが、日本での公開には時間を要した。

 見放題独占配信しているプライムビデオで観賞した。約3時間で休憩もないが、視聴前に何度もトイレに行って体調も整えて、生理現象に悩まされずにすんだ。
 長尺だがEDが10分未満という短さで、本編も緊張感が持続して無駄がなく、まったく飽きずに見ることができた。


 意外なことに枠組みは法廷映画のよう。映画における過去と現在で異なる人物が追及される姿をとおして、原爆開発の過程をわかりやすく説明しつつ、政治劇としての駆け引きも描いて、さらにちょっとしたどんでん返しまで見せる。異なる時系列を同時進行させる監督得意の手法をつかいながら、基本的に主人公がたちあわない現在の出来事をモノクロで描写したことで無駄に混乱しない。
 原爆製造を理論探求や技術開発として楽しく見せながら、細部に不穏感を挿入する手練手管も見事。核分裂が大気にまで連鎖反応を起こして原爆が地球全体を破滅させる理論がかつてあったことは知っていたが、それを核兵器が世界に拡散するイメージソースにもってくる技巧にうなった。
 ただ主人公の浮気癖を表現するためとはいえ、乳首を出すようなセックスシーンは描写しなくても良かった。おそらくこれがあるため無駄にレイティングが上がって、必然性もないのに子供が見づらくなってしまっていると思う。一方、主人公が幻視するケロイドや炭化した死体は、セックスシーンよりレイティングを上げそうだが、必然性はある。
 また核実験の映像はアナログ技術の粋をこらしたと聞いていたが、派手なガソリン爆発のように見えて、正直にいえば原爆っぽさを感じなかった。どちらかといえば、核実験の成功を観察するさまざまな人々に、爆破の目撃から音と衝撃波が遅れてとどく描写が良かった。ネット配信でも音響効果を楽しめたので、映画館などで視聴すればもっと印象的だったことだろう。


 核実験パートでは、科学者を集約するため家族ごと呼びよせられるようにしたロスアラモスの急造の街を、「西部劇」のようだと評する台詞が印象的だった。だだっぴろい荒野に建てられた、まさに映画のセットのように安っぽい街だが、一言だけ言及されるようにロスアラモスは先住民が慰霊する場所でもあり、原爆開発後の主人公は先住民に返そうとしていた。
 先住民と同じように広島の被害もこの映画は直接的には見せない。主人公の一瞬の幻視は、広島の被害そのものではなく仲間たちの姿として映されている。良くも悪くも敵国の実際の被害というより、原爆開発競争後の世界において自分たちも被害を受ける可能性を感じたものかもしれない。そして広島の実際の被害を記録した映像を見せられる場面は、その記録の説明を聞きながらスクリーンに釘付けになる科学者たちの表情だけで描写されている。あくまでそれを知った主人公たちの内面の問題にとどめつつ、それを知ってどのような選択をするのかを問うドラマになっている。
 政治的な対立者から、反省する高潔さを演じているだけだと主人公が揶揄される描写も良かった。原爆を開発しながら罪深さを知って後悔した善良な科学者……という立場を選んでいるだけの偽善者のようにさげすまれる。それは事実なのかもしれない。それでも開き直ることはなく、世界を破滅させうる兵器を現実化した罪深さから目をそらさずに映画は閉じられた。